悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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寝室にムカデと悪魔がでた。

ある天気のいい日、掃除機をかける為に敷布団をめくった。

めくった瞬間、時が止まった。

裏側に人差し指ぐらいのムカデが布団に静止していた。

私の頭はムカデを仕留めるモードに一気に切り替わった。

急いで物置に走り中を引っ掻き回して殺虫剤を探す。

見つけた殺虫剤を握りしめ、そばにあったハサミを手に取り早足でムカデのもとに向かう。

そこにムカデはいなかった。

私は瞬時に夜寝る時の恐怖を想像する。

ムカデの潜む場所に頭が支配される横になった暗闇を。

もし寝ている子どもの耳にでも入ったら…。

 

そう想像した瞬間、私の顔つきはキリッとなる。そして、部屋中を慎重に慎重に捜索し始める。

几帳面な博士のように、ゆっくりそして冷静に、だけどただならぬ熱意を秘めてムカデの潜む場所を探す。

その時の私の頭は限りなくクリアだった。

それはたった一つの目的に行動が支配されていたから。

その目的は「ムカデを殺すこと」。

私の頭の中はその目的で一杯になった。

ものすごい集中力でムカデを探す。

部屋の角の床のござを静かにめくった次の瞬間、ヤツがいた。それは、畳の端の溝にうまく沿って静止していた。

私は目を見開き、手に握っていたハサミを集中してヤツに狙いを定め、瞬時に突き刺した。

それはあっけなく外れ、ヤツはすごいスピードで溝に沿って移動し始めた。

私はネズミを追いかける猫のように周りをどんどん引っぺがし、ヤツを追いかけながら殺虫剤を噴射した。

このチャンスを逃したらまた地道な戦いが始まってしまうから、今が重要だ!

そんな戦士の血が私にすごい集中力をもたらし噴射させる。

その気合いが功をなしたのか、ヤツの動きは次第に弱まり、部屋の反対側の隅でゆっくりと動かなくなった。

私は無表情でヤツの動きを真剣に観察した。

そして、完全に動かなくなったのを確認すると、「ふう〜」と一息吐いて、ゆっくりと立ち上がり死骸の処理にとりかかった。

一気に体が緩まり、なんとも爽快な気分だった。

ビニール袋とティッシュを手に持って戻ってヤツを眺めた。

 

なんとも可哀想なムカデがそこにいた。

そこには何の罪もないムカデの死骸があった。

私は少し前の、殺す事しか頭になかった、まるで悲惨な戦場の兵士のような自分を振り返って密かに背筋が凍りついた。

そして、その悪魔を見て見ぬふりして、台所のゴミ箱にしっかり縛った袋をポイっとすてた。

そして、そのまま何事もなかったように皿洗いにとりかかった。

 

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戦争の事しか考えれない世界になってほしくない。

昼食時にテレビをつけてニュースをみていると、大体戦争の話題が上がり、気持ちが暗くなる。
戦争のことを本当に今真剣に考えないといけないんだ…と平和ボケした私はテレビに責められている気分になる。
「自分が描きたい絵を描きたいな〜」なんて呑気なことを考えてばっかりの自分が、なんともくだらなく、見当はずれな事に時間を費やしているような気分になってくる。


確かに、戦争については真剣に考えなければいけない事なのは間違いない。
色々と日本の今の状況や立場、歴史を知っておくべきだと思う。
そして、戦争を加速させるエネルギーに取り込まれないようにしていかなければならないと思う。
だから、その為に一人一人が戦争について知るのが大事だということは言うまでもない。
知らないと、抑止する方法も選び取れないのだから。
そして、それは戦争に取り込まれることとは区別しなければならない。
常に冷静な視点をもって、戦争を加速させる熱意とは離れた場所に立てるようにしたい。
そういう努力はもちろん必要だ。それでもやっぱり、「自分の好きな絵を描きたい」と思う自分を否定するのは別だと思った。


むしろ、そういう気持ちは捨ててはならないと思う。捨てるんじゃなくて、ずっとそんな気持ちを持ち続けれる環境、すなわち今の平和な状態をなんとしても守りたいと強く思い続けることが大切だと思う。
私は戦争を知らない世代だし、運良く戦争を日常的に深刻に感じずにすまされて今まで生きてきた。
そして、その日常が私にとっては当たり前だし、それは決して悪い事だとは思わない。
当たり前だから、戦争による命の危険なんて、これっぽっちも心配せず、無防備な精神状態で絵を描きたいと思えたり、芸術や哲学についてだらだらと考えたりできてきた。
暇つぶしのアニメだって、漫画だって、本だって、ゲームだって、たくさん触れることができた。そして大好きにもなった。
だけど、戦争が日常のすぐ隣にある存在になってしまったら?
もう、きっと「絵を描きたいなー」とか「人間とは?幸福とは?」なんて考えている暇なんて許されない。
娯楽に費やす暇なんてなく、戦争に関する情報集めに必死になり、日常が戦争に侵食されるだろう。
一瞬一瞬が緊張して、必死で、今しか生きれなくなる。
家族の命の存続について考えてばかりになり、失うことから逃げるので精一杯になるだろう。
大切なものを失うぐらいなら、攻撃もしてやる。
きっと、こんな心境になるに違いない。
そして、積み上げてきた文化とか芸術とか思想とか一気に無価値にならざるを得なくなり、瞬間的に破壊すらできるようになるだろう。
それは、自分自身だけでなく、もちろん相手のものも。

 

そう、戦争による刹那的な「刺激」はどんな芸術の「刺激」も敵わない。
だから、戦争はあんなに、歴史的価値のある美しい建造物とか平気でバンバン一瞬で破壊できたりするんだ。
なによりも、破壊する対象を美しいと思えなくなってるから、容赦なく破壊できる。
価値があって美しい。
そう思っていたら破壊なんてできるだろうか?
自分の大切な子どもを無感情で破壊できる人がどこにいるだろうか?

