「何で私は女王アリではなく、働きアリなんだろう?」
そう思ってしまう今の人間の世界は幸か不幸か?
だって、本物の蟻は、働き蟻達は自分の使命を受け入れているでしょう?
「あー何で僕は働き蟻なんだろ・・・何で女王蟻になれないんだろう。」
なんて本物の蟻はきっと思わない。
きっとそんな発想すらない。
自分の役割を受け入れている。
だけどさ、人間には可能性がありすぎる・・・ように見えすぎる。
なんか、自分と同じ立場のような人が女王アリに急になれちゃった!!みたいな情報の罠が多い。
だから、勘違いして、「自分もなれるかも?!あんな風に!」なんて思っちゃう。
で、目指しちゃったりするんだ。
だけどさ、冷静に考えてたら、みんながみんな女王アリなんかになれるはずがない。
だって、蟻全てが女王蟻になっちゃったら、生態系のバランスがくずれちゃう。そもそも女王蟻の存在が成り立たなくなっちゃう。
ピラミッド型なんだよ。ピラミッド型だから成り立っている仕組みなんだよ。
あーそうだ・・・ゲームセンターのUFOキャッチャーみたいなもんじゃない?
なんか、簡単に景品を取れてる人がたまたま近くにいて目撃したら「私もとれるかも?!」って思ってやるけど、大体取れないでしょ?
そりゃそうだ。みんながみんな簡単にとれたらゲームセンターなんて成り立たない。
ネットでは、「そんなUFOキャッチャーで簡単に景品をとれてる」みたいな人達で溢れているように見えるけれど、それはピラミッドの上の一部だけの話しなんだよね。
きっとさ、ゲームセンターの仕組みみたいに、「景品をとれている人」という情報を餌にして奴隷のように歯車を回させて成り立っている仕組みなんだよね。
結局、みんながみんな女王アリにはなれない。
女王アリはきっと素質が違う。
何もかもが違う。生まれた時から違う。
働きアリとはもう根本的に違うのに。
何で人間は「可能性は自分の力で切り開ける!」なんてピラミッドの上の部分の人が言ってしまうのだろう。
本物の女王蟻は働き蟻にそんなこと言わない。
自分と働き蟻が違う事を本能で知っているから。
本物の蟻達はせっせと自分の役割をこなすだけ。
だけど、今の人間は「努力次第でいくらでも上にいける!」みたいに言わないと体裁が悪い世界に住んでいるのだろうか。
じゃあ、ピラミッドの土台の部分の人達はみんな頑張りが足りなかったからそこにいるって事?
違う。
別にさ、働きアリは働きアリで大切な役割なんだよ。それを受け入れてその役割だけにせっせと精を出せば一番効率的なはずなんだ。
みんながみんな女王アリになれるはずがない。女王アリの数だけ、さらにそれを支える働きアリが必要となる。
そう、働きアリは重要なんだ。
だけど、今のネット社会はノイズが多すぎて、働きアリが自分がやるべきことに集中できない。「女王アリ」の賞賛ばかりして、「働きアリ」という立場に不満を抱くようにしむける。
あっちこっちから、エネルギーを取られて、ヘロヘロになって働きアリとしての仕事をできなくさせる。
それでも、やっぱり女王アリを夢見てしまうんだ。
哀れだよね。人間って。
なんで、夢なんかみるんだろう。夢を見るのは甘美だ。そして時に残酷だ。
「女王アリと働きアリは違う」
私はこんなこと言いたくなかった。
馬鹿みたいだけど、言いたくなかった。
「違う」って事は当たり前なのに「違う事はない」って信じたかった。
まるで、UFOキャッチャーでいつまでも欲しいぬいぐるみを取ろうとしている子供みたいだ。
何で「女王アリになれるかもしれない」って考えちゃう働きアリを存在させちゃったのですか・・・神様。
人間は何で、こんな無駄に悩むような事をしてしまう生物なのだろう。
都合の良い解釈かもしれないけれど、「無駄に悩むこと」が人間の美しさなのかもしれない。それが、他の生物とは違う輝きの美しさと信じたい。
そうでなければ、「無駄に夢を見る」というエネルギーは一体どこにいくというのだろう?
私はもう少しだけ哀れな人間のままでいたい。
そうしないと、夢を見ることができなくなってしまうから。
無駄でも夢をみたい・・・そんなことを、哀れな主婦は思ったのでした。