悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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夫との運命の出会いについて私なりに全力で表現してみた

3歳児と1歳児の育児中に奮闘中のヒエヒエです。 前回、以下のような運命の相手に巡り会うたとえ話を書きました。


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ある男が理想の花を手に入れるために森に行くとする。
歩き回って探す。おろおろ歩く。走ってみたりもする。雨の日も、晴れの日も歩き続ける。でもみつからない。花はそこら中に沢山あるのに。何か違うのだ。必死になる。ある雨の日、そもそもこんなに探しているけど、理想の花って何だ?って悩み始める。バラのような花か?いや、僕にとっては理想の花はバラではない。あんな派手なのは違う。棘も嫌いだ。濃い色よりは淡い色がいい。なんとなくのイメージはある。でもみつからない。そもそもそんな理想の花なんか存在するのか?あーもう分からない。・・・と男は理想の花がわからなくなってしまった。疲れ果ててしまったのだ。
そして男は久しぶりに座って休む事にした。雨はすっかりやんでいた。こんなに落ち着いたのはいつぶりだろう、と男は思う。確かに今まで男は必死過ぎて休むのを忘れていたのだ。
その日は満月で星の輝く美しい夜だった。男は思う、こんなに美しい夜は初めてだ、と。休んで景色を眺めていた男は丘の上にキラキラ月光に照らされて輝く花を見つける。男はその花に近づく。その花は昼間に降った雨の水滴に月光が反射してキラキラ輝いていた。その花の美しさに息をのむ。まさにその花が彼の探していた理想の花だった。

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で、なんだか、この話だけだと男視点だけなので、花視点が表せておらず不自然だと思ったので花視点で書いてみたいと思います。

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ある孤独な種のお話。
その種はたまたま丘の上に落ちた。その種は必死に生きようとした。それだけでいっぱいいっぱいだった。なぜなら厳しい環境の丘の上で生きるにはあまりにも弱かったのだ。でも必死に成長した。ギリギリで生きた。丘の上という場所から逃げ出したかった。丘の上は日照りがきついし風雨にも晒されて生きづらかった。でも、その場所で、とにかく生き続けた。素敵な花を咲かせて誰かに見つけてもらえることを夢みて。その夢を励みに生き続けてある日の朝、種は蕾をつけた。その日は大嵐だった。種はもうここまでだと思った。もう風で引きちぎれる寸前だった。でも耐えた。最後の力を振り絞って。そして種はその嵐を耐えきった、そしてその瞬間花が咲いた。素敵な満月の夜だった。種は平凡な白い花になっていた。やっと花になれた。でも相変わらず花は孤独だった。孤独は永遠に続くのかもしれないと考えていたその時、ある男に見つけてもらえたのだ。本当に突然のことだった。そして男は花に言った「俺は、君の今までの努力をわかってる。今日の嵐は本当に厳しかった。君は僕の理想の花なんだ。僕と一緒についてきてくれるかい。」
花はついに孤独でなくなり丘の上から去ったのだ。

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というのが、花視点からみた運命の相手に巡り会うたとえ話です。

実はこの話、私と夫の出会いを抽象的に私なりに表した話なのです。

ということで、この男と花との運命の出会い方は私達平凡な夫婦の運命の出会い方の一例に過ぎません。 そして私には、この様な運命の出会い方のたとえ話しか書けません。何しろ私が経験した運命の出会い(配偶者としても)はこの一回だけなのです。

でも、はっきりと言えるのは、私以外他の誰も知りえない私の人生で一回しかない成長の瞬間(花が咲いた瞬間)に、夫に告白されて、そのタイミングが神様の存在を信じてしまうほど絶妙で素敵だったってこと。
「事実は小説より奇なり」とは本当だった。そう心から思う出来事だったのです。

そして、なぜそのように私達の間で奇妙な偶然が積み重なって運命の出会いに繋がったのか私には見当もつきません。

でも、夫との出会いはただの偶然ではないと私には思えてならないのです。

夫との出会いを「ただの偶然」という言葉で終わらすにはあまりにも美し過ぎたからです。

今までの私の人生における努力が、夫との運命の出会いに繋がっていたとしか思えないのです。

トランプピラミッドのトランプが一枚でもないと完成しないように、夫との運命の出会いも、何か1つでも欠けていたら起こり得なかったことだったのです。

でも、こんなことは人生のあちこちで起こっていることなのかもしれません。

人の死に至る流れもそうです。

ある老人がいつもの畑仕事中にうっかり転んだことがきっかけで、腰を痛めて寝たきりになり、生きがいの畑仕事ができなくなり、生きる気力を失い認知症になり息を引き取ったとします。

