3人の乳幼児を育児中のヒエヒエです。
今回は最近とても心に響いた文章に出会ったので紹介したいと思います。
その文章は朝日新聞に掲載されている哲学者の鷲田清一さんによる9月22日の「折々のことば」から
わかるわからないということじゃない価値観がないかな、とさぐってる。
五味太郎
私は最初この文章を読んだ時、訳がわからなかった。
私の頭が石のようにカチコチ過ぎて。
でも、後に続く文を読んで、目から鱗が落ちる気がした。
意味や理屈やストーリーで理解するのが知性だとしたら、「山を見てため息をつく」のも紛れもなく知性の一つだと、絵本作家はいう。
そうだ、「山を見てため息をつく」ってそれだけでいいんだ。
私は何でも、理屈理屈と考え過ぎていた。
合理的であることにこだわり過ぎていた。
無駄がないかどうか気にし過ぎていた。
生産的かどうかを気にし過ぎていた。
心から何かが込み上がってくる。
これだけでいいんだ。
私はこの「わかるわからない以外の価値観」を見過ごしていた。
いや、あることに気付こうと自らしていなかった。
価値を認めようとしていなかった。
何故なら、意味があることだけが価値あるものと信じ切っていたから。
心から何かが込み上げてくる。
その事に意味なんてつけれるのだろうか。
いや、意味なんてなくていいんだ。
無理に意味を探し回っているなんて、まるで青い鳥を探すチルチルとミチルのようだ。
意味意味意味。理由理由理由。
こんな事を追い求めることで頭がいっぱい。疲労困ぱい。精神消耗。
そんな事ばっかりだった私。
ふと、まだ青臭い頭カチコチの大学生だった私に、教習所のおちゃらけた先生が運転中に言った言葉がぽっと脳裏に浮かんだ
「恋は理屈ですか?」
何故そんな事を言われたか忘れたが、当時の私には的を得ていた言葉だった。
理屈理屈で頭がいっぱいで、大事なものを見ようとしていなかった。何かから目をそらしていたのだ。
目の前には、素敵なことが沢山散らばっているのに、気付けない。見えない。
足元の綺麗な砂浜に素敵な貝殻が沢山散りばめられているのに、もっと素敵な貝殻を海の向こうに望んでいる人みたいだ。
そんな人は遠くをみ過ぎていて、足元を見ようとしないんだ。
「どこ?どこ?」と必死に海の水平線を眺めるばかりで、足元を見るということをしない。思い浮かびもしない。
先ずは「足元を見よう」としなければいけない。視点を変えないと、いつまでたっても探し物はみつからない。
でも、そんな哀れな人間がきっと今の世の中沢山いる。
最近読んだ、サン=テグジュペリの「星の王子さま」も同じようなこと書いていたような気がする。
そう、「本当に大切なもの」について。
「山を見てため息をつく」
このような感情を今後沢山見つけていきたい。
私も遠くの地平線を指をくわえて見るのをそろそろやめて足元に目を向けたい。
そして足元の砂浜にあるキラキラした宝物を探し始めたい。気付き始めたい。
少しずつ少しずつ探して集めていって、大切にしていきたい。
きっと沢山あるはず。
目的もなくピアノを弾いたっていいじゃない。
子どもとまったり昼寝してもいいじゃない。
形も味も悪いクッキーを子どもと沢山作ってもいいじゃない。
音程も歌詞もぐちゃぐちゃな鼻歌を歌ってもいいじゃない。
その行動に意味はあるかないかなんてどうでもいいじゃない。
何かが心に込み上がってきたら。
そういう感情の価値にもっと気づいて大切にしないと。
人間は幸せからどんどん遠ざかってしまう気がするのです。
そんな、「説明できない感情の存在の価値の大切さ」を絵本作家の五味太郎さんの言葉によって気付かされた気がします。
五味太郎さん、そして鷲田清一さん素敵な言葉をありがとうございます。
作家の五味太郎さんの名前は子育て中の親御さんなら、きっとどこかで見たことがあるのではないでしょうか。
なんとも言えない雰囲気の絵が印象に残る絵本作家さんです。
是非、図書館などで見かけたら読んでみてくださいね!
私のおすすめは「まどからおくりもの」という絵本です。クリスマスにピッタリな楽しい仕掛け絵本です☆
親子で楽しい時間を過ごせる事間違いなしの絵本ですよ♪
以上、五味太郎さんの素敵な文章の紹介でした☆