悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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お盆休みに実家に帰省してつくづく「自分は変わってしまったな」と感じた話

4歳児と1歳児の子育て中の主婦のヒエヒエです。

最近実家からこちらに帰ってきました。

約一週間の滞在でした。

私たち夫婦のそれぞれの実家は近い(って言っても車で45分かかる)ので3日ずつそれぞれの実家に滞在しました。

で、実家に帰っていつも痛感するのが、しばらくいたら、自分達の家が不思議と恋しくなる。

そして、実家から帰ってきたら必ず出る一言。

「あーやっぱり、自分の家が落ちつく・・・」

私、こんな台詞が自分の口から出る様になるなんて、結婚する前には思ってもいませんでした。

こんな台詞が出るのはおじいちゃんおばあちゃんになってからだと思っていたのです。冗談でなく本気で。

私は結婚するまでずっと実家暮らしでした。

だから、まさか自分が実家より居心地がいい居場所ができるなんて思ってもいなかった。

むしろ実家に違和感すら感じるのです。

実家にいる時は飼っている犬の毛が全く気にならなかったのに無性に気になったり、

キッチンの調理道具の配置に少しイライラしたり。

そして、すっかり変わってしまった自分に愕然とする。

「あー私は変わってしまった」って。


それは、良いことなのか悪いことなのか分かりません。

「夫と私の生活スタイルを時間をかけて作り上げてきた結果」だと思うのです。

そして、その自分が丁寧に作り上げた家での生活に慣れすぎて「柔軟性」が無くなってしまったのも事実。

そして、自分の家ではない以上「口出しすべきでない」事も分かっているから、よくわからないフラストレーションが溜まっている事実。

食生活まで口を出したくなる始末。

想像以上に他人との共同生活ってある程度妥協と努力が必要だとつくづく実感した。それは実の親子でさえそうなのだ。

ふと思い出した大学時代の一人暮らしの友達の言った言葉


「一人暮らしをしたら、もう実家になんか住めない」

その時実家暮らしの私には意味がわからなかった。

でも時空を超えてやっと今、理解した。

「あーあれはこういうことだったのか」って。

自分の家庭をもって、子供ができて、親の立場になると、こんな状況がしばしばある。

もちろん、結婚する前もあったけど、親の立場になった今、頻度が格段に上がった。

「あーあの言葉はこういうことだったのか」って。

私が小学生の頃の夏休みに母親がポツリと言った言葉

「子供は楽しいけどね、親は大変なんだよ、朝昼晩ご飯作らなくちゃいけないから」

この言葉が何故か無性に頭に残っていた。

なんどもではなく一回だけ聞いただけなのに。

多分私なりに理解できなかったら印象に残ったのだろう。

当時は「ご飯を作るのってそんなに大変なのか?」って本気で思ってた。

だけど、作る側になった今分かる。

「あー食事を毎日毎日作るのってこんなに大変なことだったのか」って。

子供の頃はご飯はいとも簡単に出てきて、食べるだけだった。

時間になったら出てきて、お腹いっぱいになったら、ハイ終わり。「ご馳走さーん♪」

作る側の事なんて何にも理解してなかった。

だから「お腹減ったからご飯早くー」とか母親が「ご飯ですよー」と言って「はーい」と返事をしたくせにダラダラ漫画を読んでいたりしたのだ。

でも、それはある意味仕方がない事だ。

やっぱり、人間は経験していない事は本当には理解出来ない。

ある年配の人が昔私に言った台詞が頭に響く。

「親の有り難さは、親になって初めて分かるんだよ」

大学生だった私は「偉そうに言うなあ、こっちにだって色々あるんだよ」なんて、心の中で少し反発していた。

そしてやっぱり、今なら分かる。年配の人の言った言葉は正しかった。

でも、当時の私の感情も間違いではなかった。

時は少し遡って長女の出産後の入院中の授乳中に看護師さんとの今後決して忘れないであろう会話

「こんなにかわいいのに、いつか憎たらしく思う時がくるんでしょうねー」

と私がさりげなく言った言葉に返した看護師さんの言葉

「絶対来るでしょうね」

この言葉にピキッときた若い私。この時、私は明らかに冗談半分で言っていた。心から信じ込んでいたのだ「私は自分の子を憎たらしいなんて今後絶対に思うはずがない、この看護師さんは私を見くびっているな」と。

