悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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私にとってのブログを考えないと

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創るとは、オリジナルのものを創るということ。

有名な著書の文章をうつすことじゃない。つぎはぎだらけの服のようじゃない。コピーアンドペーストを切り貼りするんじゃない。

自分が一からデザインして創り出した服だ。

オリジナルのものを創るには、自分でうみだした設計図がないといけない。

生み出す元が自分でなくてはならない。

創作もどきは「誰でも作れるようなシンプルな服に、他の人の創り出した布を貼っていく」ようなものだ。

その作業はいくら素晴らしいデザインの布を使ったとしても、駄作にしかならない。

駄作しか作れない。

その作業を「創造する」と勘違いしてはいけない。

自分がデザインを0から生み出さないといけない。

他の人のアイディアは、栄養として自分に取り込むのはいい。だけど、0から構築するのは自分であることを忘れてはいけない。

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以上が私の今日書いたメモだ。

あーあ。また、こんな事を考えてる。私は創作をしたいのに。

「創作」について考える方ばかりに行く。

私は「創作コンプレックス」だ。
私は何か生み出したいのに、生み出すのが怖いんだ。

生み出してみて「しょうもなかった」みたいに思えてしまうのが怖いんだ。

そして、頑張った結果が何にもならないことに怯えている。

私は「はてなブログ」で結構自分の考えを吐露してきたつもり。

だけど、やっぱり自分の為の文は自分以外の人の為にはならないのかもしれない。

「私はメイン以外の作業」を怠りすぎる癖がある。

「ブログはその人を表す」とよく言われるけれど、私のブログは正に私そのものだ。

細かい部分の配慮ができない。

カテゴリー分けとか、デザインとか最低限やって、後回し。

記事だけは全力で書くけど、書きっぱなしで、振り返らない。

そして、きっと同じような内容を繰り返して書いている。長くてグダグダと自分の思考の流れを書いていて・・・それは細かく考え込むことにエネルギーを浪費してしまう癖を反映している。

そして、内容も他人に向けたようで、根本は自分の為にかいている。

もっと改善しないと・・・って思うけど、思うだけ。後回し。そして「別に改善しなくていい、私は正しい」っていう、よくわからない昔から存在する虚しく立派なプライドも健在している。

私が書いているブログの内容は私の理想論ばかりだ。

私は自分の理想は言える。

だけど、理想を言えるのと、実際にできるかどうかは別物だ。

「医者の不養生」

ブログで私が書いているのは私の理想の姿だ。

私は自分がこうできたらいいな・・・なれたらいいな・・・という理想を書いているに過ぎない。

文頭のメモはまさにそれだ。

理想だけは高い。

こうできたらいいなぁ・・・という思いばかりだ。

そして、理想ばかり語って、うまくいかない現実から目を逸らしている。

素敵な創作物を見るたびに、羨ましくてしょうがない。

目もくらむような光り輝く創作物に触れるたびに、何で私には届かないのだろう・・・こんなにも遠いのだろう・・・と心が締め付けられる。

私もいつかこんな創作物をつくってみたい・・・少しでも近づきたい・・・と思うけれど、環境がなかなかそれを許してくれない。そしてエネルギーも枯渇してきている気がする。

時間がこんなにも欲しいと思ったのは今まででなかったかもしれない。

もっと知識を蓄えたい。いろんなことを知りたい。絵を描きたい。素敵な文章を書きたい。

だけど、時間がない。朝から晩まで続く家事や育児で私のエネルギーと時間が消費されていく。そんなの言い訳だ!とはねのけれる程ストイックでい続ける体力もなくなってしまった。

そして、今の私には、理想の自分は、高くそびえ立つ崖の上にちっぽけな点に見えるほどどんどんかけ離れていく。

私のいる位置は変わらずに、崖はどんどん高くなって点はさらに小さくなっていく。

受け入れないと。自分で選んだ環境なんだから。受け入れないと。今の自分を。

それは受け入れるべきだということは分かってる。ただ・・・私はなかなか前に進めない事実がやっぱり悔しい。

だから、この環境で進むために、今の自分の弱い部分をしっかり見つめ直す時なのかもしれない。

そして、このブログの方向性も考えないといけない。

理想論ばかりを垂れ流しているようでは、前に進めないから。

もっと、素直にブログを書く勇気、やめる勇気が必要なのかもしれない。

理想に届きたいとも、届かなくて悔しいとも全く思わなくなることが一番恐れている事だから。

今の私は、思える。だからまだまだきっと大丈夫。

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