悩みすぎな私の子育てライフ

4歳と2歳の姉妹の子育て中専業主婦のチャレンジブログ。

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「子供は放っておいても育つ」という言葉が嫌いな理由を熱く語ってみる

4歳児と2歳児の育児中の主婦ヒエヒエです。

子育て中のみなさまは子どもの教育に興味ありますか?

私は大いにあります。

・・・・と言ってもまったくスパルタ教育には興味がございませんが・・・。

「子どもの可能性をどんどん促すきっかけをたくさん与えたい」とは常日頃思っております。

「子供は放っておいても育つ!」なんて言葉を聞いたことがありますが、私はこの言葉あまり好きではありません。

 

今回は「子供は放っておいても育つ」という言葉についての私の考えを書いていこうと思います。

長くなりますが最後までお付き合いいただけたらと思います。

 

 

 

「子供は放っておいても育つ・・・」

 

そりゃあ、ほっといても育ちますよ。生物的には。食事と最低限の生活環境があれば。でもね・・・

 

そんなこと言ったら、ペットでも餌と最低限の生活環境を準備すれば成長しますよ?

 

子育て主婦が目指しているのはそこじゃないのですよ。生物的な成長だけクリアすればいいのならそんなに悩みません。

 

みんな「自分の子どもによりよく育ってほしい。」と強く願っているからこそ子育ては大変なのではないでしょうか?

 

なのである意味親のエゴも含まれるのです。そして、それは私はちっとも悪くないことだと思います。

 

むしろ「悪い」という考えが出てくることもよくわかりません。

 

だって、子どもがよりよく育って欲しいと願うのは親として当たり前のことでしょう?

自分の子孫を立派にしたいと願う事は全くちっとも悪いことではありません。

 

なので、「子供は放っておいても育つ」なんて言葉を育児を頑張っている親に「慰めの言葉」としてつかうのは少し「ん?」って思います。

 

それ、「子育て主婦の努力や苦しさを気遣っての言葉」というより寧ろものすごい「子育ての努力をないがしろにしている言葉」なような気がしてくるのです。

 

だって、「放っておいても子どもは育つ」って言葉・・・教育関係に努力している人や、子育てに力を注いでいる親にとってはこれ以上ない侮辱的な言葉な気がするのは、私だけでしょうか。

 

だって、「放っておいても育つ」って・・・・・じゃあ、育児や教育を一生懸命日々頑張って努力している親のやっている事って何?意味がない訳?ってなりませんか?

 

はっきり言います。

 

「子供は放っておいたら絶対育ちません」

 

先ほど述べた様に、生物的な成長だけを指して「育つ」というならそりゃあ育ちますよ。

 

でもほとんどの親の目指すところはそこではない。

 

人間としてきちんと立派に生きていけるように育てたいわけです。しかも欲を出せばいくらでも上はあります。

 

そして、実際は「人間として最低限」のことを教える、クリアするだけでも想像以上に大変なのです。

 

なので、私はやはり声を大にして言いたい。

 

「子供は放っておいても育つ」という言葉は子育てを必死に頑張っている親を励ます言葉としてはつかうべきじゃないと。

 

なぜなら私が言われたら嫌だから。この言葉を聞いて、怒り狂うほど嫌とまではいきません。ただ、なんだかじんわりと地味に嫌な気分になります。

 

私自身、今専業主婦で、また、専業主婦で一生懸命育児を頑張っている他の母親のことも見てきています。それはそれは孤独なとてつもない努力をしています。誰も見ていない中、人知れず食事のメニューに試行錯誤していたり、毎日外に連れ出して子どもにとって何が為になるか何をしたらいいか考えて毎日過ごしています。

 

そんな母親に「子供は放っておいても育つ」なんてとてもとても言えませんよ。

 

子育てを放置気味で少しうしろめたさを感じている親の、慰めの言葉にはなるかもしれません。

例えば、仕事が忙しくてあまり子どもをかまってあげれず、それをとても気にしているお母さんの悩みを和らげる言葉としていうのであれば、全くこの話とは別の話です。

 

しかし、専業主婦で毎日の子育てを頑張っている母親にとっては「子供は放っておいても育つ」という言葉は・・・・・ちょっと首をかしげたくなります。

 

やはりきっかけや働きかけを周りが与えてあげなければ子どもはよりよくは育ちません。

 

例えば、毎日自然の中で遊ばせてあげるだけでも、親の働きかけ次第で子どもへの影響が全く違ってきます。

 

もちろんただ、自然の中を走りまわらせるだけでも、今の世の中その環境の場所へ親が子どもを連れ出すだけでも、立派な「働きかけ」です。

 

それプラス、周りの植物についての説明や、関心を抱くきっかけを作るだけでも子どもの可能性を引き出すきっかけになるかもしれないのです。

 

親が草花に詳しくなくても、「問いかけ」なら誰にでもできます。

 

