私は宮沢賢治が好きです。
なんだか、よくわからないのですが、小学生の頃、「銀河鉄道の夜」の影絵劇を観た時からずっと魅力に感じています。
そして今なお、その魅力に惹かれ続けています。
宮沢賢治はなんだか、普通の人間が見えない世界が見えている気がするのです。
達観している。
自然の摂理を誰よりも理解している。
そして、あまりに常人とは違う世界が見え過ぎて、とても孤独な人間だった。
そんな宮沢賢治の世界観にとてつもなく惹かれるのです。
宮沢賢治の作品には、普通なら見過ごされがちな、普通ならバカにされるような存在だけど「とてつもなく価値ある存在」を取り上げているものが多い気がします。
本当に価値があるものをみんながこんなにも気づいていない、と強く訴えているのです。
最近私は「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」という話を知りました。
あらすじはウィキペディアから引用します。
虔十(けんじゅう)は、おかしくもないのに笑ってばかりいて知恵が足りないと、周囲から馬鹿にされている少年である。
雪の残る早春に、虔十は家の裏手に杉苗を700本を植えることを思いつく。最初兄から土が合わないと反対されるが、父が虔十の初めてのわがままであることに気づいて、やらせてみることになる。翌日虔十が木を植えているのを見て、隣の平二が馬鹿にして止めさせようとするが、兄がやってきたおかげで何事も起きずにすむ。しかし虔十が木を植えたうわさが広まり、近所より冷笑される。
木は5年まで普通に育ったものの、成長がとまり8年経っても9尺(約2.5m)に留まった。百姓の冗談を真に受けた虔十は下枝を刈って、盆栽のような林になってしまう。兄はそれを見て笑ったもののよい薪が出来たと虔十を慰める。しかし、翌日からそこは子供たちの恰好の遊び場になり、虔十はそれを見て満足する。
ある霧の日、再び平二が実害もないのに、自分の畑に影が入るから木を切るように虔十に迫った。平二は虔十に手をあげるが、虔十はそれを断り、林を守りきる。そういうことがあって後、平二も虔十も病気(チフス)で亡くなってしまう。
それから20年間の間に街は急速に発展し、昔の面影はどこにもなくなってしまう。ある日この村を出てアメリカの教授になって帰って来た博士が15年ぶりに帰郷し、地元の小学校でアメリカについての講演をした。講演後、博士は小学校の校長たちと虔十の林に足を向け、この林だけがそのまま残っているのを発見して、子供心に馬鹿にしていた虔十のことを思い出す。そしてこの背の低い虔十の林のおかげで遊び場が提供されていたことや、今の自分があることを悟り、林の重要性に初めて気づく。
博士は「ああ、全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」と言って、校長にこの林を虔十公園林と命名し、子供たちのために永久に保存することを提案する。その話が広く伝わり、碑が立つと、かつて虔十の林で遊んで立派になった大人たちから多くの手紙や寄付が学校に集まり、虔十の遺された身内は本当に喜んで泣いた。
知的障がい者(?)の虔十がみんなにバカにされながらも、理解されてなくても、一生懸命大切に育ててきた杉林。
その杉林が、虔十が亡くなった後も、多くの人に幸せをもたらす、かけがえのない存在になる。
幼少期にこの林とともに育った博士の言葉「ああ、全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」
この言葉に宮沢賢治の考えが凝縮されている気がします。
この作品は、宮沢賢治の純粋な優しさ、考え方を知るには、最適だとおもいます。
宮沢賢治は生前、素晴らしい作品を沢山書いているのに、一般的には全く認められなかった。
きっと、とてつもなく孤独だったでしょう。
でも、自分のやっていることが価値あることだと信じ続け、行動し続けた。書き続けた。
1円にもならなくても。
そして、宮沢賢治の作品は時間がたってからどんどん価値が認められました。
そして、宮沢賢治自身、「価値あるもの(行為)は必ずいずれその価値を発揮しだす」という事を証明したのです。
時空を超え、私のような、主婦の心にこうやって響いています。
私は、宮沢賢治の生き方自体が、なんだか切なくなるほど、勇気づけられます。
なんだか変な表現ですが、宮沢賢治の事を考えると「切なくなる」と「勇気付けられる」が同時に私に降りかかってくるのです。
是非、「虔十公園林」読んでみてください。
青空文庫でも読めますよ!