悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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「考えが今頭の中にあるということは、恋人が目の前にいるようなものだ」ショーペンハウアーさんのこの言葉が好きです

考えが今頭の中にあるということは、恋人が目の前にいるようなものだ。私たちはこの思索を忘れることなど決してない、この恋人がつれなくなることなど決してない、と考える。だが、「去る者は日々に疎し」だ。どんなに素晴らしい考えも、書きとめておかないと、忘れてしまい、取り返しがつかなく危険がある。恋人も結婚でつなぎとめておかないと、永遠にさってしまうおそれがある。

(ショーペンハウアー『読書について』pp.23-24)

「思考も『諸行無常』『万物流転』に当てはまる。だから、その都度写真を撮るように文章で残しておこう。」的な考えを私はもっていた。

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そんな私が以前から考えていた事をショーペンハウアーさんは、このようなお洒落、かつ的確な比喩で表現されていました。

本当に・・・なんて素敵な表現でしょう。

今から約200年前に生きていた人間が書いた内容と自分が考えていたことが一致すると、とても安心したような、救われたような気持ちになります。

ああ・・・やっぱりこう考えていたのは私だけじゃなかったんだ・・・と。

でも、なんだか少し虚しい気持ちにもなったりします。

結局私が勝手に独創的だと考えていることは、過去の人間がもうすでに考えていて、さらに明確な答えやら、熟考されていることを、私はつらつらと同じ線を辿るように考えていたりするのか・・・と。

私が知らないだけで、私が色々と考えている事はもう他の誰かが考えていて、色々な素敵な形に表現されていて、もう・・・オリジナリティーも何もない・・・陳腐な考えの一つ・・・だから私があれこれ考えるのは無駄な事で意味のないことなのかもしれない・・・・なんて考えにときどきなりそうになります。

でもこの考えは卑屈なのです。こんな考えは捨てるべきなのです。そう、もういくら自分の考えたことが素敵な形に表現されていようが関係ないのですよ。しっかりと自分の頭で導き出した事だからこそ意味があるのです。私は今の時代だからこそ、ショーペンハウアーさんの以下の文を全人類に伝えたい。

さんざん苦労して、時間をかけて自分の頭で考え、総合的に判断して真理と洞察にたどりついたのに、ある本を見たら、それが完璧な形でさらりと書かれていた―そんなこともあるかもしれない。だが自分の頭で考えて手に入れた真理と洞察には、百倍の値打ちがある。というのも、自分の頭で考えてたどりついた真理や洞察は、私たちの思想体系全体に組み込まれ、全体を構成するのに不可欠な部分、生き生きした構成要素となり、みごとに綿密に全体と結びつき、そのあらゆる原因・結果とともに理解され、私たちの思考方法全体の色合いや色調、特徴を帯びるからだ。

(ショーペンハウアー『読書について』p.12)

ショーペンハウアーの『読書について』には私に勇気を与える言葉がたくさん詰まっています。


今時代はネット社会で、凄い量の情報がいくらでも手軽に手に入る。
色んな情報があふれるようになっていて、もう自分の頭で考えるのがバカバカしくなっちゃって。どんどん頭を使わなくなっていっちゃう。やっぱり人間楽な方に流れるのです。自分の頭で考えるのってめんどくさいのですよ。


「依存する」ということは、「支配される」ことに繋がりかねない。
ユーチューブやツイッターみたいな一方方向の情報に依存しちゃうと、もう人間はどんどん頭を使わなくなっちゃって、スマホなしじゃパッパラピーマンみたいになっちゃう。自分の考えがないから、自分にとって何が必要な情報か、そうでないか分からなくてあふれるようにわいてくる大量の情報に埋もれてしまう哀れなパッパラピーマン。

カーナビに慣れるのと同じ原理。カーナビに依存しちゃうと、もうカーナビがないと全く道も覚えないし、カーナビがない車なんて乗れなくなっちゃう。カーナビがないとどこにも行けない。そしてカーナビに依存しちゃって、カーナビ会社に知らないうちに支配される可能性もある・・・的な(支配されているかどうかは知らないけど)

別に道を覚えれるか、覚えれないかぐらいなら、まあ、個人的にはそんなに深刻な問題でもない気はする(いや、わからんけど)

けれども、「思考」は危険だと思う。自分で考えずに、ツイッターやらユーチューブやらに自分の思考回路を依存する。

ユーチューブ漬け。ツイッター漬け。すべて受け身。

そして気づいた時には、自分の頭では考えられなくなり、ツイッターやユーチューブの情報に振り回され、自分の頭を使う時間とエネルギーが減り、パッパラピーマンがどんどん増産されていき、知らないうちにツイッターやユーチューブに思考回路を支配されていても気づかない。

それは本当に恐い。

だから今の時代情報リテラシーは本当に大事だと思う。今の子ども達には情報リテラシーこそ最もしっかり教えるべきだし、情報収集のすべてをネットに頼らず、どこまでネットに頼るか、どこから自分の頭を使うかの線引きをしっかりしておくべきだと思う。それは子どもだけでなく親も同じだ。

そして、一日のうち少しでも、ツイッターやユーチューブ等に思考を依存せずに自分の頭でしっかりと考える時間をとること。

これが本当に大事な気がする。やっぱりユーチューブやツイッターは自分が欲しい情報以外のノイズが多すぎる。

知らないうちに色んな刺激を求めて、貴重な時間がどんどん消費されていく。まるで、目の前に好きな食べ物をあれこれ出されて食べろ食べろと言われているみたいだ。

そんな環境にわざわざ身を投じなくてもいい。わざわざ、餌の前に行って欲しくなるぐらいなら、ささっとその餌が目の入らない場所へ移ればいい。

そんな訳で、私は最近本の素晴らしさを再確認した。

本は自分が欲しい情報をダイレクトに、しかも無駄に邪魔や誘惑されることなく読むことができる。

そして、自分の頭で考えたことをアウトプットすること!これは本当に自分の頭を使う練習になる。つまり私にとってはブログを書く事。

「恋は盲目」ならぬ「ツイッター・ユーチューブは盲目」にならなように、そして目の前の恋人を逃がさないように、自分の頭で文章を毎日書き続けたい。


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