悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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泡のついた手で目をこする赤ちゃん。大人も同じかも

乳幼児育児中のヒエヒエです。

今回は以前から思っていたことを文にしてみようかと。

私にとっては凄い大発見。

でもないか。

まー聞いてください。

お風呂で1歳児と入った時、手に泡がつく時があります(石鹸の付いた髪を触ったりして)

そしたら、すぐにその手の石鹸を洗い流さないと、その手で目をこすってしまうのです。

そして、目に石鹸が入って泣いてしまう。

だけど、私が急いでその手を洗ってあげないと、そのままこすり続けてしまうのですね。

石鹸がついたままだと、いくらこすっても痛いままだし、痛さは激しくなるだけなのに。

勿論親は、擦ろうとする手を掴んで止めて石鹸を洗い流そうとします。

でも、赤ちゃんにとっては、親が何で自分がしたい行動(目をこする)をお母さんが止めるのか理解できていないでしょう。


親はもちろん、赤ちゃんがいくら目をこすりたくても、石鹸がついたままの手で思う存分こすらせてあげる、なんて愚かなことはしません。

親はまだまだ未熟で無知な赤ちゃんが苦しまないように、欲望のままに行動する赤ちゃんの安全を守ってあげているわけです。

でも、当の本人(赤ちゃん)は自分が親によって守られているなんて全く気づいていない訳です。

寧ろ、「何でお母さんは目をこすらせてくれないんだ!ぷんぷん!」ぐらいに思っているかもしれません。

その様子を私は何回も見て、
「あーこれってきっと大人も同じなんだな」
って思いました。

この「赤ちゃんの泡の付いた手で目をこする行動」は、大人にも当てはまる縮図になっている気がします。

大人だって色々と知らないうちに不摂生や、罪を犯してしまうもの。

もしも、全てを凌駕する「神」という存在があるとすれば、私たち人間はみんな「泡の付いた手で目をこすり続ける赤ちゃん」のような存在かもしれない。

苦しみ続けてる原因の行動をし続けて「苦しい苦しい」って言い続けているのかも。

正しい行動を教えてくれているのに、それを無視したり、又は逆恨みしたりして。

そして、自分を守ってくれている恩恵に全く気づかないまま生きていたり。

例えば、私は1歳児の手に泡がついたら、こする前にシャッとシャワーで洗い流します。

絶対に顔を触るなってわかっているので、些細な行動ですが、対処して苦しみから守ってあげているのです。

でも、当の本人はその行動なんて全く気づかず、綺麗な手で目をこすっているわけです。

そして、屈託なのい笑顔を向けるのです。

そして、私は幸せな気持ちになったりするのです。

きっと、永遠にこの親の些細な行動に気づく事はないでしょう。

それと同じような恩恵を大人の私たちだってきっと沢山受けているはずです。

気づいていないだけで。

きっと気づかない「愛」に守られている。

…なんて表現は少しキザかもしれないけれど、なんだか本当だと思うのです。

まぁ、神とか大それた話にもっていかなくても、単純にやっぱり、経験者、年配者の意見は素直に聞くべきだと。

反発したくなったり、攻撃的になったり、馬鹿にしそうになっても、

やっぱり、

「素直に耳を傾ける」という行動をすることが、結局は自分を守るのではなかろうか。


また、話が色々と散らばってしまいました(。´_`。)

が、なんだか、子育てしている私も
「気づいていないだけで、私も偉大な存在に知らないうちに守られているのかしら」

なんて、ボケーっと神秘的に考えたのでした。

あ、別に何かの宗教の信者になりたい訳ではありません(笑)

ただ、宗教は、部分部分では、そのような「苦しまない知恵」や「真実」が盛り込まれている事は否定できないとは思いますが…。

まだまだわからない事だらけです。
学び続けないとな。

では、
皆さんにとって素敵な日になりますように☆

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