過去の自分を今の自分に合わせる必要はない。
「あの時、あの状況、あの環境で、こういう事を考えていた」という事実が重要で、間違っているかいないかとか、今の考えと違うとか、整合性がどうとかは関係ないんだ。
過去の自分をむやみに卑下することは何にもならない。
認めてあげないと。
後悔は何の役にも立たない。
ゲーテの名言にこんなのがある。
焦ることは何の役にも立たない。
後悔はなおさら役に立たない。
焦りは過ちを増し、
後悔は新しい後悔をつくる。
後悔なんかしている暇があったら、前を向く。
目の前の現実に集中する。
私なんて、過去に情けなくて、かっこ悪いことを山ほどしてきた。
正直、思い出そうとするだけで、私の体が拒否反応を示すようなことだってある。
でも、過去は変えれないし、それが事実だ。
それが私で愚かで愛おしい自分なんだ。
大事な大事な自分の一部だ。
過去の自分を卑下することは今の自分を否定することに繋がる。そして他人に対しても。
だって、過去の積み重ねの結果が今の自分なのだから。
昔の私は勘違いしていた。
「一貫性がないといけない」
「全てに辻褄があっていないといけない」
「矛盾はダメだ」
って。
でも、それは間違いだったんだ。
全てを白黒はっきり分けれるわけじゃないって。
「嫌い」は嫌いでなければならない。
「好き」は好きでなければならない。
そんなのに縛られるのは自然じゃない。
全ては流動的で、移り変わっている。
無常なんだって。
自分の肉体も、精神も常に変化していってるんだ。
結婚式の時の誓いの言葉
「永遠の愛を…………」
っていうの。
でも、その後に儚く散りさった愛がなんと多いことか。
昔のガチガチの頭だった私だったら、
「永遠の愛を誓ったくせに、離婚するなんて、一貫性がない!言葉に責任がない!」
なんて、訳の分からない不毛な怒りを覚えていただろう。
でもさ、その誓いの言葉を口にした後がどうなろうがさ、
その瞬間は確かに真実の言葉だったんだよ。
その瞬間は心からそう思っていたんだよ。
その愛の瞬間は永遠だったんだ。二人にとっては。
その事実は、いくらその後、上手くいかなかったからって、変わらないんだよ。
「瞬間」「永遠」一見矛盾しているようなものも共存しうるんだ。
それを「今の自分の感情」に合わせて「あの時の私はおかしかった」だのと過去の事実を無理やり改ざんする必要なんてないんだ。
過去の自分を否定する必要はない。
否定ではなく受け入れて今の自分の糧にする。
一瞬一瞬を大事に一生懸命生きる。
それで十分。
嫌いな人を嫌いでい続ける義務もないし、
好きな人を好きでい続けないといけないこともない。
「考え方」も同じ。
「昔の考え方」に頑なに執着する必要はない。
…ていうか、したくても、出来なくなる事だってあるんだ。
全ては流動的で、変化しながら流れていくのだから。
全ては縁。
くっつこうが、はなれようが。
いくらもがこうが、人間は人間だし、鳥は鳥だし、魚は魚だ。
みんな運命の奴隷なんだよ。
地味にこの言葉気に入ってるジョ。
自然の流れに身をまかせて、一瞬一瞬を大事に大事に積み重ねていきたいな。
「夏草や兵どもが夢の跡」
by松尾芭蕉
いくら夢のようでも…
騒がしかった時も事実。
静かな今も事実。