3歳児と1歳児の育児中の専業主婦のヒエヒエです。
最近思うのですが、昔は当たり前だと思っていたことは実は当たり前じゃなかったんだなって。
例えば、昔は何時間でも聴いていられた音楽も聴けなくなったり。
妄想だっていくらでもできた気がするのに、なんか昔みたいにできない。
思春期の時に必死に読んでいた少女マンガだって、なんだかもうそこまで読む気もしない。
私が小学生の時、「折原みと」の小説を初めて読んだ時、衝撃的な面白さで母親に読むのを勧めたけど、反応薄くて、大人ってこんなに面白い小説が理解できないなんてつまんないな、なんて思っていたのに、正に今の私がそんな感じだ。
飛行機だって、初めて乗った時は興奮してずっと窓の外を飽きずに眺めていたのに、今では離陸したらすぐにでも寝るレベル。
思春期の時は、男子とフォークダンスで手を繋ぐだけでもドキドキしていたのに、今ではそんなドキドキ行方不明。性欲という煩悩においては、そこら辺の坊さんより捨てれてるんじゃない?ってレベル。今なら誰と手を繋いでもドキドキしない自信がある。
これが大人になるってこと?
色々な事に慣れてしまったみたい。
でも、あの頃の自分に戻りたいか?って聞かれたらそこまで戻りたくない気もする。
村上春樹の「カンガルー日和」という短編集の中の一話でおじさんが若いピチピチの女の子に、
「何で若い頃にもう一度戻りたいと思わないの?こんなに楽しいのに。」
って尋ねられて、
「十分楽しんだからさ。君も歳をとったらわかるよ。」
「ふーん。わかんないわ。私はずーっと今みたいに若い方がいい。だって楽しいもの。」
「それは、まだ君が若いからだよ。」
「よくわからないわ。」
みたいな会話があったけど、そのおじさんの立場にちょうど足を片一方踏み入れた・・・そんな感じ。
なんか、寂しい気もする。若い頃の私に後ろ髪を引かれる感じ。
恋愛に苦しんでいた日々。夫との付き合ったばかりの頃の毎日が新しい事だらけだった日々。飲み会の度に次の日のことも考えずに馬鹿騒ぎしていたあの日々。将来の進路について頭を抱えた日々。
あの日々は当時は当たり前だと思っていたけれど、今ではもう手の届かない過ぎ去ってしまった日々。
花だって1番綺麗に咲く時期は特別な輝き、生命力の美しさを放っている。
その時期は確かに特別で美しい。
でも、その時期は永遠でないからこそ美しいんだよね。
そして、私も気付いたらそんなピークの時期を過ぎていた。ピークの時期の真っ只中にいる時には、今がピークだなんて全く感じなかった。でも今ならわかる。あの時は特別だったって。20歳ぐらいの子って何とも言えない輝きを放っている。そう思わない?
身体能力的には確かに私はピークを過ぎたかもしれない。でも、私にはやりたい事がまだまだある。やりたい事がある時は、そのやりたい事に対してエネルギーを使う時期、またはエネルギーがある時期なのだ。
今まで生きてきてやっと気付いた。すべては過ぎ去っていくものだって。無常なんだって。
子供が欲しいって思った時がベストタイミング。〇〇したい!って思った時がベストタイミングなんだって。その事に対するエネルギーがあるって証拠なんだって。
だから、私は色々と悩む事が出来るうちにブログで自分の頭の中を文章化したいと思ったのだろう。
だからブログを始めようと思い立ったのだろう。
こんな今では無駄のように思える考え事もきっと当たり前に出来なくなる日が来る。いつかくる。だから、できるうちにしておきたい。最大限に力を発揮したい。
宮崎駿だって、もう「千と千尋の神隠し」の様な雰囲気の傑作は作れないだろう。
村上春樹だって、「ノルウェイの森」以上の儚い恋愛小説はきっともう書けないだろう。
その作品を書いている最中はその時が今では手の届かないような特別な状態だったってことなんて思いもしなかっただろう。
そして、その特別な状態の時に、力を余す事なく存分に発揮できる才能、努力があったからこそ、これらの傑作は生まれたのだろう。
だから、私も今現在の自分ができる事、したい事を後悔しないように発揮していきたい。
今現在自分にできる事を満足するまでする。それがベスト。
1歳児だって、やたら階段ばかり上る時期があるじゃない?
それは階段を上る能力が備わっている証拠。その能力を発揮する時。だから満足するまで階段を上り下りすると飽きたり慣れたりして階段に興味がなくなる。そして次の段階へ進める。
こう考えると、慣れてしまうことは悪いことじゃない。次の新しい段階へ進めるって事だ。
大人だって同じだ。慣れたら次の新しい事を探せばいい。次々チャレンジしていく限り成長し続けられるのだから。
いけないことは、新しい事を探さなくなる事だ。きっと。
と、大人になる事って意外と悪くないかもって思ったヒエヒエなのでした。