最近なんだかなぁって感じ。
特にワクワクうきうきすることもなく、心が燃えたぎることもなく、だからって物凄く落ち込むということもなく。
うん、正直、特になんでもないんだけど、静かな日常の中に迫ってくる「絶望」という脅威が忍び寄ってくる感じ。
このブログでもちょくちょく書くように私はちょくちょく心が闇に包まれることがある。
別に私は「暗い」っていうのは悪いことじゃないと考えている。
「明るい」と「暗い」の価値は一緒だと。
他の人がどうかはわからないけれど、私は昔からしょっちゅう暗い夢をみる。
小学校のときからずっと。
自分って暗い夢ばっかり見ておかしいんじゃないのか?・・・と悩んだ時もあったけれど、もう悩むのも飽きたからやめた。
今でも時々「闇」はやってくる。暗い夢もまだ見る。
「暗い」のはまだいい。暗いのは。だけどね・・・最近私の元にやってくるのは今までの「闇」とは何だか違う。
なんだろう・・・「闇」とは違う。
闇じゃないんですよ。
闇よりも私にとって嫌な何か。
例えるなら「動物園の檻の中で生活するのが当たり前になったライオンになってしまいそうな危機」って感じ?
*
そのライオンは今までは檻から脱出しようと虎視眈々と色々と準備していた。
檻からでる事を夢見ていた。
他の動物園の動物たちのように、のほほんとなんか絶対過ごせない。こんな狭い檻から出て、自由に広大な自然を走りまわりたい。飼育員さんにはその目論みに気付かれないように、普通に生活しているように過ごした。「脱出の夢」という心の炎を静かに燃やし続けて。
だけど、なんだかあまりにもその生活が長過ぎて、動物園での生活に慣れ過ぎて、もうこのままでもいいんじゃないかな・・・という思いが徐々に心を占領していった。
餌をもらって、満腹になったら好きなように昼寝して、時々客にサービスのためにリアクションしてあげて・・・。
そして、夜は何の天敵もいないので何も考えずに寝れる。
昼間でもなーんにも考えなくて、グースカ昼寝をしているライオン。ライオンはこの今の生活を変えたくなくなった。
そして・・・
もう、夢も目標も心の炎も・・・知らないうちに気楽な日常に完全に食われてしまった。
そのライオンは、もうただの動物園のライオンになってしまった。もう「動物園のライオン」以外には何にもなれない・・・ただのライオンに。
*
そう、私は私の目標のために、やりたいことが沢山あったはずなのに、もうなんだか・・・何も頭を使わなくていい、楽で普通な方の日常に誘惑されそうなんだ。
子どもを寝かしつけた後、目標の為に何かしないといけない!・・・とどこかで思いながら、「テレビを観てボリボリとお菓子を食べる」みたいな誘惑に行ってしまう。
もう、自分の目標なんてすっかり忘れて、どーでもいいネットサーフィンなんかして、頭を使って前進することより「一時的な忘却」に時間を費やす。
今頑張っている事、頑張ろうとしている事は何にもならないんじゃないか・・・と。ライオンが檻から出れたとしても、厳しい現実が待っているだけなんじゃないか?
そういう思考から目を逸らすために「忘れる」を選ぶ。
きっと、それは自分の目標としていたものが「砂上の楼閣」のような存在かもしれないという不安が頭をよぎるからだろう。
砂上の楼閣?砂漠で見るオアシスの幻覚?
私には砂上の上に構築しているのか、幻覚に向かって歩いているのかわからない。
しかも、さらにタチが悪いのは、足を止めそうな事なんだ。
その上、そこで胡座をかいて居座ってしまいたくなっている。
確かに休憩も時には必要だよ?辿り着くまでに力尽きたら元も子もない。
休むのはいい。だけどね、心の炎は絶やさないようにしないと。
知らないうちにその炎が消えてしまっていることが怖い。
だけど、どうやって心の炎を燃やし続けたらいいのかわからなくなってしまった。
きっと、その心の炎が消えた時が、私が子供の頃思っていた「つまらない大人」になる時なんだろうな。
そう、私のなんとなく感じる恐怖はそんな「平穏な日常にあぐらをかいて前進するのを忘れて変化を恐れるような大人になってしまう」って事だ。
まだまだそんな大人になりたくないけれど、そんな大人になる罠は静かに私の背後から忍び寄ってきているのかもしれない・・・と思った今日この頃なのでした。
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