悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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うつ病や自殺の原因は愛不足?愛の枯渇?地球規模で愛不足が深刻?

思考するヒエヒエです。

ずっとなんとなくモヤモヤして考え続けていた内容なのですが、

今の世の中「愛」不足が深刻なんじゃないかって。

過去に「愛とはエネルギーの一つ」と書きました。


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愛とは「肯定的な関心」と私が勝手に定義しています。

そう…

愛というエネルギーが不足してきてる。

え?スピリチャルな怪しい話ではないですよ(多分…って前もこのくだりあったな)

愛って概念あやふやで実態のないものですが、確かにエネルギーとして存在しているのです。

そして人間にとって必要不可欠なエネルギーです。

その証拠に私は今5、3、0歳の3人の子育て中ですが、母親である私の愛情の取り合いに必死です。

気を引くために「愛」というエネルギーを取り合うのに必死なのです。

「愛」というエネルギー確保に必死なのです。

0歳児でさえ、愛を確保する為に可愛いい容姿と、天使のような笑みを備えているのです。生き続ける為に。

不足しては生きていけないから。

私は子供は大人の縮図だと考えています。

なので、大人も愛というエネルギーなしには生きていけないのです。

「愛」は車のガソリンようなものだと思うのです。

動く為には必要不可欠。

しかし、「愛=肯定的な関心」は、なんだか枯渇してきてるんじゃないかしら。

そう、人間は増えすぎた。

母親になって分かったのですが、いくら綺麗事を言っても、子供が増える分だけ一人一人に与える愛情が減ります。

一生懸命母親が頑張っても。

これは確かです。

子供が2人になれば母親からの愛も2分の1、3人になれば3分の1になります。

ですが、これは母親一人が与える愛情は減るのであって、その分他から補えばいいのです。

まぁ、この話はまた別の機会に書くとして、とにかく、人間は増えすぎて、エネルギー不足の人間が増えているのではないか、と。

じつは世の中は愛というエネルギーの激しい争奪戦が繰り広げられているのだと。

愛が不足した弊害が「うつ病」や「自殺」という現象に現れているのではないでしょうか。

実は私は昔、「自殺」という言葉が頭をよぎる程、追い詰められた経験があります。

今振り返るとあの時の私はきっと病院へ行っていたら「うつ病」と診断されていたでしょう。

とにかく身体が鉛のように動かなくなり、しんどくてしんどくてたまらなかった。

日常を送る為に人前に出るだけでも、ふつうに振る舞うだけでも、必死でした。

その時感じたのは、「うつ病」で自殺する人は逃げて死を選ぶのではなく、エネルギー切れで、死を選ばざるをえない状況になるのだと。

ガソリンの無い車はいくら走りたくても走れない。

非情にも世の中は弱肉強食。

ガソリンの争奪戦に勝たないと、ガソリンは回ってこない。

自分から求めないと誰もガソリンを与えてはくれない。

生き残る為には「愛」を確保し続ける能力を備えなければ。

いつまでも親から愛を与えられ続けられるなら別だが。

「愛=肯定的な関心」を誰からも、何からも得られない、自分って何だろう。自分って誰からも必要とされない何処にも使えない不必要なネジなのか…。

必要ないものは淘汰されるのが世の常。

自分自身で、自分自身を必要とされないネジと自己判断した結果が自殺なのだろう。

そう考えたらペットはうつ病の救世主かもしれない(少し脱線…)。

きっと愛を確保し続けるミソは「愛を与える事の重要性」に気づくことなのだろう。

そして「肯定的な関心」を自ら周りにもち、自分も周りから関心を寄せられるような能力を身につける事が大事なのだと。

愛は相互作用で生み出せる。

愛というエネルギーは互いに正しく作用してこそ、増幅できるのだ。

だから「周りに無関心」はダメだ。

世の中の人間が「周りに無関心」になる傾向になってはダメだ。

自己中心的になってはダメだ。

愛がどんどん枯渇して、人間はきっとどんどん生きづらくなってしまう。

愛が枯渇したら、その代替のエネルギーは一体何か?

きっと、「憎悪」だ。

憎悪を一番沢山生み出すのは戦争だ。

今の人類が戦争を始めたら…。

きっと人類の破滅だろう。

なんて大それた話になってしまったが…

「愛が地球を救う」

私は本気でそう思っているのです。

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