自分達の今の文化を愛して守りたい人ほど、戦争は忌むべき相手だ。

戦争は人間の動物的な本能を呼び起こす。時間をかけて積み上げてきたものを簡単に破壊して、その美しさよりも、その瞬間の快楽に価値を見出す。
破壊する快楽。優越感。それは、「破壊することによって独善的な価値あるものを守る」という言い訳で戦争中はいくらでも許される。
だから、私は一人一人が、人間の創造物や命の美しさの価値をしっかりと理解して大切にする心を育んで守っていくことが大事だと思う。

それは近視眼的な目では駄目だ。普遍的な視点が必要なんだ。
自分のものだけを愛するんじゃなくて、相手のものも愛せれるようにならなきゃ。

そこには、粘り強さ、忍耐強さを愛する気持ちが必要だと思う。
人間の創造物を愛するなら、戦争なんて近づけてはだめだ。
人間の命の美しさを守りたいのなら、戦争なんて近づけてはだめだ。
戦争が、人間の動物的な本能の美しさに価値を置く立場だとしたら、人間の理性的な部分の美しさに価値を置く立場の人間は対向する必要がある。


戦争には、麻薬のような閃光のような快楽が存在するのかもしれない。もしかしたら、私はその快楽を知らないから、こんなきれいごとをサバサバと言えるのかもしれない。

でも、その快楽の代償は、気が遠くなるような苦しみと損失だということははっきり分かる。私は今の自分の生きている状態と環境が好きだから、そんな破滅的な快楽知りたくもない。

そんな快楽に突き進むのは、きっと、今の自分の状態と環境が壊れてしまってもいいぐらい大っ嫌いになってしまったからだ。やけくそに変化を求めるからだ。

 

人間は誰だって自分の大切なものは守りたい。

それは人間に限らず、他の動物だって同じだ。

自分の立場や大切な存在を守りたいのは、動物も人間も変わらないと思う。


だけど、人間は他の動物とは違う人間独自のやり方で大切なものを守って、そして創造し、発展していけると信じたい。

 

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【デジ絵練習⑨】銀河の小舟

久しぶりのブログのデジ絵。

数えてみたら、まだブログでは9枚しか描いてなかった。

おっそ…。

まぁ、のんびりと自分の描きたい絵を描いていけばいいかな( 一一)

今回は宇宙を描いてみた。

私は昔から、宇宙にどことなく惹かれる。

宇宙って神秘と未知の塊じゃん。

きっと、そういう壮大なモノが私は好きなんだろう。

宇宙の星雲の色合いとか本当に綺麗。

やっぱり好きなモノを描くのは楽しい。

実は今回の絵のイメージは詩が最初だった。その詩を書いているときにイメージした風景を描いてみた。

その詩はまた「ココア共和国」に投稿したから、また雑誌に掲載されたらうれしいな。

そんなに甘くはないだろうけれどね。

自分の好きな事をして何かを生み出すのは楽しい。そして、生み出したものが誰かしらに見てもらえる環境を持てるということはとてもありがたいことだと思う。

その生み出したものは自分自身のようなものだから、正直誰かに見られたり評価される可能性があるのは身構えてしまう自分もいるけれど、そんな自分の態度もひっくるめて、認めて受け止めればいいと思う。

表現って自由なんだからね。正直誰が何と言おうが、その意見を踏まえてなお自分がいいと思えばそれが正解。

もちろん誰かに被害を及ぼすことはいけないことだけれど。

その点を気を付ければ、限りなく自由だ。そして、自分が生み出したものが誰か一人にでも心に何かポジティブな影響があったら、それだけでうれしい。それは文章でも絵でも同じだと思った。

私は私の自由さを失わないように自分の好きな道を歩いて、自分が心から美しいと思う場所にたどり着けたらいいなって思う。

それがたとえ、カタツムリのようなスピードでも、

1円も生み出せなくても、

私はそれでいいと思った。お金じゃない、何かが誰かに与えれるのなら。

一緒に住んでいる人には多少迷惑がかかっちゃうかもしれないけど。

色々な兼ね合いを考えながら、進んでいきたいと思った。

 

あ、あと今回の絵で水面に鏡のように映る絵を描くのが、むちゃくちゃ簡単すぎて(部分コピーして回転貼り付け)やっぱりデジタル凄ーいって感動しました。デジタル絵はとにかく手描きに比べるとずるい点が多々あります(笑)

 

 

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