その老人はまさか、そのうっかり転んだ事が自分の死に繋がるなんて思いもしなかったでしょう。

周りはきっとこう言うでしょう。「あの時、畑で転ばなかったらもっと長生きできたのかもしれない。」と。

でも、「その畑で転ばなかった」場合のその老人の死なんて存在しないのです。

その死が老人の運命だったのです。

その運命のトランプピラミッドのトランプの一枚が「畑で転んだ」ってだけの話。

そして、こんな人の死に至る流れが人の数だけあるように、男女の結婚に至る流れも結婚の数だけある。

そして、それらはそこらへんに転がっている石ころの様にありふれたものかもしれない。

でも、私がとてつもなく幸運だったのは、その結婚に至る流れが、とてもドラマチックで、そしてその間、今までに感じた事がないほどキラキラ輝く幸せを感じたってこと。まるでダイヤモンドみたいに。

そして、どうしてこの様な幸運が私に舞い降りてきたのか今でも不思議でなりません。

あえて心当たりをあげるなら「努力をし続けたこと」しかありません。

陳腐な表現をするなら、「努力は報われる。」でしょうか。

もしかしたら、「努力は報われる」なんか嘘だ!ってこの言葉にツバを吐きたくなるような人がいるかもしれません。
私もそんな風に思っていた一人でした。
でも今ではこう思います。
「努力は報われない」時もあるがその報われなかった努力が無駄な事は決してない。そして、その報われなかった努力は、予想外の結果の源になったりすることもある。
だから、「結果的には努力は報われる」と私は断言したい。そして、その「結果的には努力は報われる」という段階に行くまでは信じる心と忍耐力、そして考え行動し続けることが大事だと思う。そして、その道中は本当に過酷で孤独なものです。なぜなら報われない努力をしているうちは、努力は報われないものだと思いがちだから。だって事実そんな時もあるのだから。でも、その報われない努力を生かすのも殺すのもこれからの本人の努力次第だって今なら思うのです。
だから、努力が報われないと思っている時は道中なのです。でも本人は道中ということに気づいていない。そういうものです。努力が報われて初めてあの時は道中だったんだ、と気づく。だから道中は信じて歩き続けるしかない。歩かないと何処にも辿り着けないのだから。報われた努力、報われなかった努力、どちらも大事に自分の糧にして歩き続けると、思いがけない素敵な場所に辿り着ける。わたしはそう信じているのです。

そして、今この様に信じれるのは「夫との出会い」のおかげだったのです。そして、その瞬間私の中の「努力は報われない世界」は魔法にかかったように「努力は報われる世界」になった。これは作り話でもなく、見栄を張るための話でもなく、何処にでもいるような主婦の人生で本当に起こった話。

この「夫との出会い」があったからこそ私は立ち止まったり、うつむきがちでとぼとぼ歩いていた人生という道を上を向いてずんずん歩いて行ける。しかもこれからは一人ではなく二人で。道中にどんな障害物があったって、二人で協力したら乗り越えられる気がする。

以上のことを踏まえた上で最後にたとえ話の男と花が出会ったその後の話を書いてみる。


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花は男の家の庭に大事に埋められた。
花は嬉しかった。なぜなら初めて自分の努力が認められた気がしたから。そして孤独でなくなったから。過酷な環境の丘から連れ去ってくれたから。
でも男に「理想の花」なんて言ってもらえて嬉しかった反面恐かった。
もしかしたらあの日のあの時の満月の夜だったから美しく見えたのであって、明るくなって見てみると、あまりの平凡さに絶望されるのではないかって。花は不安でいっぱいだった。
だけど、もし絶望されたとしても、花は男に感謝していた。あの嵐の後の満月の綺麗な夜に花を咲かせた瞬間男に見つけ出されたっていう素敵な思い出をくれただけで、幸せなことだったのだ。花にとってあの夜の男が言った台詞が嘘か本当かなんて関係なかった。その出来事自体が花にとってかけがえのない宝物になったのだから。
でも、そんな花の不安をよそに男は花に「自分の理想の花」だと言い続けた。そして大切に大切に毎日世話をしてくれたのだ。だから花はありのままでいいんだと安心した。ありのままで生き続ければいいのだと。そしてそれは丘の上で生き続けるのとは違う。もうあんな過酷な場所でギリギリで頑張り続ける必要はないのだ。
ただ、男の側で花を咲かせ続ける努力だけに集中すればいい。風が吹く日も日照りがきつい時ももちろんあるだろう。今までの様に。だけど、昔とは違って男が助けてくれる。

花は時々思う。男は世話をたくさんしてくれているのに自分は男に一体何ができているのだろう、と。

でも男は花にいう「そのまま咲き続けてくれたらいいんだ。」と。

だから花はこれからも安心して花を咲かすことだけに努力を集中できる。

これからも花には沢山の困難が待っているだろう。

だけど、もうここは孤独な丘の上ではない。

それだけで強く生きていける、そう花は今思う。

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