悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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知らない事って罪かもって思った話(暗めの記事)

3歳児と1歳児の育児中の主婦のヒエヒエです。

私、年末年始風邪ひきました。あーもー咳が止まらん。身体だるい。だけど熱なし。

こんな体調悪い時って、精神的にも弱ってきますよね。

そして実家に帰っている私。さらに昔の苦しかった記憶が蘇ってくる。

別に実家にいることが苦しかった訳じゃない。苦しかった時を過ごした時間が長かっただけのこと。そして苦しかった時に見た風景が実家の風景が多かっただけのこと。

苦しかったって、病気で身体的に苦しかったって話ではなく、精神的に生き続けるのが苦しかったってこと。

孤独感で死にそうになって、1人で部屋の中に閉じこもっていた時の記憶とか、自分の部屋のベッドに寝転がってみると蘇ってくる。

今だからこそ、笑って話せるけれど、学生時代の生き苦しかった当時を振り返ってみると、私はうつ病だったんじゃないかと。

私は友達からよく「〇〇ちゃんは、悩みなさそうだよねー」とか「緊張とかしなさそうだよねー」なんて言われてた。

だけど、そんなこと全くない訳で。悩みなんか常にあるし、緊張なんてむちゃくちゃするタイプ。緊張し過ぎて訳分かんなくなるぐらい。

でも、そんな感じには周りの人は見てくれなかったみたい。ひょうひょうとして難なくこなしてるように見えていて、どんなことを言われても傷つかないように見えるみたい。

でも、実際は私は表情とか、感情を外に表す能力が無いだけ。弱みを人に見せれないだけ。

いくら傷ついたりしても、ヘラヘラその場では笑っていられて、必死に耐えてトイレとかで泣いてるタイプ。ある意味役者だ。

こんな性格になったのは母親が原因かもしれない。「手がかからない良い子。なんでも要領よく上手くやる。」っていうイメージを死守するために培われた能力「ポーカーフェイス能力」だ。

だけど、その「ポーカーフェイス能力」ではカバーしきれないほど弱り果てた時があった。それが生き苦しかったその当時だ。

その時は、その弱り果てた姿を見せる事が出来る場がない事に絶望感を感じていた毎日だった。他の人の私のイメージは「ポーカーフェイス能力発動時の私」であって、ある意味虚構の私。そして本当の私の姿なんて誰も知らない。私って何?本当の私の事を知っている人はこの世界に1人もいない。自分がちぐはぐだ。

この時の孤独感と絶望感は今でも忘れられない。そして、世界が真っ暗に見えて、気が遠くなっていくような気がした。自転車で街の中を走っていて、街がモノクロの世界のように見える。この世の中が真っ暗闇。世界がとてつもなく暗く、孤独で家へ帰る為に自転車をこいでいる、そんなのわかりきっているけど、何処にも向かう場所がないような・・・。そんな、永遠に続く悪夢の中にたった1人でいるような、そんな気がしたのです。

 

あ、私このままじゃ本当に駄目になるって。

 

何か行動しなきゃって。

でも、その行動がわからない・・・。

私が思いついた行動は母に悩みを打ち明けることだった。

悲しい事だが、その当時の私には素をさらけ出せるような親友も誰1人思い浮かばなかったのだ。1番打ち明ける事が出来そうな相手が母親という現実。この現実もさらに孤独感に追い打ちをかけた・・・。で、重い口を開けて私が本当に勇気を振り絞って母親に言った一言。「私、・・・・うつ病かもしれない。」しかしその言葉を聞いた母親の表情をみて、絶望の底へ突き落とされた。母親は私が嫌いなすごく苦しそうな歪んだ顔をしてヒステリックにこう言ったのだ。

「なんで?何がそんなに不満なの?こんなに私は頑張っているのに、なんでそういう事になるの?なんで幸せと思えないの?うつ病ってどんな病気かわかってるの?」なんでなんでのオンパレード。その反応を見て私は、あ、私の素をさらけ出せる場所はここには無いんだ、と確信した。

