悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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欲しい憧れがあって努力できる人は今輝いている

憧れていたなりたいものになれないと自分自身で気付いてしまった昔の事を思い出した。

憧れるなりたいものと、今の自分との間の距離の隔たりを嫌というほど思いしらされ、「このまま頑張り続ける」という気持ちを打ち砕かれた時だ。

今まで「なれるなれる」と強く思いながら全力で走ってきたのに。走るのをやめる瞬間。

あー、もう私には届かない。こんなにも届かない存在だったんだ・・・と。もうこれ以上惨めな姿を晒せない、諦めよう・・・っていう自分で自分の負けを認めた瞬間。自ら敗者になる瞬間。

あの思い程、自分が惨めで、辛く悔しい状況はない。

私は昔、ものすごく憧れの存在があって、それに向けてがむしゃらにストイックに頑張った事がある。

憧れの存在?状態?とにかく目指すべき対象があった。

ものすごくそれに届きたかった。何よりも、他に何を失ってもいいから手に入れたい願望だった。

それに届いてる奴に対して歯ぎしりを一晩中するぐらい悔しくて、涙が出て、恨みに思って眠れなくなる夜もあった。でも、それを乗り越えて、腐る事なく、恨む気持ちを何とか捨て、前向きに自分を奮い立たせて重い一歩を何とか踏み出した事も何度かあった。

だけど・・・そこまでしたのに届かなかった。

今でも、その憧れの存在になれる人と自分は一体何が違ったのだろう・・・自分には何が足りなかったのだろう・・・と考えると苦しい気持ちになる。「頑張りが足りなかったんじゃない?」なんて他人に気安く言われる筋合いはない。それ程私はその事に自分の全てをかけていた。だけど「届かない」事実は存在した。

その経験から私は学んだ。

「いくら努力しても手に入れれない事もある」って。

それを若い頃に知れたのは幸運だったのかも知れない。

何故なら勝者だけでなく敗者も心から讃えれる事ができる目を持てたから。

例えばオリンピック選手の順位は「努力」には比例しないって知る事ができたから。

どんな事も順位なんかで努力の度合いは測れない。

一番努力した人が一番になれる訳じゃない。最下位だった人だって一番の人と同じぐらい努力した、むしろ一番の人以上に努力したって事だってありうるんだって。

でも、今思い返せば、目標に向かってがむしゃらに努力することって結果がどうであれ素敵な事だったと思う。

夢中になれる何かがあることは、それだけで自分にとって有意義だと。

その夢中になって努力した経験は自分の人生に涵養し、違う何かに必ずいい影響を及ぼすから。

自分という土台の土が豊かになるから。

「憧れ」のために夢中になれる事自体が貴重で成長のきっかけになる。

実は結果なんかより、その為の努力の過程の方が自分の大部分をつくっているのだから。

結果というゴールだけが人生をつくるんじゃない。結果までの道も人生をつくっているんだ。

だから、私は欲しい「憧れ」があるのならその「憧れ」に向かって結果に関わらず努力し続けたい。

その「憧れ」を欲しいと思って努力できる事自体、自分が手に入れる可能性は0ではないと確信しているって事だから。

手に入る可能性が0の「憧れ」は行動に結びつかないから。

いくら自分の子ども時代に戻りたくても、その為に努力している人はいないように。

自分の中で1%の可能性でもあれば人は努力できる。

「欲しい憧れがあって努力できる」という事自体、何て美しい事だろう。

それだけで成長の可能性だらけだ。人生という道をまだまだ長くできる。

いつまでも人生を自ら形成し続けれる。そんな自分であって欲しい・・・そう思ったのでした。

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