「この花は何だろう」

「どんぐりにも色々な形があるんだね」

「何で今日は松ぼっくりの形が違うんだろう」

 

などなど。少しのきっかけの種を与えてあげるだけでいいのです。

そして4歳ぐらいになると、一緒に本などで調べて親も勉強すればいいのです。

 

親が楽しそうにやることを子どもが放っておくわけがありません。

 

親の子どもへの働きかけ、きっかけづくりは絶対に重要です。そして親が子供にできる働きかけは無限にあるのです。

 

パズルだって、親がきっかけをつくってあげなければ出来るようになりません。

文字だって読めるようになりません。書けるようになりません。

  

親の働きかけ次第で全く変わってくるのです。

 

しかし親の直接の働きかけなしで成長する場合もあります。

 

それは、友達や、兄弟の影響です。

友達や兄弟の影響はすごいです。

 

誰が何と言おうと、兄弟の存在は色々な面で相乗効果を生みます。

 

だから、より一人目の育児、教育が本当に重要だと感じます。

 

一人目の育児を一生懸命頑張れば、二人目はその努力を利用すればいいのです。

 

そして、上の子が下の子に色々な事を教えてあげるように促していけば本当に相乗効果が生まれます。

 

例えば上の子が下の子に本を読んであげるように促せば、上の子の字を読む練習にもなるし、下の子もほんにたくさん触れることができます。

 

その間は、親が実際に直接かかわらなくても育っています。 

しかし、その環境をつくるのも与えるのも元を辿れば親なのです。上の子の下の子への接し方も親の働きかけが大きく影響するのです。

そしてもし、兄弟がいなかったり、親自身が仕事で直接かかわることができなくても、その環境をきちんと考えて準備するだけでも、子どもに何かを与えていることにはなるのです。立派な働きかけなのです。決して子どもを放っておいている訳ではないのです。

 

しっかり子どもの事について考えて、子どもに与えてあげたい環境について試行錯誤して与えてあげれているのであれば、それでいいのです。親が子供にできることを熱心に考えて与えているのであれば、親が直接かかわっていなくても、それは子どもの為に働きかけたことになるのです。

 

それは全く「子どもを放っておいている」ということではないと思います。

 

本当に放っておいている人は「放っておいても子どもは育つ」と子育てが出来ていない自分に対しての「逃げ」のためにこの言葉を使っている人だと思います。

 

自分自身がやりたいことをやるための言い訳として「子供は放っておいても育つ」と言っている人は・・・本当に放っておいているとおもいます。

 

子どもはやはり、周りのその子供に対する思いが強ければ強い程、その子に影響していくのです。

 

子育てにとって「放置」「無関心」ほど嫌悪するべきことはありません。

 

子どもは、強い思いを込められて育てられるべきだと思うのです。私は手塩にかけて育てれば育てるほど、子どもに影響すると信じてやまないのです。

 

強く信じていることは驚くほど影響します。

 

「○○ちゃんは優しい子」と信じて接すればその通りになるのです。

「○○ちゃんは出来が悪い子」と信じていたら本当にそうなっちゃうものです。

 

信じること、思いを託すことって本当に大切なのです。

 

時に「親の思いを子どもに託す事は子どもを縛り付けていることになりよくない」

との意見もありますが、私は反対です。

 

親の熱い思いを託されて輝いている人はたくさんいますよ。

 

だって、親の熱すぎる思いがあったからこそ、オリンピック選手になれた人たちだっているじゃないですか。

 

例えば、体操の内村航平選手や白井健三選手だって、親の体操に対する熱すぎる熱意があったからこそあそこまで立派になられたのだと。

 

親の努力があってこその今の姿だとおもうのです。

 

そして、それは親のエゴで悪いことだなんてちっとも思いません。現に体操をしているとき本人たちはこれ以上ないほど生き生きとした表情を見せてくれます。

 

親が子供に思いを託すのは悪いことではない。

 

子どもにピアノをやらせる

バレエをやらせる

サッカーをやらせる

野球をやらせる

 

悪いことですか?

 

親がなんの考えもなしに、周りがやっているからなんとなく・・・というのはどうかとおもいますが、ちゃんとした理由、熱意があって習わせるのであれば何にも問題ないと思います。

 

親がバレエをとてもしたかったけれど出来なかったから、子どもに習わせたい。

 

これは悪いこと?

