悩みすぎな私の子育てライフ

1歳児と3歳児の子育ての経験を中心に。少しでも誰かの役に立てたら幸いです♪♪

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「死にたい」って思って何が悪いのだろう

4歳児と1歳児の育児中のヒエヒエです。

 

私事ですが昨日は、孤独な子育て日和でした。

いつもなら集まっている場所に知り合いのママさんが一人もおらず、何だか空振りした虚しい気分でしょうがなく近所をぶらぶらと子どもを連れて散歩しておりました。

 

ですが・・・なんせ暑い。そして、誰も歩いてない。

 

時々、子育て中のママさんはたくさんいるはずなのに、ここは無人の世界か?・・・と思う事がよくある。子育てママさんは一体どこにいるのだろうと。

 

まあ、昨日は暑過ぎたのでしょうけどね(いや、家に帰れよ)

 

で、昨日は子ども達以外誰とも話さなかった私です。

こういう、誰かとしゃべりたいのに、喋れない日は大体、鬱傾向にかたむいてしまう私です。

 

鬱傾向になり無性にむなしくてたまらなくなります。

 

何も楽しく思えなくなる。

何も希望が無くなる。

自分の存在が大量にいる蟻の小さな1匹のような・・・寧ろそれ以下のような・・・そんな気分になる。

虚無感が自分を充満していく。

 

昔から、私は鬱傾向が強かった。「鬱」って字、なんだか見ているだけで鬱鬱してくる不思議な字。でもね。私は嫌いじゃない。憂鬱な気分は私にとって普通。

 

私は昔からとてつもなく暗い夢をみる。寧ろ明るい夢を見る方がレアな程。

廃墟をさまよっている夢。暗い海の中で途方に暮れている夢。

とにかく、雰囲気が大体暗い。昔の日本映画みたいに、なんだか暗い。色はあるんだけど、全部灰色を混ぜたような色。虚無感はんぱない。

 

悪夢を見ない人からしたら、「大丈夫精神状態!?」って話だと思う。

 

でもね。もうこれが「私」だ。どうしようもない私だ。暗い雰囲気ってそんなに悪い?

 

暗いのが「悪い」だったら、自己否定につながるしかなくなる。

 

暗いは悪くない。昼と夜、どちらが良いか悪いかってありえないでしょ?好みはあるかもしれないけどさ。

 

「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか。」ってニーチェの言葉、なんだか深く心に染み込む。すんなりくる。きっとニーチェは「陰」属性の人間だったんだろうな。

 

まーとにかく、暗い小説や芸術って山ほどあるじゃない。

 

多分根が「陽」の人って理解できないんだろうけど、太宰治の「人間失格」を学生時代に読んだ時、なんだか救われた。あ、私以外にもこんなことを考えている人がいるんだって。

 

私は小学生の時から、周りのみんなが何が楽しくてそんなに笑っているか、全く理解ができなかった。だけど合わせないと孤立するからずっと演技してきた。笑うふりをしたりして。そんな自分が普通じゃない、どこかおかしいんじゃないかって思っていたけれど、「人間失格」を読んで、まるで自分の事を代弁してくれているようなそんな不思議な気分になった。

 

人間って根が「陽」と「陰」のタイプに分かれると思っている。分かれるっていったら語弊があるかな。傾向が分かれる、って言った方が正しいのかな。

私は完全に「陰」傾向が強いタイプだ。

 

でも不思議。私ははたから見ると、「天真爛漫」「細かいことは気にしない」「天然」みたいなタイプに見えるみたい。私って本心を隠す天性の役者かも、なんて密かに思ったりする。

 

「憂鬱」状態が強い時「死にたい」ってしばしば思ったことがあるのは果たして私だけだろうか。いや、そんなはずはない。ただ、みんな隠しているだけ。自分でひそかに処理しているだけ。

 

「死にたい」なんて言葉、私は言葉にすること自体罪だと思ってた。

「死にたい」なんて、そんな・・・絶対言ってはいけないと思ってた。

 

親に申し訳ない。とか。普通じゃない。とか。

そして「死にたい」という文字が頭をかすめたとたん、自分を責めてた。

確かに、「死にたい」なんて軽々しく言うべきじゃない。もちろん今だってそう思う。

 

でもね。「死にたい」と思っている自分を認めてあげなかったら、かわいそうだって。

アルプスに帰りたい感情を無理に押し殺して病んでいったハイジみたいになるって。

 

このハイジの末期状態が自殺じゃないかと。

 

そして周りのみんなは口々に言うんだ「そんなに思い詰めているようには見えなかった」って。

 

「死にたい」ってだれにも言えない。それが一番の問題。

自分に厳し過ぎる、甘え下手、くそまじめ、誰から見ても優等生、誰にも迷惑をかけたくない・・・そんな人が陥りやすい落とし穴。

 

「死にたい」って思っている時に「死にたい」って誰かに言って、血相変えて「病院行く?」とか、悲観したりして欲しい訳じゃない。少なくとも私は。

 

むしろ、その反応は一番恐れている事。弱い人間とか、努力不足とか病気と思われてしまうことが。

 

「死にたい」と今思っている「自分」の存在を認めてもらいたいだけ。

本当にそれだけ。

 

