悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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文章を書くことはきっと裏切らない。

文章はきっと裏切らない。

自分の表現したい何かをきっと表現できる。

楽器は裏切った。

いとも簡単に私の理想とする場所から遠ざけた。

それまでの努力をいとも簡単に打ち砕いた。

でも、きっと文章なら私を裏切らない。

きっと、私の思い描いている世界を表現できるはず…。

地道に努力さえすれば、きっと…。

もちろん簡単じゃないのは知ってる。

でも、きっと私に微笑みかけてくれるはずだ。

本当に「誰かの心を揺さぶる何かを生み出す」って難儀なことだ。

その対象が、広範囲になればなるほど、とてつもなく難しい。

まー狭く深くか、広く浅くか…

広く深くは…超人の域かもだけど。

どんな人間をも心を揺さぶる「もの」ってあるのだろうか。

音楽?文章?絵画?

でも、耳が聞こえなかったら?文字がわからなかったら?目が見えなかったら?

全人類が共通する心を揺さぶる普遍的なものは?

生理的なものは抜きにしてさ。

そんなのあるはずない。
全人類が信じる宗教がないように。

だから、わかる人にだけ届くようにするしかない。

きっと、私が全力で自分の生命を振り絞って、表現したとしても、きっと伝わる対象の人間はほんの一部だろう。

それでも私はいつか、一部の人にだけでも、わたしの感じている世界が共有できることを夢見てる。

私というちっぽけな存在が新しい何かを創造できたらなんて素敵なんだろうって思う。

「ビューティフルマインド」って映画で心に残った台詞。

「こんな世界を造るなんて、神様はきっと物凄い芸術家ね」

…だっけ。詳細わすれた。

「神様は芸術家」この例えは言い得て妙だと感じる。

私は身の程知らず過ぎるけれど、神様の足元の微生物にも及ばないだろうけれど、

芸術家に憧れている。

もし本当に宇宙をつくった超越した存在がいるならば、きっと芸術家だ。

こんな複雑で美しい世界を創造したのだから間違いない。

なんだか、自由に文章を書いてると、どうしてもポエマーみたいな感じになってしまう。

なんでだろう。

自分に酔ってる?

って馬鹿にされたり非難されるのを恐れるのは学生時代だけで充分。

そんなことを恐れてたら、何も出来ないって遅まきながらでも気づいてよかった。

非難を恐れてたら本当に何もできないのだよ。これ、大人になって学んだ一番の収穫かも。

イソップ物語の「すっぱいぶどう」のキツネみたいな人がなんて多いことか。

手に入らないから、「あのぶどうは酸っぱい」って自分を騙さないとやってられない。

本当は喉から手が出るほど欲しいのに。

「あのぶどうは酸っぱい」「酸っぱい」「酸っぱい!」

そんな主張を必死でしている人は内心…

「あのぶどうが欲しくてたまらない」

のだから、

わざわざ、その言葉を真に受けてうろたえてたら、相手の思う壺。

ブログへの悪意のあるコメントなんてほぼ、この感情だよ。まったく。

この感情を表す用語って「ルサンチマン」だっけ。

本当に足を引っ張る人たちの鴨に自らなってはダメダメ。
ある種のゾンビなのだから。

上へ上へ行く為の第一関門って
きっと、「ルサンチマン」によって足を引っ張る輩を振り払って突き抜ける事だと思う。

きっと何処の世界にもあることなんだろうけどさ。

…と、いつものように、脳内をフラフラと浮遊散歩していると、ダラダラと長くなってしまった。

ちょっとここでタイトルについてつっこんでみる。

「文章を書くことはきっと裏切らない」

だけど、細かく追求すると

「『文章を書くことはきっと裏切らない』かどうかは、分からないけと、努力を積み重ねて、時間をかければ少しずつなら上へいけると、私は信じる。一発勝負の楽器だと、いくら吐きそうなぐらい努力しても本番で一瞬で崩れ去ることもあるから。」

みたいな感じ。

過去に楽器で何があったんだよっていうツッコミはさておき、

私はこの一年も

文章の可能性を信じて書いていこうと思います。

では、脳内浮遊散歩にお付き合いいただきありがとうございました。

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