悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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時間があったら何でもできると信じてやまない君へ

4歳児と2歳児の育児中の主婦のヒエヒエです。

 

最近思う。いつもブログで文章を書きたい書きたい!って思っているのに、いざ、書ける環境になると、何もかけなくなる。

今だって真夜中12時、パソコンとにらめっこをしているのだけれど・・・あれ?私は何がしたいんだっけ。

もう、日中に自分の時間がない時間がない!時間が欲しい時間が欲しい!子育て中は自分の時間がないない!・・・と言っていた自分がよくわからなくなる。

 

なんなんだ?これは?

 

そしてこの感覚は・・・そう確かに昔にもあった。

 

高校の部活動をやめた時だ。私は部活が大っ嫌いだった。心から嫌いだった。

顧問の先生がくる足音を聞く度に絶望の淵に突き落とされたものだ。

やめたくてやめたくて仕方がなかった。私の高校時代の記憶を探ってみたら、部活の風景ばかりが頭のなかに広がる。薄暗い部室の光景が。そう、当時の私の頭の中のほとんどが部活の事でしめていた。

 

とにかく地獄のような日々だった。

 

今振り返ったら意味不明だ。じゃあ、なんですぐにやめなかったんだって。

でも、確かにその時はやめれなかったのだ。おかしな話だけど。でもそういうことって誰にでもあるんじゃないのかなあ。きっと。その状況のど真ん中にいるときは自分が間違っているなんて夢にも思っていないもので・・・。他人から見たら「じゃあやめればいいじゃん」って鼻で笑われるような状況でも当事者にとってはどうしてもそう思えないなにかがあるのであって・・・・。

 

そして、私なりに苦悩した結果、私はあと4カ月もすれば受験のため自然と終了する部活動を耐えきれずやめたのだ。自分の中では限界まで頑張った結果がこれだった。

 

その時はこう思った。

 

あーやっと部活から解放される。これで勉強ができる。時間がある!あーなんてすばらしいんだ!・・・って。

 

でも、待っていたのは何もない自分だった。授業が終わると一直線に家に帰る。

あ、私帰っていいんだ・・・て。

 

そして家に着く・・・ぽかんとする。・・べん・・きょう・・・する?

 

勉強をする時間は腐るほどある・・・あるのに・・・全くやる気にならなかった。

誰もいないしーんとしたリビングのソファーで寝ころびながら虚空を眺めてむなしく時間は過ぎていった。驚くようなスピードで。そして部活動を終えて帰った時の時間になっても、なにもできていない自分に絶望を感じたものだ。

 

そして何にも言い訳をもっていない自分に気付いた。それは恐怖以外何物でもなかった。

 

そして私は腑抜けになった。

 

まあ、この後なんやかんやあって、無事大学には行けたのだけれども。

 

こんな感じで、部活動に必死になってもがき苦しんで、時間がない!時間がない!と言っていた高校時代の自分。

 

その若かりし頃の自分が急に時を超えて今、子どもが寝静まった静かな夜の自分と重なった。

 

もしかして、あの時と今同じ状況なんじゃないかって。

部活動に明け暮れていた、必死にもがき苦しんでいた日々。

あの時私は時間がない、思うように勉強ができないのは部活動のせいだと思っていた。完璧にそう信じていた。信じ込んでいた。

 

部活動がなければ、もっと勉強ができていたのに、成績も上がっていたのにって・・・。私はもっとできたはずだって。

 

実際に時間はなかったのかもしれない。確かにあの部活はハード過ぎた。

でも・・・・・私は部活を「悪者」にしたてあげて、いい口実に利用していた面も確かにある。言い訳の口実に。そして自分で自分を洗脳していった「部活動がすべて悪い」と「だから今の状況はしかたがない」と。

 

時間がない、時間がない、時間がないからできないと思い込んでいた。

 

でも結局、私は時間があってもできなかったんだ。

 

寧ろ時間が無いと言っていた時よりも。

 

時間・・・。

 

時間は不思議だ。ない時はのどから手が出るほど欲しいのに、有り余っているときは持て余して途方に暮れる。

 

