きっと芸術を創る作業はきっととても孤独な作業だ。
自分の内側の世界で自分一人で作り続けないといけない。組み立て続けなければならない。
例えばこう想像してみる。
自分だけしか知らない内側の世界があるとする。
心の中の世界とでも言うのかしら。
きっとみんな持っている世界。自分だけの世界。
外の世界とは違うプライベートの世界だ。誰も入れない。
その世界で、それぞれが、自分の世界を構築する。
自分だけしかいないからその世界のことなんて誰も知らない。
そこには、生まれてきてから溜まり続けた「記憶」や「情報」が存在している。
それをどうするかは自分次第。
それはレゴのピースのようかも知れない。
いくらレゴのピースがあっても、何もしなければ何にもならない。
ばら撒かれたピースは、ぼんやり座り込んでいるだけではいつまでもただの「ばら撒かれたピース」だ。
いくらレゴのピースを集めるのが得意でも、自分の世界に溜め込んでも、何かを生み出すには時間と労力を費やさなくては何も作れない。
結局は「外の世界」と「心の世界」の「心の世界」の方に長い時間いれて、エネルギーを心の世界に割ける、恵まれた環境の人しか芸術は生み出せない。
昔の奴隷にはどう足掻いても芸術を生み出せなかったって話だ。
さらに心の世界に時間を費やして、レゴ(情報、記憶、経験、知識等)を組み立てて独自のものをつくらなくてはいけない。
ただ、最近はそのレゴで立派なものを作ったとしても、すでに存在していたりする。
例えば苦労して一からお城を作り上げても、すでにそこら辺に転がっていたりする。
むしろ、「外の世界」から立派に組み立てられた城をそのまま自分の「心の世界」に持ち込んで、その既成物で満足できるのだ。
漫画とか、小説とか、ゲームとか、立派な既製品が巷に溢れていて、それを利用して居心地のいい心の世界を構築してあぐらをかいているのだ。
きっと、殆どの人がそうだ。楽だから。
そして、そのまま既製品を「心の世界」に陳列して居心地のいい世界をつくるのだ。
だけど、一回それだけに依存してしまうと、自分で構築するのが面倒になる。何も自分で創らなくなる。そしてその時間があまりにも長いと、気づいた時には、何も構築できなくなってしまう。
つまり、他力本願、完全な受身になり、相手に依存してしまう。
依存するとは、支配されることに繋がりかねない。
だけど、芸術家は違う。
他人の既成物じゃあ満足しない。
自分で自分の世界をつくりたい。
他人に支配されたくない。
頑固で、自由を愛するのだ。
そして、心の世界にこもって、地道に自分の作品を作り続ける。
何日も何日もかかって。外の世界の活動をなおざりにしてでもつくり続ける。
そして、素晴らしい世界が出来上がったとする。
そしたら、その素晴らしい世界を「外の世界」に持ち出して、他の人と共有したくなる。
だけど、「その心の世界」を「外の世界」に持っていくには手段がいる。
きっとその手段が「文字」だったり「絵」だったり、「音楽」なのだろう。
いくら素敵な作品が「心の世界」に広がっていたとしても、手段がなければどうしようもない。
そして、孤独を味わう。
きっと偉大な芸術家は、その手段を獲得できていて、「心の世界」を「外の世界」に表すことが可能な、限られた恵まれた人なのだろう。
自分が「外の世界」に表現できなかった「心の世界」を表現してくれた…自分にはできなかったことを…自分は孤独じゃなかった。
芸術作品はそんな感動をうみだす。
孤独だった人の密かな心の友になれる。
共感こそが孤独な人を救う唯一の手段だ。
芸術はそれを時空を超えて可能にするんだ。
それが「芸術作品」だと。
芸術家は材料となるレゴのピースもたくさん持っていて、それを組み立てる時間も沢山あって、さらにそれを「外の世界」に表現できる方法を知っている。さらに、その方法を獲得するための時間、エネルギーも沢山ある人なのだろう。
とにかく、生活の為ではなく心の世界にひたすら時間を費やせることは、とてもとても恵まれた環境なのだ。
しかも多くのエネルギーが集中してその人に注がれなくてはならない。
色々な思いや、良かれ悪かれ人の関心やその人のおかれた環境によるエネルギーがその人になんらかの形で沢山注がれてエネルギーを帯なければならない。
偉大な芸術作品を生み出すには相当な材料とエネルギーを必要とするのだから。
だから芸術家は、なるんではなく、「そうなる類稀な環境にたまたまいれた人」なのだろう。
そして孤独に強くなければいけない。
「孤独に強い」ということは、心の支えがあることだ。自分の中に強靭な芯となる支えがなければ、孤独には耐えれない。
「揺るぎない自信があること」これが何よりも大切なのかもしれない。
立派なものを構築するには、揺るぎない強靭な「骨組み」「土台」が必要不可欠なのだから。
そういう数多くの条件が重なって、偉大な芸術家が偉大な芸術作品を生み出すのだろう。
生きるだけで必死な人間には、芸術家なんて、贅沢なぼっちゃんみたいに見えるのかもしれない。