悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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悪い人間の餌食になるな!どうどうと幸せになればいい。

人間はみんな幸せになりたいという欲望をもっている。

決して悪い欲望ではない。

人間に生まれた以上あって当たり前の欲望だ。

誰だって幸せになりたい。

ただ、世の中には幸せな人間の足を引っ張ること、引きずり落とす方法でしか幸せを感じれない人間が存在する。

人間が本当に悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味をもたなくなる。

ゲーテ

このような名言があるように、そんな人間がこの世の中にいるのは事実だ。

今回はそんな人間について考えていきたい。

そのような人間は程度の差があるが、確かに存在する。

ひどい暴言を吐いたり、被害妄想が激しく、なんでもいちゃもんをつけて、相手を悪者にしたり、「常識がない」という言葉を連呼して、説教口調であたかも全てこちらが悪いように攻めたり、

色々なタイプがある。

ここではこのような一方的に自分の利益だけのために人を傷つける人間を「悪い人間」と表現することにする。

このような人間に一貫して言えることは

「上手に幸せになる方法を心得ていない。」

ということだ。

「幸せ」になりたいのに、なれないのだ。

だから、自分がどうしてもなれないから、相手を引きずり落とすのだ。

実は人間はそうしたい心理になることは多かれ少なかれある。

「人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、実は普遍的に人間がもっている感情だ。

だが、人の幸せを邪魔する、引きずり落とすことだけしか興味のない人間になってはいけない。

何故なら有害だからだ。
苦悩、憎悪を生み出し、周りの幸せを阻害する。

まるで、蟻地獄の様に相手をズルズルと幸せから引き離し、自分だけの欲望の餌食にしてしまう。

そして、本人も幸せになることは無い。

まさに不幸の渦の堂々巡り。

そういう人間、または人間関係からは、全力で逃げなければいけない。

こういう人間はいつまでたっても、井の中の蛙のように、狭い世界で、暗くじめじめした場所で、蟻地獄のように、同じ場所で餌食を待っているだけである。

こういう悪い人間がそのようになった原因としては以下のようなものが挙げられると思う。

・本当の自分に自信がない
・虚栄心が強い
・視野が狭い
・固定観念から抜け出せない
・劣等感をもっている
・理想が高い
・自意識過剰
・原因は自分ではなくすべて周りにあると思い込んでいる。
・頭が堅い
・被害妄想
・臆病者
・自分本位な言い訳や解釈が天才的に上手い

以上のような、さまざまな原因の程度が激しいか、こじれてしまったため、屈折した性格をつくってしまったように思う。
不運な環境でそれを修正する機会が得られないまま、成長してしまった結果なのだろう。

とにかく、自分の追い求める「幸せ」をどうしても手に入れれないから、相手を貶める。

貶めること、足を引っ張ることしかできなくなってしまったのだ。

色々なことに盲目にならないと生きれなくなってしまったのだ。

本当の自分を直視できない。

自分を誤魔化して生きることが普通になってしまっているのだ。

そういう人間のする嫌がらせや理解不能な屁理屈にいちいち反応して、いいカモになるのか?

そういう人間は犬のような臭覚で、そういう、傷つきやすい反応するカモを見つけだす。

隙さえあれば、喜んで飛びついて、嫌がらせをするのだ。

揚げ足取りに必死なのだ。

相手を悪者、ひどい奴扱いし、見下して、なんとか自己肯定感を満たして安心する。

しかし、これだけははっきり言える。

このような行為は本人に一時的な幸せをもたらすかもしれないが、その場しのぎに過ぎず、いつまでたっても根本的な解決にはならない。

ジェットコースターのような気分のムラに蝕まれ、一生苦しむことになる。

何度もいうが、そんな人間のいいカモになってはいけない。

そのような悪い人間は、人を貶めることしか興味がなく目が向けれないので、自分自身が幸せになることに労力を費やすことを忘れている。いつまでも幸せになる努力をしないので、いつまでも底辺でくすぶって、苦悩の堂々巡りをしている。