そして、いつもの「ポーカーフェイス能力」を発動して、「うん、お母さんのいうとおりだわ。多分これうつ病じゃないわ。」で、母親のヒステリック発作に対処した。そして、私は更に生きるのが苦しくなった。

この時、痛い程痛感した。

いつも顔を合わしてるからって、親子だからって、全然わからないものだって。

多分母は私のことなら何でも知っていると当時きっと思っていた。でも、それは悲しいほど勘違いだってことを身を以て私が実証してしまった。この時の母は私の事なんて何1つ見えていなかった。目の前にいるのに。

 

この時、本当に苦しかった。死んだ方がましなんじゃないかと本気で思った。

でも死ねない。なぜなら母親の悲しむ事は絶対したくないから。それだけは確実に言えた。それだけが私を生かしていたと言っても過言ではない。そして、こんなに娘が苦しんでいる事も毎日顔を合わす母は知らない。

 

より一層孤独になった。

 

私は素の自分を見せたら、非難されて嫌われるんだ。きっと、世の中の人みんなから私の素は受け入れられないんだ。

 

だから何とか今まで作り上げてきた張りぼての虚構の私のイメージを維持し続けなくては。張りぼてを維持するだけで必死だった。だけど日常は私の都合関係なしに続いていくわけで。でも、無理なものは無理であって・・・・。もう張りぼての中はあり得ないほどボロボロで・・・。今にも崩れる寸前だった。

 

・・・で、どうやってこのピンチを切り抜けたか。詳細は書きたくありませんが・・・。とても陰で頑張ったのです。まあ、この記事を見たら何となく察しがつくかもしれません。

 

 

www.hiekashi.com

 

 

とにかく、いつものように母親に気付かれないように陰で努力して対処しました。いつものように。私の中で起こった事なんて母にはきっと想像だに出来ないことでしょう。母は何も知らない。でも、いいんです。それが私にとっても幸せなことなのです。

「知らない事は罪である」って言葉、どこで見たっけ。忘れたけど、この言葉本当かもって少し思った。

 

だってね、その一連後、しばらくしてから母親が私に話した悩み事が滑稽で。母親の兄妹の子供が問題ありの子で、その子の母親が悩んでるって話。「で、その子、心療内科に行って、うつ病診断のための書類の質問について書いたの。で、その質問に、貴方は死にたいと思ったことがありますか?って質問に、はい、に丸してたんだって!!それを見てねーすごいショックだったみたいよ。だって、死にたい・・・よ。本当に衝撃的だよね・・・、もー(なんとか、かんとか、うにゃうにゃ。)」なんて、すごい大ごとみたいに話す母。いやいや、灯台下暗しって正にこのことだよって。心の中で笑っちゃった。で、私が「ふーん」なんて軽く流してたら、「あんた、なんでそんな、他人事なん?!」なんて、怒られる始末。本当、貴方は幸せものだねって。目の前の娘に過去に死にたい願望があったなんて夢にも思ってないんだろうね。

 

というとこで、過去のドロドロの自分に想いを馳せると今って本当に幸せだなって。

 なぜなら、素の自分を受け入れてくれる存在、今の夫がいるのですから。そして、そんな夫の存在ができたと同時に、今までの母親の呪縛から解放されたのです。

 

私にとって、ありのままの素の自分を受け入れてくれる夫の存在を得た事は、もう宝くじで一等当たったってレベルなんか豆粒に見える程、私の人生にとって幸運な事でした。ありのままの素の自分を受け入れてくれる人なんて存在しないって思っていましたから。

なんて、結局夫大好き話に落ち着いちゃったなあ。

 

でも、過信は禁物。人間、無償の愛は存在しないってね。ありのままの自分をずっと受け入れてくれるように努力を継続しないと・・・って最後に少しシビアになったヒエヒエなのでした。今日の記事内容重いな・・・。

 


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