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時々すごく虚無的な絶望的な気分になる。
何もかもに意味を見出せなくなり、ゴチゴチに固まった鉛のように重くなった心を動かそうとするけど、全く響かなくなる。
いたずらに、美味しいものを食べて心を動かそうとしてみても、胃の中に石を放り込んでいるような感じ。
何も感情が動かない。
今まで、私は一体どうやって、あんなに動けていたんだっけ?何のために動いていたんだっけ?
動機がどうしても見つからない。
そして、動けない自分はまるで壊れた掃除機のように、価値のないものになってしまうのではないか。
そんなの、嫌だ、怖い。
だけど、どうしても、心も体が動かない。
今までの日常生活を送るための、今までの熱意が、気力が、モチベーションが…まるで幻のように消えてしまう。
あるのは鉛のように動かない体と、心だけ。
もう、自分は故障してしまったのかもしれない。ただ普段と変わらない容れ物を残して。
今までのように、周りの期待に応えて動けない。
寧ろ、日常生活の最低限の行動さえもできるか不安でしょうがない。
だけど、自分の周りの世界、テレビやネットの世界でも、今この瞬間も、どんどん上へ上へ登って行っている人たちがいる。
自分が脱落者のような、とてつもなく惨めで情けない奴に思える。
マラソン大会でみんな普通に走っているのに、もう、こっちは周りのペースについていくのがやっと…それどころか、今にも倒れそうなんだ。
でも、そんな醜態をみせたくない。
だって周りにギョッとした目でみられたくない。
哀れな奴、ダメな奴って…見損なったって、あーこういう人だったのね、って思われたくない。
そして、迷惑もかけたくない。失望もされたくない。誰かの負担にもなりたくない。
今まで必死にコツコツと汗水たらして頑張ってきたパズルを自分からぐちゃぐちゃに崩すことなんて出来ない。
期待に応えないといけないのに、それどころか、脱落…なんて…。
もう、自分にはどうしようもできない。
まるで、真っ暗な出口のわからない洞窟の奥深くで一人でうずくまっているみたいだ。
そして、私が今そんな場所にいることを誰一人知らないんだ。
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最近、芸能人の方の自殺の報道がある度に、私はどうしても、その方々が苦しんで彷徨って居たであろう、「真っ暗な虚無の空間」を想像せずにはいられません。
きっと、人知れず底知れない闇の中に長い間いたのでしょう。
今はその闇から抜け出せて苦悩から解放されて救われたと信じています。
ただ、その手段を「自殺」という道でしか見出せなかったのは、どうしようもなく悲しい。
今、この瞬間も、そんな真っ暗な闇の中にうずくまっている人達は沢山いるのです。
優しく手を差し伸べる人が…そして、その手を求めることが普通にできる世の中になったらいいのに、と思います。
よく「何があっても『自殺』は駄目」ってききます。
だけど、私には自殺を選んだ人を責めれない。
だって、きっとそんなこと本人たちも分かっていたことです。
それでも「死」を選ばずにはいられなかった。
自殺はその人が選べた唯一の「地獄から出れる方法」かもしれなかったから。今まで自分を押し殺して、我慢して我慢して他人の期待に応え続けていたその人にとって残された最後の選択肢だったのかもしれないから。
「自殺」を選んだ人は出来る自分を演じ過ぎたのかもしれない。
そして、周りはそれに甘え過ぎていたのかもしれない。
私たちが覚えていなければいけないことは、いくら強そうにみえても、大丈夫そうにみえても、人間は弱いってこと。
誰にも頼らずに、迷惑をかけずになんて、生きていけないんだよ。
弱くて、情けなくてもいいんだよ。
それが当たり前だから。
って言い聞かせながら強がって生きるしかない。
いくら惨めでも、情けなくても、駄目駄目でも、醜態を晒しても、生き続けることが素晴らしいと私は信じています。