結果が全てだ。
結果が悪かったら自分の努力不足。
そんな考えで、自分を責めて苦しんでいませんか?
昔の私がそうでした。
私はある楽器に魅せられて、舞台で自分の思い通りに表現できるならば、どんな努力も惜しまないと、必死な時がありました。
その時は、本当にそれだけを目指していました。本当にストイックに。
本当に憧れていたのです。
でも、後輩達がどんどん上達していって、私なんか、その人達が跳ぶ、跳び箱の踏み台にされたみたいな…、本当に哀れなものでした。
でも、その人達には、こんな私の必死さなんて、全くわからなかったんでしょう。
勝者には敗北者の気持ちなんて分かるはずが無い。わかる時は、負けた時だけ。
その時の後輩達は、上だけを見ていて、私の事なんて目もくれない感じ。
私が喉から手が出るほど、欲しいものを、やすやすと手に入れていく。
そして、無神経に一番私が言われて嫌な事を何気なく言う。
私は必死に傷ついた表情を出さない様に、不自然な笑みをつくる。言った方が想像もできないほど必死に。
そして、陰で頑張る。恨みもはいっていたかもしれない。
でも、必死過ぎて視野が狭くなりすぎていたのかもしれない。
周りの目が気になり過ぎて、全く上達しない。
不安は膨らむばかり。
いくら練習しても、不安は無くならない。
むしろ退化してる?
よくわからないプライドが邪魔をする。
こんな邪魔なプライド、どぶにでも捨ててしまえ!…と、何度思ったことか。
後輩達の眩し過ぎる発表を目の当たりにして、何度、心が痛く締め付けられたか。
だけど、最終目標の演奏会までは、必死に努力する。なりふり構わず。
すごく屈辱的だったけど、演奏会でいい演奏をする為なら、陳腐なプライドなんか捨てて、馬鹿にされた後輩にも教えを請う。
毎日、集大成の演奏会で「いい演奏をする事」この事のみを考えてた。
私は、努力して手に入らないものはない、その時は本当にそう思ってた。結果が全て。
そして、演奏会前日のリハーサル。
自分でも驚く程の最悪の出来。
発表前日の夜は全く眠れない。
頭の中は常に「明日が怖い。出来なかったらどうしよう。」
食事が喉を通らないって状態を初めて経験した。
本番の結果は予想通り。想像以上の出来の悪さ。
その時、誰かから、「もっと練習しないと〜。」とか、言われたら、何処かから飛び降りたくなったでしょう。
結果が全て。だとしたら、私の努力が足りなかったっていうの?
でもこれ以上、本当に努力出来なかった。でも、結果が全て?
私は一体…。
この後、しばらく私は自分を見失っていた。今までの自分の価値観がこの体験で、崩れ落ちた。周りから見たら、何も変わったように見えなかっただろうけど、私の中はボロボロだった。
周りは私のこんな状態を知らないし、気付いてもない。普段通りを振る舞うのに必死。だけど、本当の私はもう、あと1個で崩れるジェンガーの様。真の孤独を知った。
今、この文章を読んでいる人でもし、こんな状態の人がいたら、私は胸を張って言いたい。
結果がすべてなはずがない!
努力しても出来ない事はある!
一生懸命努力したその過程、結果は絶対無駄ではない!
私自身が、この経験によって、結果の出来が、必ずしも努力の量に比例するとは限らないことを知る事が出来た。
この経験がなかったら、敗北者を心から讃えるという心理を一生理解出来なかったかもしれない。
本当に真面目で、結果が全てと思って、頑張って、でも、報われなくて、押しつぶされそうな人がもしいたら、言いたい。
その努力を、見て、理解してくれている人が必ずいる。絶対にいる。
私自身、自分が駄目駄目だと思ってた演奏でも、本当に感動したと言ってくれた人がいたのです。
不思議ですが、例え本当に結果が良くなくても、わかる人には、わかる何かがあるのです。
この記事が、孤独な何処かの誰かさんに、届きますように。