悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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可能性が広がると辛くなることも多いのかも

ぼんやり考える。

もし、私がピラミッドみたいな巨大なものを作るための奴隷の一人だったなら…

毎日毎日、大きな石を運ぶだけで1日が終わる。

毎日毎日、石を運ぶだけに生きる。

そして短い人生の殆どの時間を石運びに費やす。

だけど、その人生に不満や疑問を抱かずに終わる。

考える余裕も時間も意味もないから。

ただ、生きる=石を運ぶ

この方程式に疑問ももたない。

もしかしたら、自分が何を作っているのかも知らないのかもしれない。

唯の一人の人間である王の墓を何十年もかけて作って、そのことに生涯をかけた人間がどっさり死ぬ。

そんなことが当たり前だった時代が確かにあったのだろう。

大きなことのようなちっぽけなこと一つを成す為に、凄い数の人間の命を存分に使い捨てる。

そんな時代に比べると今は…

みんなが平等に人気者になれる可能性をもっている。

Twitterやブログ、YouTubeなど、人気者になれる道が平等に開かれている。

昔は奴隷が王様になれる可能性は0だった。だから、そこで思考は停止した。

だけど今は違う。

なりたいと思ったら誰でも行動できる。

だから、思考は暴走する。みんなどんどん夢がみれる。

そうすると、主役になりたくなる。

目立ちたくなる。

昔は遥か上にトップがいて、他は遥か下にいた。そこにたどり着く手段がなかった。諦めがついた。

だけど、今は上にいける道具をみんなが持てるようになった。

そうしたら、今まで下にいて不満に思っていなかった人たちはみんな、上を目指すようになった。

みんなが上を目指すようになったらそのまま下にいる人はなんだか、惨めな気分になった。

今までは、不満を感じていなかった同じ位置にいた人が、どんどん上を目指す。

惨めな土台になんかなるものか。

自分の人生を他人に捧げるなんて馬鹿馬鹿しい。

でもね…それは錯覚なんだよね。

何か大きなものの一部のために、人知れずエネルギーを注ぐことは、虚しいことじゃない。 

よくあることなんだ。

ちっとも珍しい事じゃない。

普通にそこら辺に転がっている事。

一瞬目立つのを目的にしてはいけない。

ピラミッドは奴隷がいなかったら存在しなかった。

王様じゃなく奴隷が人生をかけて作ったんだ。名前も残っていない奴隷が。

目立つことに囚われてはいけない。目立たない人知れない努力がないと大きいものは作れない。

「何を残したいか」が重要なんだ。

それはまだ終わりの見えない、巨大なパズルのピース一つでも構わないんだ。

今は他人に自分の努力をすぐに評価されないと気が済まなくなった。

自分の頑張りがすぐに注目されないと虚しくなる。

Twitterが虚しい。
ブログが虚しい。
Instagramが虚しい。

でも、人知れず亡くなったピラミッドのたった一部の石を運びつづけた奴隷の人生を考えたら…

今の時代はなんて自由なのだろう。

実はそんなこと、全く虚しくなんてないんだ。

今はみんながみんな、自分を過大評価しすぎるんだ。

そして、その分自分がちっぽけだと感じると惨めな気分も味わうようになった。

今の時代は皆んなが我儘になれる分、苦しみも大きいのかもしれない。

メニューが多すぎるレストランのようだ。

メニューが1つなら悩むことなんてなかった。

メニューが多すぎるから悩むし、悩んだ分、美味しいものを食べれないと許せなくなった。

そして、他人の料理が美味しそうに見えるんだ。

周りのみんなが美味しそうにオムライスを食べていると、自分もオムライスにしないといけない気になる。本当はカレーが食べたくても。

一瞬の目立つことに誘惑されては駄目だ。

目の前の慌ただしさに逐一惑わされてはいけない。

Twitterなんてこまめに血眼で追っては駄目だ。

「自分が何を残したいか」を俯瞰的に捉えることにエネルギーを注ぐことを忘れてはいけない。

何かピラミッドのような巨大なものを、王様でなくても作れる世の中だから。

自分を無駄に消費したくないのであれば、しっかりと目を逸らさずに見続けるしかない。大きな目標を。

そして、目立たないものにも価値がある事を忘れてはいけないんだ。

きっとその目立たないものの連なりが、大きな目標へ導くから。

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