悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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昔の「若者だった私」になかなかバイバイできない話

4歳児と2歳児の育児中のヒエヒエです。

そう2児の母です。

そして3児の母になろうとしています。

スーパーなんかでよく見かけるふつーの地味な「子育てかあちゃん」です。

は?何言ってるの?当たり前じゃん!って思うかもしれないですが、私にとっては不思議でたまらないのです。

私は子育て前は大学生だったのです。

細かいことは省きますが、私なりに限界まで頑張った結果が今の状況なのです。

何もかもがいきなり押し寄せて来て、抗えない大波が来たように環境が目まぐるしく変わり、気がついたら、悩み多き若者から

あっという間に2児の子育て主婦になっていたのです。

決して今の結果になったことを後悔していない。

だけど、なんだか、不思議な気分なのです。

とてもとても不思議なのです。

テレビで見る青春真っ只中!みたいな若者を見ると、少し前までは私もそっちの立場の人間だったような気がするのに、実際は私は「育児中主婦」で、全く違う立場になっていることに、呆然とするのです。

少し前は、恋に必死だった。

少し前は、将来が不安でたまらなくて消えてしまいたい孤独な若者だった。

少し前は、生きてるだけで精一杯だった。

少し前は、研究に必死だった。

少し前は、部活に命をかけてた。

少し前は、子供をもつことが自分とは全く関係ない世界だと思ってた。

少し前は、おしゃれに必死だった。

少し前は、ただ闇雲にがむしゃらに走っていただけだった。

でも


今は私は学生の頃にスーパーで見たあの「子連れ主婦」

なんだかなんだか、不思議でたまらないのです。

そして、実際に完璧にこっちサイドになりつつある自分を認めざるを得ない今

まるで「若者だった自分」を無人島に残して、どんどん島から離れていくイカダに乗ってぼんやりと眺めているよう。

「若者だった自分」はこちらに向かってずっとずっと手を振っている。

イカダは少しずつ島から離れていって、もう「若者だった自分」が豆粒のようになっていって、今にも見えなくなりそう。

イカダに乗ってそれを眺めている私は、特に涙もでない。

感極まって泣くことも、笑うこともない。

無表情でそれをぼんやり見つめる。

ただ、

ものすごくなんだか虚しい。

ああ、こうやって色々なことを忘れ去っていくんだって。

あの、恋に必死だった感情も、死にたいぐらいに苦しかった片思いも、部活にかけた情熱も、

こうやって少しずつ忘れ去って、気付いたら、電車の中で見るようなお年寄りにいつかはなっているんだ…と。

私はきっと今過渡期なんだ。

「若者だった自分」に「さよなら」って言う。

でも、不器用な私はなかなかサッパリと「さよなら」できない。

不器用で、ダメダメで、将来が不安だらけで、生きるのが下手くそな「若者だった自分」を忘れ去りたくない。

なんだかよくわからないけど愛しいのだ。

でも、その気持ちとは裏腹にどんどん、私の記憶はうすくうすくなっていっている。

まるで、写真が色あせるように。

もう、真っ白になってしまう。

でも、それを自分ではどうすることもできなくて…。

忘れ去るしかなくなっているのです。

「若者だった自分」がいる無人島にはもう決していけないのだから。

死にたくなるほど好きだった片思いだったあの人への気持ちも、もう思い出せない。

何もかも少しずつフェードアウト。

これが年をとるってことかな。

なんて、ノスタルジックになっていると、ふと青春真っ只中であっけなく死んだ友人の顔が浮かんだ。

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あー、彼の時間はとまったままだ。

彼の人生という本は最高潮の時終わった。

私の本はまだ続いている。

今はもしかしたら一つの最高潮はこしたかもしれない。

でも、ストーリーが続くかぎり、また違う最高潮がないとは誰が言えるだろう。

今後どんな本になるかは自分次第。

だから、年をとることはきっと悪くない。

だから、「若者だった自分」に笑顔でさよならを言いたい。

言いたいけど、未練がましい私はなかなか言えなくて。

真っ白になりかけた写真をアホみたいに眺めて、記憶の断片を虚しく集めようとしているのです。






スーパーで見るような2児の子連れ母の密かな脳内の話。

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