正直、とても悲しい可哀想な人間なのだ。

そのような「悪い人間」のいい標的になってしまった場合、汚い言葉や行動で傷つき、自己肯定感を失い、神経衰弱してしまうかもしれない。

夜も眠れず、悩み、時に相手に対する湧き上がる憎悪を抑えきれなくなるかもしれない。

でも、そんな相手に対してその湧き上がった憎悪で対抗してはいけない。

憎悪で対抗した途端、相手の思惑通り、同レベルに引きずり降ろされ、餌食となってしまう。

そして不毛な終わりのない堂々巡りの渦へ迷い込む事になる。

決してそんな罠にはまってはいけない。

いつまでも、そんな人間の相手をしていてはいけない。

自分が幸せになることをためらってはいけない。

どんどん上の段階に行きたいのなら、そんな蟻地獄に時間を割いている暇はない。

きっと相手は、上に行こうとするあなたをほっとかないかもしれない。

必死で足をひっぱるかもしれない。

同情を誘うかもしれない。

悪者扱いするかもしれない。

でも、そんな人達にまともに取り合ってはいけない。

エネルギーと時間の無駄遣いだ。

幸せは自ら努力して自分でつくりだすものだと知っているのならば。

悲しい事に、その様な「悪い人間」が身近にいる場合もある。

親、親戚、兄弟など。

その場合は離れたいけれど、離れれないというジレンマに悩むことになる。

特に昔に恩やいい思い出があるのなら、本当につらい決断が必要になるだろう。

だけど悲しいことに「悪い人間」は改善することが本当に困難になってしまっていることが多い。

絡まった糸が複雑に複雑にからんでしまってどうしようもなくなってしまっているのだ。

その改善に自分の人生のほとんどの時間とエネルギーを費やす覚悟があるのか?

それとも、相手に一生気を遣ってご機嫌とりをしながら、悲しい閉鎖的な絆で、同じ場所にとどまるのか?

何に重きをおくかは、人それぞれの自由だ。

もしかしたら、愛が奇跡を起こすかもしれないのだから。

また、もしかしたら、身近な相手の醜い感情を湧き上がらせているのは、自分の存在であることもある。

例えば普段は平和に過ごしているのに、羨望の対象が近くに存在すると、自分がどうしようもなく惨めに感じる場合だ。

あなたが側にいなければ、こんな感情にならないのに…と、本人に悪気はないが結果として相手を苦しめていることになっている場合がある。

その様な場合、離れて距離を置くことが一番だろう。
離れて遠くから相手の幸せを願うことが最善策かもしれない。

「距離をおく、関わらない」ということも、相手を思いやる行動の一つであることを頭に入れておかなければいけない。

そして、執着や依存から離れて、どうどうと幸せになればいい。

幸せになることに罪悪感を感じる必要なんて全くないのだから。

どうどうと幸せになればいい。

以上、誰かの苦悩を少しでも和らげることができたら幸いです。

英語教育に興味のあるママさん必見!月刊ポピーに英語登場「月刊ポピーKids English」!2019年4月から

5歳、3歳、0歳の乳幼児育児中のヒエヒエです。

私は今3歳の次女用に幼児ポピーを定期購読をしています。

幼児ポピーを私が気に入っている理由についてはこちらの記事をどうぞ→
www.hiekashi.com



毎月教材が届くのですが、今回の幼児ポピーになんとこのような広告が一緒に入っていました!

