人生楽しまなきゃ損だ。
年を重ねるにつれそう思う。
昔は時間なんか、いくらでもあって有り余っていらない!ってぐらいな気持ちだった。
でも、私ももう子供が3人もいるいい年こいた大人。
ここ数年で身近に「死」を感じる機会が多かった。
祖父の死。
友人の死。
祖父は老衰での死だった。
死の2日前ぐらいに病院にお見舞いに行った。
意識はあった。
だけど、目をパカーっと開いていて、口は時々動いて、何か言っているけれども、何を言おうとしているのかはわからなかった。
ずっと祖母のてをにぎっていた。
まるで必死に助けを求めてもがいているようだった。
殆ど動いていないけれども。
その様子をみて、なんだか、生きていて必死にどーでもいいことに悩んで気を揉んでいる自分が、すごく贅沢者のように思えた。
祖父にとっては、もう言いたいことを発することもままならない。
普通に話せて歩いて食べて、いこうと思えばアメリカにだって行ける自分がなんだか、すごい大富豪のような気持ちになった。
「金」を沢山持っているって話ではなく「可能性」を沢山もっているって意味で。
今の私はなんでも出来るじゃん。
その時はそう思った。
周りの目を気にしすぎて、したいことをしないのはアホみたいだ。
もう私はどうどうと生きたい。
我慢も必要だけど、我慢しすぎも馬鹿みたいだ。
今夢中になっていることは「今」夢中になっているのだ。
夢中になっているうちに色々すればいい。
もしかしたら、その「熱」はすぐに冷めてしまうものかもしれない。
「鉄は熱いうちに打て」
この言葉を体に刻みたい。
美味しいものを美味しいと感じるうちに食べる。
食べれる歯がある内に。
食べれる舌がある内に。
食べれる胃がある内に。
やりたい事をやりたい内にやる。
できる内に。
まぁ、後々身を滅ぼす内容は…
本人がそのリスクを負う覚悟があるのならば、私はしてもいいと思う(リスクを負う事を全く予測出来ずにするのは唯の愚か者)
とにかく、もう、うだうだ言い訳をしてしたいことをしないのは馬鹿みたいだ。
将来のため!将来のため!とやりたくない仕事をして金をコツコツ貯めて、全く使わず死んじゃう。
そんな人生に憧れる?
もちろん将来は大事だ。
でも今の方がもっと大事だ。
お婆さんが髪をピンクに染めたっていいじゃない。
妊婦がハイヒール履いたっていいじゃない。
韓流アイドルに夢中になってもいいじゃない。
タバコが好きだっていいじゃない。
自分で責任を取るんだから。
あなたじゃなく、私が取るんだから。
周りのうだうだ言う声なんてどうでもいいじゃない!
あなたはあなた。
私は私。
あなたが満足ならそれが正解。
私が満足ならそれが正解。
それだけ。
あなたはそう思うかもしれないけれど、私は違うんだ、って軽い感じでいいじゃない。
確かに真剣に受け止めないといけない声もある。
でも、自分の事を本当に考えてくれて、愛のある言葉を真剣にくれる人がどれだけいるというのだろう。
そんなの本当に稀な声で、大体が「やっかみ」からだ。
そんな声に惑わされるな!
どうどうと命を燃やしたい。
私の儚い友の死を少しでも無駄にしないためにも。
生きてるだけで儲けもん。
私は精一杯生きてやる。
これからは後悔しないようにやりたいようにやっていく。
人生の節目の年にこんなことを考えたヒエヒエでした。