「死にたい」って思ってしまう精神状態なんだね、なにか僕にできることがある?ってやさしく言ってほしいだけ。ありのままの自分を受け入れてもらいたいだけ。この心からの言葉さえもらえればそれ以外いらない。

 

それだけで、すーーっと自分の「陰」に偏り過ぎた精神状態が「陽」に近づいていく。

 

そして救われる。

 

今は、やっと演技をしないで「本当の自分」を無条件で受け入れてくれる人がいる。

この世界で1人だけ。やっとやっとようやく会えた。それが今の夫だ。

 

夫という存在がいるだけで私の人生は保証されたものだ。それはお金では決して買えない・・・どんな手厚い保険も足元にも及ばないような。

 

もちろん「死にたい」という気持ちには今まで通り時々なるだろう。でも根本的に全然今までと違う。全く違う。世界がひっくり返るぐらい違う。天国と地獄ぐらい違う。

 

夫には「今、私死にたいって思っちゃってる」って言える。これって本当にすごいことだと思う。過去に私は精神状態が限界過ぎて母親に勇気を本当に振り絞って打ち明けた言葉「私うつ病かも」で撃沈した過去を思えば信じられない。

 

もちろん本当は死にたくない。死ねない。子どもがいるのに死ねるわけがない。

でもね憂鬱状態が本当にひどいと「死にたい」って無意味に思う。

その「無意味」が本当に苦しい。意味、理由がないと対処しようがないから。そして無理に意味を探そうと貪る。ないのに貪る。その過程の1つがヒステリック、暴力とかになるのかもね。

「無意味にこういう状態になる」ということを受け入れた方が楽になるのにね。

むやみに貪るとろくなことがない(過食とかね☆)

ろくなことにならないことを宗教は「罪」として教えてくれているわけね。

確か、貪り食べることもキリスト教では「罪」の一つだよな。

 

夫に「あなたは、私に何もしてくれない!」と、嫌みを連発したりね。そうすると、絡まった糸はよけい絡まる一方。素直がいちばん。

 

いつの日かに見た「苦悩−意味=絶望」って、目も耳も不自由な教授さんが話していたこの公式はずっと私の脳内に刻み込まれている。

 

そう、「死にたい」と思ってしまう事、自分の意思ではどうにもならない。その瞬間は「死にたい」って思っているのだから。これは紛れもない真実。

 

世界には生きたくても生きれない人間が山ほどいるのに、けしからん!

飢餓や災害で苦しんでいる人がいて、なんでその状態で「死にたい」とか言えるのか!信じれない!

日本にいるだけでも幸せ者だ!

親が泣くぞ!なんたる不束者!

 

そんなの百も承知。むしろ頭はそんな罵倒だらけ。

だからこそ、隠すしかない「死にたい」という言葉。

その無理に隠している人の苦しさはどのように凄まじいかもわかる。

 

でもね。この日本で自殺者が後を絶たないってことが「死にたい」って思っている人がいかに多いかを物語っているじゃない。

 

もうね「死にたい」って思って何が悪い!って叫んでも許される風潮になったら多少は日本は生きづらくなくなると思う。

 

それでさ、「死にたいか!そういう時もあるさ!私もあるある!」って、みんなでさ気楽に言える雰囲気になれば・・・・いいよね。

 

それでさ、みんなで歌いながら、おひさまの光をたくさん浴びて、何も考えずに散歩していい汗をかいたら素敵だと思うんだ。アホみたいになってさ。

 

おひさまの光と適度な運動は鬱状態を和らげる一番の薬だと思う。

 

あーーなんだか、訳の分からない話になってしまったけど、とにかく、私は「この世界で一番恐いものは孤独」だと思っている。

 

孤独以上に恐いものはあるのかなあ・・・「孤独が1番恐い」なんて思っていること自体、甘ちゃんだという事実があるのだろうか。

 

孤独より恐いものなんてあるのか?

私はお化けとかジェットコースターとか心から恐いと思う人って「真の孤独の恐さ」を知らない人だと思う。

それだけで「陽」タイプの人だと思う(因みに夫はマジで絶叫マシーンを拒否します)。

 

真の孤独の恐ろしさに比べたら、お化けとか、絶叫マシーンなんて、恐いと思うかなあ・・・なんて個人的に思う。疲れるから嫌、とは思うけどね(年取ったわ)。

 

 とにかくね・・・「死にたい」って心から本意ではなく思ってしまって、もし孤独を感じている人がいたら、同じように「死にたい」って思うことのある人間がここにもいることを知ってもらえたらと思う。

 

「死にたい」って気持ちになってもいい。本当に死ななければそれでいい。

 

そして少しでも、孤独を和らげることができたら・・・なんておこがましい私は思っちゃっているわけです。

 

本当はキラキラと生きたいから、「死にたい」と思ってしまう自分に苦しんでるんだよな。

 

ここまで「死にたい」ってたくさん書いておきながら、今になって、なんだか「死にたい」じゃなくて「消えたい」の方が正しい気がしてきた。水の泡のように、シャボン玉のようにパチンって。一瞬でばらばらの原子になって、大自然と一体になるって感じ。

だって苦しみたくはないもの(欲深だな)

 

と、今回はかなり好き勝手に書いてしまいましたが、最後に素直な一言。

 

私は時々消えたくなりますが本当は

消えたくも死にたくもありません。

 

では、今日も素敵な一日を☆

 

 

 

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