なんと…

月刊ポピーKids Englishが2019年4月から始まるというのです!
これは気になります。




毎月会費1680円(税込)。
別売りのポピペン3300円(税込)は入会時の初回で購入するとのこと。
こちらのポピペン録音機能もついているみたいです。

私は幼児期の英語教育にはかなり関心がありました。

英語をペラペラ話せるように小さい時からしてあげれたら、一生の財産になるなあ、と熱心に考えた時期もありました。

言語関係は幼児期に学んだ方が格段に効率よく学べるという情報もよく目にしました。

ディズニー英語の体験も何度もした程です。

私は英語は日常的に継続的にしなければ、身につかないのではないか、という考えです。

なので、英語をペラペラと話せる様にさせることは、色々と徹底して親が頑張らないと成せることではないとは感じていました。


その様な環境を子どもに提供するには、普通の家庭の私には金銭的にも環境的にも無理があり、またそこまで英語教育だけにかける熱意もなく、子ども英語ペラペラの願望は諦めたのです。

英語ではなく、違うことに労力をかけようと。

私は私が無理なく提供してあげれる範囲で一生懸命してあげよう、と。

そういう考えに徐々に変わっていったのです。

ですが、
全く英語教育をしないという訳ではありません。

言語関係の能力の発達が著しい幼児期に英語を全くしないのはなんだかもったいない気がするのです。

やはり今後の教育で英語は重視されており、子供達の前には必ず英語という壁が立ちはだかるのです。

その時に尻込みせずに子どもがその壁に立ち向かえるかが重要だと思うのです。
なので、今までは少しずつではありますが、日常的に英語に触れる機会は作るように努力してきました。

英語の歌のCDを家でかけてみたり、「アンパンマンおしゃべりデラックス」
という日本語と英語を喋るオモチャを買い与えてみたり、と。

あ、以下のおもちゃです↓


しかし、やっぱりどうしても、定期的に英語に触れさせるのは難しいものです。

気づいたら、日常に追われて英語に全く触れさせていない日々が続いていたりしました。

しかし…

月刊で自宅に自動的に教材が送られてくるなら、英語に触れさせるのを長期間忘れる心配がありません!

値段も普通の家庭でも気軽に手が出せる価格設定です。

因みに「こどもちゃれんじ」はすでに幼児期の英語教育分野には力を入れているみたいですね。

価格は5歳児対応の「こどもちゃれんじジャンプEnglish」コースでは一回税込3412円(会員価格、一括払いの場合)とのこと。

通常価格は一回4104円(2018年11月時点)。

また、コースによって値段が異なるみたいです。





ですが、こどもちゃれんじEnglishは毎月ではなく、2ヶ月に一回送られてくるというペースみたいです。

価格面だけをみると月額1680円のポピーの方が安いみたいですね。

2ヶ月分でも3360円。

来年度(2019年4月)から月刊ポピーKids Englishが開始するので、5歳の長女にさせてみようと考えています。

因みに推奨年齢は、レベル1は年長、レベル2は小1、レベル3は小2となっているので、始めるにはジャストタイミングですね。

また、月刊ポピーKids Englishを始めた際には紹介したいと思います!

以上、

「月刊ポピーKids English」についてでした☆



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愛の反対は無関心は本当?深く考えてみた

思考するヒエヒエです。

「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」というマザーテレサの言葉が、どこかで紹介され、知った時は衝撃的で、私は感銘を受けたものです。

