今週のお題「サボる」
今日は今週のお題でも書いてみよう。
「サボる」
・・・私はサボるのがむちゃくちゃ苦手な学生時代を送った。
真面目すぎ。
授業だって、寝た事なかった。なんだろう・・・サボったらダメだダメだの呪縛だった。
授業も真面目に一応聞いていた。
だけどね・・・。
「聞いてた」だけ。
授業を真面目に聞いても、全て頭に入るわけじゃない。
真面目に毎日楽器の練習をしたって、その分上達する訳でなはない。
よくいるでしょ?「真面目」だけど、大してパッとした成果をだせない人って。
私はそんな典型的なタイプで。
「真面目」に頑張っているつもりなだけ。
結局真面目にノートとかとっても、授業中寝ていた小賢い生徒に「ノートみせて」って言われて、ノート見せる係になったりして、しかもその子の方がいい成績をとったりする。
そんな残念な「真面目」。
「真面目」ってさ、実は気をつけないとある落とし穴に落ちて抜け出せなくなってしまうのです。
その穴とは「変化をおそれる」という罠。
気づいたら変化を恐れて、例えそれが良くない真面目習慣でもやめれなくなってしまう。
そして、その続けている事の目的が「これを今やめたら地に落ちる」という強迫観念に知らないうちにすり替わってしまって、泥沼にハマったようになる。そして、そこから上に行けなくなってしまうだけでなく、足止めを食らってしまう。
目的に届くための前進のための習慣でなければいけないはずなのに。
やらなきゃいけない・・・という強迫観念という泥沼。「変化を恐れる」という落とし穴。
私は今まで散々そんな罠にハマってきた。
そして罠にハマったまま必死に伸ばした手は望む場所には届かなかった。
知らないうちに・・・「真面目」であるが故に苦しくなる。泥沼にハマってがんじがらめになる。
でも、それは「真面目」がいけないんじゃない。
罠にハマるのがいけないんだ。
だから、賢い「真面目」にならないといけない。
そうなるには、一点を見つめ過ぎて周りが見えなくなってはダメだ。周りを見ることが怖くなってはダメだ。
一点を見つめながら盲目にならないことだ。周りをしっかりみて、自分の位置を確認する。そして、今行なっている努力が正しいかどうかチェックする。自分を責めるのではなく、温かい目で見守ってあげる事が大事なんだ。
リラックスした状態で楽しむことが一番効率がいいのだから。
自分は馬鹿だアホだ愚かだ・・・なんて自分を責めて感傷に浸っても何も解決しないって大人になってようやく気づいた。
感傷は停滞だ。感傷は立ち止まらせる。感傷に浸る事は刺激的で甘美な面もあるかもしれない。
だけど、その行為では何も解決できない。
だから、時間が惜しいなら感傷にいつまでも浸るべきじゃない。感傷にいたずらに浸るべきじゃない。
だから、自分を許してあげる。変化を恐れない強い心を持つ。そして、自分を責めて苦しめるぐらいなら、サボる事が必要であることに気づかないといけない。
私は「中庸の徳」って言葉がすきだ。「真面目」は決して悪いことじゃないけれど、真面目が度を超えるとよくない。バランスを考えて息抜きをする事が大事。
私にとって「サボる」という行為は「真面目」な私の性格がゆえに膨らみ過ぎた風船が破裂しないように行うガス抜きのようなもの。
パンパンに膨らんで苦しくならないために上手く、ちょこちょこガス抜きをしないと。
バランスが整ってこそ前に進める。
だから、私はうまくサボれるように努力したい。
より前に進める人は息抜きと努力のバランスをとるのが上手い人なのだから。
それができる「真面目」はきっと最強だ!「真面目」って間違いなく素敵なことなのだから。
そのためには、自分を責めることなく認めてあげれる事が必要なのだと思う。
だから、自己肯定感ってとても大事なのだな・・・とハッと気付かされたのでありました。
【合わせて読みたい】