 

その自分のバレエに対する思いをしっかり子どもに教えて、すばらしさを子どもも理解してくれるようになったら、何にも悪いことではないかと。

 

結果的に子どもと親が「WIN-WIN」になればいいのです。

 

例えば、私は無理やり親にピアノを習わされて小さい頃嫌でした。

でも大人になった今は、ピアノを習わせてくれた親に心から感謝しています。

そして絶対に自分の子どもにもピアノを習わせたいと思っています。

 

一方、私の旦那の場合は、私と同じく無理やり親からピアノを習わされていました。

そして今、「あのピアノのレッスンの日々は無駄だった。大っ嫌いになった。」と言っております。

 

この違いは何でしょう。

私は親の熱意とやり方次第だと思います。

私の親はそれはそれは厳しかった。でもその分音楽のすばらしさ、自分で音楽を演奏できる楽しさも伝えてくれ、その強い思いが結果的に私の心を動かした。

 

おそらく、夫の親はやり方を誤ったのでしょう。そう、そしてピアノに対する熱意も好き度も私の親ほどでなかった。またはそれを伝えれていなかった。夫が親の気持ちに反してピアノの素晴らしさについて分かる前に「大っ嫌い」の状態で終わってしまったのはなんとも悲しい結果です。

 

「ピアノ」の良さを理解してほしいと、自分の思いが達成するまで続ける熱意がなかった。もしくは手段を間違えたのではないでしょうか?

 

ですが、その親の働きかけが親の本意でない結果に終わったとしても、決してマイナスばかりではないと私は思うのです。違う面でその子の経験の「糧」になっているはずなのです。

 

なので私は子どもに自分の強い思いを託す事は全く悪いことだとは思いません。

 

ということで、少し話がそれましたが、「放っておいても子どもは育つ」という考えは私は支持できません。特に幼児期は。

 

放っておいて立派に育つわけがありません。周りの子どもに対する働きかけがあってこそ、子どもは立派に大きく成長するのだと。

 

それは、過干渉、子どもの行動を金魚の糞みたいについて回るということではありません。

 

私は子育てにおいて常に忘れないようにしている考えがあります。

 

その考えは「親」という漢字からきています。

 

この漢字のように「親は木の上に立って見守る」という考えです。

少し遠くから子どもの様子を優しくしっかり見守っているというスタンスです。

 

子どもも親の存在を気にしていない状態で、見守るのです。

 

見守るだけ。そして無駄な干渉をせずに、本当に手助けが必要な時だけ手を差し伸べる。そういうスタンスでいたいのです。

 

もちろん親は子どものやってることにちまちま口を出したり、助けたくなるもの。でもそうなりそうなのをぐっと我慢する。これが重要だと思うのです。

そして子どもが困った時にさりげなく最低限のアドバイスや手助けをして後はまただまって遠くから見守る。

 

このスタンスを忘れない様に心がけています。もちろんできないこともありますが、心がけるだけで違います。

 

子育ては植物を育てることに似ている気がします。

 

種を植えただけでほっといてもその植物は立派に育ちません。

 

そして、なんの考えなしに作業的に水を与えるだけでもおそらく立派には育ちません。

 

その種にとって土や日当たり、水の量について考えながら世話をした方が立派に成長する可能性が高くなるに決まっています。

 

その種の植物を立派に育てよう!という強い思いがその植物を立派に育てるのです。

 

それは、観察力、情報や経験による知識、様々な努力が必要です。

 

時に自分の思い通りの影響がすぐには現れないこともあるかも知れません。

 

でも、その努力は無駄になることはない。その経験を生かしてまた違う手法を探し出してやってみたらいいのです。

 

ですが、放置していて、関心なしでただ適当に水や肥料を与えるだけで立派に育つはずがないのです。

 

強い思いを込めて枯れないように丁寧に丁寧に考えて手塩にかけて育てるほうが、立派に育つ可能性が高くなるのは明らかです。

 

もちろん、朝から晩までその植物を監視している訳ではありません。

観ていない時ももちろんあるでしょう。

こちらにだってこちらの生活があるのですから。

 

でも、それは断片的な「放置」であって、定期的には観て洞察力をもってその植物の状態を把握して働きかければ、それは全体的には「放置」にはならないのです。

寧ろ、しばらく「放置」したことによって見えてくることもあるかもしれません。

なので正直、「子供は放っておいても育つ」はある意味では正しいのです。

 

しかし、この「放置」を「終始の放置」と履き違えてはいけないのです。

 

なので、やはり私は「子供は放っておいても育つ」という言葉は好きではない。

 

なぜなら、とんでもない勘違いをさせる可能性があるから。

そして、子育てを頑張っている人たちの努力をないがしろにする言葉だから。

 

以上の理由が「子供は放っておいても育つ」の言葉が嫌いな理由です。

 

私は子供を立派に育てたいと強く思っています。

 

他の親が思う立派と、私が思う立派は、おそらく異なっていると思います。

でも、それでいいのです。それが当たり前なのです。

それぞれの価値観によってそれぞれの立派を目指して子育てすればいいのです。

 

以上、長々と語ってしまいましたが、私が一番いいたかったことは「子育ての努力は決して無駄ではない!」これだけ。

 

一見無駄に思えることも決して無駄ではないのです。

 

ということで、子育てを一生懸命頑張っているみなさま、今後も努力していきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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