本当にそうだ!とつい最近までこの言葉を信じてやまなかったものです。

しかし、最近「本当にそうだろうか?」と懐疑的になってきました。

何故なら私は「愛は大きなエネルギーで、愛は繋がっていく」と考えているからです。

ここで、「なんだ?スピリチュアル的な話か?パス!」って思わないで下さいね。

簡単な話です。

例えば、子育て中の私の経験から例を挙げてみます。

私が妊娠中の時、私の母はとても私のサポートをしてくれました。

栄養のある食事を作ってくれました。
無理のない生活を送らせてくれました。
私の身体を気にかけてくれ、いつも考えてくれました。

里帰りの前は、核家族で十分なサポートを受けれなかった分、本当に有り難さが身に染みて、涙が出るほど嬉しかったものです。

そして、私も自分の娘が妊娠した時は、このようにサポートしてあげよう、と心から思ったのです。

そして、きっと私は自分の娘が妊娠した時に私の母がしてくれたようにするでしょう。

例え、娘でなくても、その時に私の母から受けたサポートは違う形でどこかで現れることでしょう。

これが私の「愛は繋がっていく」の例です。

愛を受けた分だけ、愛を与えることができるのです。

夫から愛をもらったら、妻は子どもに愛を与えれるのです。

「愛」を私なりに表現するなら「陽のエネルギー」とでもしましょうか。

心がほんわかと暖かくなって、力が湧いてくる。

そんな感じでしょうか。

「エネルギー保存の法則」ってありますよね。

愛も一種のエネルギーとしたら、エネルギーは消えずに、何処かに移っていくのですね。

「愛は繋がっていく」

私はそう信じてやまないのです。

あの20世紀を代表する科学者であるアインシュタインも、「愛」を特別視していたのです。

「愛」は曖昧な概念ですが、必ず存在するものなのです。

例えば愛のある「あいさつ」と愛のない「あいさつ」って全然違いませんか?

乳幼児を子育てしていると、この違いがよくわかります。

子供を連れての外出中に全く顔見知りでないおばあちゃんに

「こんにちはー。まー大変ねぇ〜。」と優しく素敵な笑顔であいさつしてもらうと、一日がなんだか素敵になる気がするのです。

私という存在を肯定してくれている、子育てをしている自分を肯定してくれている。

一瞬の挨拶でも、そこに愛があれば、こんなにも人にエネルギーを与え、元気付けることができるのです。

そして、きっと周りにもより優しくなれる自分がいるのです。

この様な愛のある「あいさつ」は社交辞令的な何の感情もない「あいさつ」とは全く違うと思うのです。

先程「愛」は「陽のエネルギー」と表現しましたが、もっとわかりやすく言うと、「愛」とは「肯定的な関心」だと私は思います。

と、ここで本題に戻りましょう。

「愛の反対は本当に無関心か?」

という話でしたね。

先程、「愛」とは「肯定的な関心」と言いました。

「愛=肯定的な関心」と仮定するとします。

すると愛の反対は無関心ではなく
「否定的な関心」となるのではないでしょうか?

「否定的な関心」

パッとイメージがわかないですね。

では、私が先程
愛を受けると「心がぽかぽかしてきて力が湧いてくる」と書きました。

「愛」とはエネルギーでこのエネルギーを「陽のエネルギー」と表現しました。

ではその反対とは…

私は「無関心」は少し違うと思うのです。

「無関心」は「無」ですから。

「愛」というエネルギーの反対のエネルギーでなければならないと思うのです。

それは「心がトゲトゲしてきて力が湧いてくる」エネルギーではないでしょうか?

それはどんな時でしょうか。

私は、それは…

苦しみながら倒れている人がいたら泣きながら優しく手を差し伸べるのが「愛」のある行動とするならば、「愛の逆」はその人に通りすがりに笑いながら唾を吐くような行動だと思うのです。

私がその倒れている人だったら無視して素通りする方がまだマシなのです。

ですが、苦しんでいるのを見て、笑いながら唾を吐かれたら…。

トゲトゲした感情が一気に湧いてきませんか?

自分が動けるようになったら復讐してやる!ってなりませんか?

そのような、「心がトゲトゲしてきて力が湧いてくる」そのような感情を湧き出すエネルギー。

このエネルギーこそ「愛」の反対のものだと思うのです。

「否定的な関心」「陰のエネルギー」とでも表現しましょうか。

私ごとですが、最近ブログで悪意のあるコメントが書かれました。

それはその人が傷つくだろうと考える色々な差別的な言葉を駆使し人を貶めたい、馬鹿にしたいという思いが伝わるコメントでした。

この様なコメントを書かれた時、私はとても嫌な気分になったのです。

そう、その人の思惑通り、トゲトゲした嫌な気持ちが湧き上がり、イライラしたりしたのです。

私の世界が暗く冷たくなったのです。

情けなく悲しいことにそのイライラが子育てにも影響したかもしれません。

正に「陰のエネルギー」を受けて、周りの人にも流れていってしまったのです。

私の記事に無関心で、何もコメントしない行動とは、全く違うのです。

ある意味「否定的に関心がある」のです。

貶めたい。

馬鹿にしたい。

コケにしたい。

嘲笑いたい。

そんな行動が「愛」の逆なのではないでしょうか?

