オリンピック体操で日本がメダルを取った瞬間、感動の高波が私を打った。
体操団体銀メダル。体操総合金メダル。
私は気持ちが高揚した。とても素晴らしい瞬間を目の当たりにできたことに、感謝した。
選手達はこの日の為に一体どれ程の努力をしてきたのだろう。
コロナ禍でどれだけ苦しい思いをしてきたのだろう。
もう、嬉しくて嬉しくて胸がドキドキした。
別に私は普段全然スポーツなんて観ないよ。
だけどね、オリンピックはそこに目指す熱意の量が違う。
物凄く多くの個体のエネルギーがそこに集中的に押し寄せる。
それぞれの思いがその時間、空間に注がれる。
思いはエネルギーだ。
そして、体操の日本代表選手達にはこのオリンピックに対する物凄いエネルギーを感じた。
私は若くて刹那的な美しさを彼らの織りなす体操競技で感じた。
オリンピックの醍醐味は「刹那的な美しさ」に立ち会えることにあると思う。
だって、リオの時の体操選手はほぼいない。
あの、時の人となった「ひねり王子」もリオの時は「今後が楽しみな選手ですね」なんて言われていたのに、今ではもう体操選手の世界にはいない。
今回のインタビューで、「3年後のオリンピックを目指してもっと頑張りたい」的な未来を見据えるメダルをとった選手のコメントだって、そのギラギラした光を保ち続けるためには、3年間はあまりにも長い。
そう、この東京オリンピックの私がテレビでみたあの瞬間こそ、選手達の人生で瞬間的に輝いた奇跡のような青春の1ページなんだ。
この瞬間は彼らだけでなく、多くの人々と共有され、しばらくその輝きは失われる事なく保存されるんだ。
あーなんて素敵な夜なんだ!
・・・・・みたいな感じで、感動し興奮した試合観賞後の夜、暗闇の中、興奮冷めやらぬ状態で体操個人総合金メダルについて同志を求めて携帯でTwitterを見たのですよ。
「体操個人総合 」「橋本大輝」
とかのワードで検索して。
もうね・・・・
それまでの熱が一気に冷めましたね。
外国の方の誹謗中傷の投稿だらけでした。
しかも、橋本選手本人の公式Twitterアカウントにも投稿されていたのです。
「日本の恥」とか「跳馬〇〇点?」とか、言葉を添えたコラ画像と一緒に。
もう、ほんとテンションだだ下がり。
一気に白けました。
あー世界は全く平和じゃない。
オリンピックは平和の祭典とか言いながら、平和なんて程遠いのを見せつけられた気分。
あんなに人生かけて演技した結果が、これかよ。あんなに頑張ったのに、橋本選手はこんな酷い目に遭わされるのだな・・・と。
橋本選手だけじゃない。その演技に感動したTwitterを見た私のような観客をも嫌な目に遭わせた。
その日だけでも、世界中が橋本選手を讃えるなんて、世界が一つになるなんて夢幻なのですね。
大きなエネルギーは色々な形となって現れる。いい類にも、悪い類にもなる。
結局スポーツは、勝ち負けで天国か地獄かが決まる。
とてつもなくいい気分になる人がいるのと同じぐらい、とてつもなく嫌な気分になる人がいる。
それはわかっているよ?それを納得した上で楽しむ努力をスポーツはしないと。
もともとスポーツは人間の本能「競争心」「優越感の追求」「攻撃性」を平和的に解消する為にあるものだと私は思っている。
その本能を相手を傷つけないように選手と観客がシンクロして解消する最高の舞台が「オリンピック」なんじゃないの?
身体的に相手を傷つけるのはもちろんダメだ。その為にルールがある。
じゃあ、心は?
一人の人間の心を多くの人間で責める行為は全く平和的とは思えない。
本人が傷ついているか傷ついていないかが問題なんじゃない。
傷つけようと思っている人が、簡単に「本能のまま傷つけれる」っていうのが問題なんだ。
そのような行為がSNSで当たり前の事のように行われていて、「許されている」っていうのは恐ろしい事だ。
SNSは国境がない、ボーダーレスだ。
Twitterは色々な思想がごった煮だ。
今の世界の国境が無くなったら大変でしょ?
ぶつかりまくるでしょ?
今の時代SNSはボーダーを取っ払うには早すぎたのかもしれない。
もっと人類の一人一人が成長しないと。
今のSNSは戦国時代みたいだ。
それぞれが、自分の思想を主張したり突き通す為に暴力し放題。
それが、今のSNSの世界。治安最悪。
今の人類の現状。
いくらオリンピックで、しっかりとしたルールで平和的に選手が闘えていても、SNSではノールールで、野蛮に心をボコボコにできる。
平和なんて微塵も感じられない。
それを目にしたら、「何のためにオリンピックをやってるんだっけ?」って私はなる。
どっぷりとオリンピック熱に浸るには、SNSなんて見るもんじゃない。
コロナのニュースなんて見るもんじゃない。
家に引きこもって、盲目的な視点でテレビを見るしかない。
インターネットニュースも見てはダメだ。
一気に現実に引き戻される。
盲目的に、「日本人」という枠の中から観なければ。
そこまでしないとオリンピックに熱中、集中できない。
「オリンピック反対」という言葉には耳に蓋をして。
「コロナ云々」という言葉には耳に蓋をして。
SNSの戦国時代に無駄に巻き込まれないように「オリンピック楽しんでいる派」を醸し出さないように注意して。
「日本選手バンザーイ!」なんていう思考は、戦時中の「天皇陛下バンザーイ」と根本は同じようなもの。
「我日本人」という偏った視点からみないと、オリンピックで本当には熱くなれない。
・・・私はもうそこまでする純血な思想や気力はない。
俯瞰的にオリンピックをみたとたん、一気にオリンピック魔法は解ける。
今の私には「オリンピック」という言葉は重苦しく悲しく響くような気がする。
「井の中の蛙大海を知らず」の方がある意味幸せなのかもしれない。
・・・まぁ、それでも・・・そんな細かいグダグダ事情や個人的な感情関係なしに、彼らのあの一瞬は、目が眩むほどの生命の美しい輝きだったのは間違いない。