3歳児と1歳児の育児中のヒエヒエです。
最近、小林麻央さんについてのヤフーニュースの記事に自然に目が行き、どうしても気になってしまうヒエヒエです。
・ブログ
・子育て
・癌(最近知人が癌になった)
この3つのワードが関わってきたらどうしても、見ちゃいますって・・・(まんまとある意味ヤフーさんの思惑通りになっております)
で、今まで小林麻央さんが乳癌だという情報は何となく知っていたのですが、今まで大して(むしろ全く)関心を抱いていなかった私です。
「冷たい」とかは言わないで下さいね。何故なら自分の生活と接点がない人間に心から同情し精神をすり減らせる程、私は余裕がある人間でも、徳が高い人間でもないので・・・。
って大体の人間がそうだと思うのですが・・・。
例えば、飢えで苦しんでいる人間が山程いる現実を常に考えながら日本で生活することなんて精神がおかしくなってしまいます。
だから、何処かでは人間は他人と自分とは切り離して色々と考えなければならないわけです。その境界や親身になる程度を決めなければいけないのですね。
冷たいようですが、それが事実。当たり前だと思うのです。
でと、私は多少悪趣味ですが、ヤフーニュースの記事に対するコメントをついついじっくり見てしまいます。
そのコメントを見て、私はコメントする方について思いを巡らすのが好きなのです(悪趣味ですねw)
どういう意図があってこのようなコメントをするのか、と。ある意味人間観察ですね。
で、今回のコメント人間観察で見えてきたことは多分ヤフーニュースでコメントをする人は、自己顕示欲を満たす場を持ち合わせていないので、多くの人の目に留まる記事に便乗して満たしている、か、かまってちゃん拗らせちゃん、か、訳のわからない正義感を持っている人、か、幼稚なコメントに我慢ができなくなった真のファンか・・・茶化しか・・・妬みか・・・恨みの対象の代替とみなしているか・・・増大したルサンチマン・・・とにかく・・・
何だか人間の醜い部分の寄せ集めみたいな・・・カオス状態・・・でしたね。
特に、わざと怒らせるような不快なコメントを書いて構って貰おうとする人が・・・ね・・・どうしても、さみしいから構って貰おうとして、いたずらや困った行動をする小学生の様に見えてなりません。
そして、その困った行動をする人に対して本気で「その行動はいけないことです!」と必死に主張しているコメント。
イヤイヤ・・・構ってちゃんの思うツボでしょ。それ。
こういう行動をしてしまう人は根本的な原因を解決せな。どうにもなりません。(身近な人どうにかしてやって!)
ということで、放置が正解(コメント削除できたら良いよね☆)。
そして、あたかも自分の考えが素晴らしい考えかの様に自信満々に主張するコメント。
よくあったコメントは「ブログ頑張らなくていいよ」とか、「ブログ書く時間を子供達に回してあげて」とか。
いやいや・・・あなた誰?って。親戚のおばちゃん?って。
本人が、ブログ書くのを優先しようが、子供との時間を優先しようが、それは本人の自由でしょ。
まさか、本気で正しいことを指摘していると思ってませんよね?
自分の人生がある意味他の健康な人よりも短く限られている人に対して、自分のことよりも子供を優先させろ!って押し付けているのと同じですよ。
母親は「子供に全てを捧げるべき」という、ステレオタイプ、私にはよくわかりません。
母親だって、一人の人間ですよ。母親が子供に人生をかけようが、自分自身の自己実現に力を入れようが、赤の他人に関係ないでしょ。
しかも、あなたにとって他人の子でしょ?責任も何もない。関心あるふりやめてくださいって。うん、私ずっとこれ思ってた。
私はもし、麻央さんが「子供との時間よりも自分の生きた痕跡を世間に残すことに力を注ぎたい!ブログに力を入れたい!」って考えをもしお持ちであれば、全力でその考えを支持しますね。
訳のわからない主張をコメント欄でする心理は私にはよくわかりません。
自分の意見や主張をどうしても発信したいのであれば、自分のブログをつくってすればいいのに・・・って思います。
なんだか・・・弱っている虫に小さな蟻が山程たかっているように見えるのです。
私は同じ「ブログに重きを置いている人間」として、麻央さんにとってのブログをする意味がとてもわかる気がします。
私も乳幼児の子育て中で、社会との孤立感の苦しさからブログを始めて、それからある意味生活に潤いが出てきました。
ブログで誰かと少しでも繋がることができる、影響を与えることができる。
その事実が活力になりました。
ブログを始めて驚くほど、毎日をエネルギッシュに送れるようになりました。普通の社会人の方から見たら、大したことなさすぎて笑われるかもしれませんが、それほど、誰かに自分の存在を確認してもらい影響を与えれることは大切なのです。
ましてや、以前元々華やかな世界で常に注目の的であった小林麻央さんが、社会から離れて病で引きこもらざるを得ないことは、本当に辛いことだと思います。
注目されるのを望んで当然だと私は思うのです。そしてそれは全く悪いことではない。・・・何が悪い?
病で体が弱っているなら尚更です。
きっと、病の苦しさにネガティヴな考えも沢山頭によぎることもあると思います。
それでも、今の自分でできる限りのできることをする。
コメントで「ヤフーニュースで知りたくない人も目につくから取り上げないで欲しい」みたいなコメントがありましたが、それは私にとっては理解ができませんでした。
そんなこと言い出したら何にも情報発信できなくなります。しかもなんで見たくなのに見るのでしょうか?少しでも関心があるからその記事をクリックするのですよね。しかも大体、内容について見出しから予想できますよね。見たくないなら個人レベルで見ないようにすればいい、と思ってしまう私は間違っているでしょうか。
私は、麻央さんの記事(公式ブログ)を拝見して、色々と考えさせられました。今の自分の子供との何気ない日常を違う視点から見るきっかけを与えてくれました。
そして、死生観について、幸せについて。子育てについて。
「癌患者を勇気付ける内容じゃない!」なんていちゃもんをつけているコメントがありましたが、勇気付けることが全てでしょうか。
私は虚しく響く軽い「明るい言葉」なんかより、真実の姿、言葉の方が、人々に与える影響力はあるし、寧ろ私はそういうものを望みます。
現に私は麻央さんのブログで影響を受けました。
真剣に自分自身と病と向き合っている姿が目にやきつきました。
私は正直、麻央さんのファンでも、歌舞伎も芸能界にも興味がない一人の子育て主婦です。
ですが、何かの縁で、麻央さんのブログを訪問し、とても多くのものを得ました。
その得たものが今後どうなるかなんてわかりません。でも確実に私に影響はしています。
そしてその影響は「無駄なもの」では決してないです。
時々「あーこの記事読んで時間の無駄だったー」っていう記事も山程ゴミのようにありますよ。
でも、麻央さんの記事はそのような類では決してない。
そう確信してます。
私は正直、麻央さんとはなんの関わりもない人間です。
ですが、幼児の子育て中、そしてブログを生活の一部としている点ではとても共感できる部分があり、そしてその結果密かに心から応援したい気持ちになっているのは事実です。
本当に本当に密かにどこかしら麻央さんのことを最近頭の片隅で考えております。
別に闇雲に悲観したり美化したりするのでなく、ただ、「考えている」のです。
そして、そんな考えをさせてくれた麻央さんの行動(ブログ)に感謝しています。
そして、麻央さんの現状に想いを寄せた時、以下のように思いました。
もし、病との闘いに終わりがあるのであれば、その終わりが辛い辛い出産の後に訪れる静かな幸せがある場所であるように、と。
以上。ある意味、麻央さんに便乗した記事でした。