この様な行動はどのような言葉で表していいのか、今の私には的確な表現が見つかりません。

とりあえず「憎悪」という言葉に仮定しましょうか。

そうすると「憎悪=心をトゲトゲさせるエネルギー=陰のエネルギー」と表せます。

「愛」も繋がっていくように「憎悪」も繋がっていく。

自分が親から虐待をうけたら、自分の子供にも虐待をする、という負の連鎖って正にこれだと。

「愛」が世界を暖かくポカポカオレンジ色にするなら、「憎悪」は世界を冷たく暗く闇にする。

…で?って話ですよね。

私は世の中が愛だけの世界にしたい!憎悪の一切ない世界にしたい!

という、話にしたいのではありません。

「愛」と「憎悪」というエネルギーがなんとかバランスを保って一つの世界が成り立っていると思うのです。

太陰太極図のマークの白い部分と黒い部分があって一つとなっているように。

「愛」と「憎悪」という相反するエネルギーが均衡を保って今の世界がきっとあるのでしょう。

「愛」と「憎悪」というエネルギーがある。

ただそれだけ。

「愛」も「憎悪」もエネルギーですから、何かを生み出す。

人の場合は生きる気力になるかもしれませんね。

先程、苦しんで倒れている人の場合を例に「愛」と「憎悪」について説明しましたが、意外と一番残酷なのは、「無関心」なのかもしれません。何故ならその人に何にもエネルギーを与えませんから。

憎悪もエネルギーなので、何かを生み出しうる。

エネルギーも使い方次第、その人次第なのかもしれません。


いい映画だって、愛と憎悪が上手く織り交ぜられているからこそ、心を揺さぶるものです。

愛だけの映画なんて何になる?
憎悪だけの映画なんて何になる?

きっと愛だけでも苦しくなる。
憎悪だけでも苦しくなる。

そもそも、愛だけとか、憎悪だけが存在することなんて不可能なことなのかもしれません。

楽しい日もあれば、辛い日もある。

毎日が日曜日!は幸せか?

子育て中、素敵なおばあさんに話しかけられる日もあれば、不機嫌な人に舌打ちされる日もある。

人生は色々ある方が濃くなる。

相反するエネルギーがあって均衡を保っているからからこそ、世界は継続している。

世界が終わる時。

きっとそれは、バランスが崩れた時、又はエネルギーが枯渇した時なのかもしれない。

恒星がエネルギーが無くなったら消えてしまうように、きっと愛とか憎悪というエネルギーが無くなる時は今の世界が終わる時なのだろう。

まあ、それはいいとして、きっと私たちが危惧するべきは「愛」と「憎悪」のバランスが崩れた時の場合だろう。

今の世の中、どちらにかたよっている?

憎悪の連鎖…。

民族差別、戦争、学校でのいじめ、性差別、学歴差別、虐待、家庭内暴力などなど。

狭義的な視点からグローバルな視点までみだしたらきりがない。

もしかしたら、今の世の中は「憎悪」に押されているのかもしれない。

平和に偏りすぎたら、戦争が陰を潜めてやってくるのかもしれない。

今後、子どもたちに待ち受けている場所が憎悪に溢れている場所だったらどうする?

行く学校がそうだったら。
働く職場がそうだったら。
今後の日本がそうだったら。

もし、こんな世の中を子供たちが生きなければいけなくなるのなら、せめていつも帰る「家庭」だけは愛で溢れる場所にしとかないといけないと思う。

憎悪というエネルギーに押しつぶされてしまわないように。

そう考えると、プリキュアってなんだか凄いアニメな気がしてきました(すみません…子どもが好きなもんで)

「心のトゲトゲ飛んでいけ〜」って…

名言?( ̄▽ ̄)

今後、陽エネルギーと陰エネルギーについて考えながら観たら面白いかも。

…なんて、最後かなり余談でしたが、以上、思考するヒエヒエでした。

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