そして私は気付いた。

時間がどれだけあるかだけが問題なんじゃない。カギを握るのは原動力、エネルギーなんだって。

 

ものすごい原動力がある時は驚くほど短期間で集中して、気づいたら短い時間で多くの仕事量をこなせる。

 

一方、何にもやる気が無くあてもなく、仕方なくやったら、まったく何もできていないのに、ものすごい時間がたっているものだ。何をやったんだ自分って。

 

まーこの鍵となる原動力がどこから湧いてくるのか、エネルギーを発揮すべき時に発揮できるかが難点なのだけれど。

 

今日、子どもを寝かしつけた後「子育て中は本当に時間がない」と暗闇でぼやいた私に夫は言った。

 

「時間は自分でつくりだすもんだよ。」

 

はっとした。痛いところをつかれた気がした。

・・・が、プライドの高い私はつっけんどんと

 

「いや、子育て中は本当に時間がない」と言い放った。夫は「そうだね」と言ってねた。

 

ひそかな心当たりをないふりをしながら寝ようとしたが・・・少し考えた。そしてごそごそと少し前まで寝ようと思っていた私は布団からでて部屋を移動してパソコンを開いた。

 

正直、今の私にはわからない。

時間の正しいつかいかたなんて。

 

でも確実に言えることは、時間は有限だと実感できるようになったことだ。

昔よりも確実に生きるエネルギーを消耗してきたからかもしれない。生きる時間をつかってきたからかもしれない。

 

無限に湧き出てくると思っていた井戸水が枯渇してくれば、水がとてつもなく愛おしく感じてくるように。

大きいペットボトルの大好きなジュースを開けたばかりの時はガブガブのめるのに、残り少なくなると、急にもったいなく思えて消費スピードが遅くなるように。

 

この年になって妙に時間が愛おしくなってきた。

 

私は愚かだから、残り少なくなってこないとそのものの価値に気づけない。

でも、人間なんてそんなものかな、とも思う。

 

昔は性欲なんて無限にあるとおもっていた。当時は本当にそう思っていたんだ。

でも、そうじゃなかった。学生時代の多感な時期は本当にそう信じてやまなかった。ましてや疑うという行動すら思い浮かばなかったほどだ。

 

いつまでも何かにときめき続けれた。ずっとドキドキしていられた。今振り返ると、あーあれは奇跡のようなことだったんだなって。そう気付いた時にはもうとっくに通り過ぎていた。

 

気付いたら、昔全く理解できないと思っていた「大人」側になっている自分。

 

かろうじて記憶にある小学生の頃のある懐かしい風景が蘇る。いつまでもいつまでも従妹たちと河原で遊んでいたい私を、怪訝な顔で母は怒鳴った「いい加減にして、もう帰るよ!夜ごはんの準備しないといけないんだから!」って。

 

大人ってつまらないなって思った。目の前にこんなに楽しいことがあるのに強制的にやめさせるなんてって。絶対あんな大人になりたくないって思ってた。

 

だけど今私は、怒鳴る側の大人だ。

 

なんだか切ない。

 

すべては流れ去って行って、流れ去った後にそのものの価値に気付くなんて。そしてどうあがいても、『あの時』にはもどれない。

 

でも、どう考えたって若い頃の色々と当たり前にありふれるほどもっていた頃の自分に、それが当たり前ではないと気づかせる方法が思い浮かばなくて。

 

全く思い浮かばなくて。

 

そしてそれはきっとおばあさんになった私がきっと今の私にたいして思う事でもあるのだろう。

 

だから、今をかみしめて生きる。全力で。ってことを忘れずに生きること以外、私には対処方が思い浮かばない。時間を有意義につかう対処法が。

 

うん、とにかく今を大切に生きればいい。今過ごしている「今」は今は気付いていないけれど実はとてつもなく特別なんだよって言い聞かせながら。まー愚かな私はすぐにピントがぼやけてしまうだろうけれど。

 

なんて、少しセンチメンタルになった夜の脳内会話でした。

 

・・・・で・・・あれ?最初、全く書く事が思い浮かばなかったのに、こんなに書いてる!

 

本当に時間は自分次第で何にでもなるのだなあ。

 

おわり☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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