自分の感じたことを忠実に
素直に
とことん素直に
読んでいる、画面の向こうの人と
少しでも繋がれるように
自分の感じた世界をありのままを表現できて
見栄を張らず
かっこつけず
周りの目や評価を
恐れず
怯えず
堂々と自信に満ち溢れて
人を傷つけることなく文章が書けたらいいのに
ひどい言葉をあびされることがあっても
挫けず、折れず
決して恨まず
心穏やかにすべてを謙虚に受けとめ、自分を無駄に卑下することも傷つけることもせず
でも傲慢になることなく
あくまで謙虚な姿勢を忘れず
井の中の蛙になることなく
向上心を忘れることなく
少しずつでも前に
時にもどることがあっても
確実に前進しながら
文章が書けたらいいのに
だけど、それ以上に
とにかく、大自然を裸で自由に無邪気に走り回るような自然児のように
吸い込まれそうなくらい綺麗な大空を自由に飛び回る鳥のように
しがらみなんて何もない縛られない無垢な心で
自由に文章が書けたらいいのに
それは、自分の汚い部分も、綺麗な部分も、なさけない部分も、
真っ黒くろなところも、真っ白しろなところも
すべてを分け隔てることなく、
全てを愛して自由に表現でき書けたらどんなに素敵だろう
でも、そんなの
所詮「理想」だって
何事も「理想」は「現実」との間に底の見えないような深い深い谷が隔たっていて
決して手には届かないって
蜃気楼のようなものだって
わかってる
わかってるけど、「理想」は決して無駄なものではない
理想があるからそれに向かう道ができる
だから・・・
馬鹿な私はとぼとぼとその蜃気楼のような理想に向かっておろおろと迷いながら歩きたいのです
時に見失いながらでも
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【あとがき的な】
ブログを1年以上書いてきた今、最近思うこと。
私は自由に文章を書きたかったはず 。
だけど・・・
気づいたら色々なものにがんじがらめになっている自分に気づく。
そして、自分の書きたい文章からかけ離れていきそうになる。
わたしが書きたかったのは、なんだっけ?
普段は自分の奥底に押し込んでいる何かを解放したくてブログを始めたんじゃなかったんだっけ。
pvに振り回されるためにブログをやってるんだっけ。
非難されないように、誰からも嫌われないように、当たり障りないことを言うためにブログをしているんだっけ。
気づいたら目的がぼやけてしまっている。
気づいたら、自分は色々な事を怯えてばっかりだ。
これじゃあ、周りの評価や目を気にして、なにも言えなかった今までの自分と変わらないじゃないか。
本当の自分を押し殺して、周りに全力で合わせていた自分と何も変わらないじゃないか。
だから今回、自分の心を見つめ直して自分の本当に書きたい理想の文章について書いてみた次第です。
こんな書き方は最初はなんだかポエマーみたいでこっぱずかしいなんて思っていました。
ですが、素直な忠実な表現をするには「こっぱずかしい」という感情すらぶち破っていかないとできない事に気付きました。
自分の正直な気持ちを、シンプルに書くには、ポエム(と呼んでいいのだろうか?)みたいな書き方がなんだかしっくりきます。
もしかしたら、自分に酔ってる的な感情もなきにしもあらずかもしれません。
でも、書いてスッキリするということは自分の中の「何かを表現できた」ことは確かだと思います。
そして、例えもし「自分に酔っている」としてもかまいません。
だってそれが私のありのままの姿なのですから。
ですが、つくづく思います。
文章を書くのは本当に難しいと。
自分が伝えたいことが、読む人によっては全く真意が伝わっていなかったり、
もしくは怒りすら感じる人もきっといる。
自分は傷つけられた!と思う人もいるかもしれない。
又はこいつ傷つけてやろう、っと敵意をむき出しにされるかもしれない。
私の書いた文章の裏に自分の憎むべき対象を思い浮かべて憎しみや攻撃性を生むかもしれない。
でも、そんなことに対して過敏に怯えていては、何も書けなくなってしまう。
そして、それは自分の未熟さから生じてしまったものなのか、又は交通事故のような気をつけていても生じてしまう仕方がないものなのかの、判断もなかなかつかなくて。
難しいです。
これからも悩みながら、少しずつでも理想に向かって進んで行きたいです。