今心から反省します「看護師さん、貴方が言った事は正しかった」と。
これだけは完全に私が間違っていた。
そして、子供を憎たらしく思う事を「悪い事、ダメな事」と思い込んでいた頭がカチコチの私。

子育て中に親が子供を「憎たらしく」思う事は過程として必ずあるって少しは母親業を理解しだした私。ここまでよく頑張った。





・・・・

あーこうやって、歳を重ねていく事で理解することは沢山あるんだなって。

そして今なら断言できる。

自分より歳をとった人の言葉には耳を傾けるべきだって。

もちろん、「説教くさい」って反発する若者の気持ちも分かる。

だからその反発が悪いとは言わない。

そして、きっと言う側も、その反発の気持ちを理解している。

そして、温かい目でそれを見ているだろう。

散々反発してきて、今やっと素直になれる気がする。

なんて、なんだかいい子ちゃんみたいな事を書いちゃったけど、本気でそう思うのです。

だからね・・・何事も無闇に反発はしない方がいいと思う今日この頃。

いくら自分にとって受け入れがたい意見にも、反発したくなるような言葉にも、「完全否定」はするべきじゃないって。

無闇に攻撃的になったり完全否定したら、「受け入れ難い意見」の状態に自分がなったり理解した時、恥ずかしい思いをしたり、苦しむのは自分だってね。

極端な考えは持つべきじゃない。

知り合いに「学力で人間の価値が決まる学歴がすべて、頭悪いやつはクズ」みたいな考え方の母親がいて、その子供がぐれて学力最低レベルの高校に行った母親の苦悩を間近で見た。

その母親を見て「神様って本当にいるのかな」なんて本気で思った。

今まで散々、見下して生きてきた罰だって。

神様がいるかいないかの件はともかく「賢くない」生き方だとは思う。

柔軟性のない偏ったカチコチの固定観念は自分を苦しめる原因になると思う。

とまあ、帰省して色々考えさせられました。

また、いつもの様に考え込んでしまった。

でも色々考えるのって悪い事じゃない。

最近夫に言われた一言

「ヒエヒエの考え過ぎる性格は悪い面でもありいい面でもあるよなー、だって、俺はもう考え過ぎてねれない事なんて殆どないもん。昔は考えてねれない事はあったのになあ」

もしかしたら、これが普通の大人の傾向かもしれない。

何もかもに慣れて受け入れて安定して深く考えることを諦めていく、諦めざるを得ない事が。

それが大人になるって事なのかなあ。

深く考える余裕なんて今の社会人にはないのかもしれない。
そんなこと考える頭を明日のプレゼンに回さないと・・・なんて、世の中のサラリーマンはせっせととめどなくやってくる日常に脳みそを回しているのかしら。

大学時代に聞いたある言葉がぽっと浮かぶ

「大学時代が終わったら、否応なく、無慈悲に社会の一つの歯車になってせっせと働かないといけないのかー」

この言葉を言ってたのってサークルの後輩だっけ。

「大学時代は人生の夏休み」

これは誰が言ってたっけ。

とにかく、これらの言葉は確かにそうかもしれない。

そして一旦歯車になったら深く考えることは許されないのかもしれない。

ただ、歯車として働くのが、役割だから。

だから、どこの歯車になるか、徹底的に脳みそを絞って考えてなるべきだ。なぜなら一度組み込まれたら外れることはなかなか許されない。

そして、そんな社会の歯車にガチガチにはめ込まれていない「専業主婦」という立場は実は密かな数少ない抜け穴(逃げ道?)かもしれない。

それがいいか悪いかは別として・・・ね。

孤独な面もあるけど自由だ。

やっぱり、自由には孤独がつきものだ。

とまあ・・・・

帰省後のとある眠れない夜のヒエヒエの脳内会話でした。


最後に・・・覚えておきたい一言☆

「時空を超えて響いてくる言葉が脳内に散りばめられている」

って事。覚えておこう。

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