最近、子どもがゲームにハマっている。
夫がゲーム好きなので、よく一緒にやっているのですが、まー子供の方が記憶力がすごい。
大人なんかより、細かいダンジョンの内容とか正確に覚えているのですよね。
で、はっと思いついたわけです。
経験の全体数が少ないから、より印象に残るんだと。
10000分の1より10分の1の方が、より印象に残りやすいってこと。
例えば心電図の波形のような線をイメージする。
より振れ幅が大きい刺激が強い。
振れ幅が小さいと刺激が弱いとする。
大人は、今まで生きた時がながいから、波の数も多い。
だからね、多少の刺激の出来事では、もう他の無数にある刺激の山の高さに紛れて印象に残らない。
子供は、まだ波の数が少ない。だから、大人にとっては、大した波の振れ幅でなくても、子供の全体で見たら高く見える、つまり刺激的に感じるんだ。
なんだか、ブログのPVの棒グラフに似ている。
ブログを始めてPV数10の日が10日ぐらい続いて、いきなりPV100とかの日があったら、その1日はかなり刺激的に感じる。グラフもその日だけ「ドカーン」っと高くなっているようにみえる。その出来事は実に刺激的だ。
だけど、200記事とか書き続けていると、もう、グラフは長すぎて、100PVの日なんか、全然印象に残らなくて、他の記事に埋もれて記憶にも埋もれる。
そして、むしろ100PVないと当たり前になって少なくなる方が耐えれなく感じるのかもしれない。
・・・なんて、ブログを始めた時期をぼんやりと思い返したりした。
長く生きるって刺激が均等化することかも。
期間が短かったらよく目立ったグラフのギザギザも、期間が長くなったら、そのギザギザは目立たなくなる。
長い長いリボンのように長々と続く棒グラフ。
子供は、視野が狭いというか、もっているリボンが短いんだ。
一つ一つの出来事がずしんと重い。自分に影響する割合が大きい。
大人は持っているリボンは長いけど、常に全体を見渡す視点ではなく、時々は狭い視野に切り替えれたり、視点の位置を自由に切り替えれると、もっと子どもの心がわかるのかもしれない。
子供の視点に合うように、間近でリボンをみたら、いいのかもしれない。
ああ・・・でも・・・もう大人は、それが、全体で見たら大したことない高さだって知ってしまっている。
やっぱり、一度知ってしまったら、知る前にはもどれない。
経験したら経験する前にはもどれない。
子どもの、純粋な未知のものとの刺激的な新たな出会いは、大人の周りには、同じようにそこら辺にころがっていない。
大人は自分から自分の知らないことを見つけていかないと。
そして、刺激を自ら探さないと。
身を滅ぼさない刺激を。
そうしないと・・・何かが終わってしまうような気がする。刺激を全く感じなくなったら、もう終わりだ。心電図が真っ直ぐになるように。
心臓の鼓動のように、好奇心を動かし続けたい。
そんなことを、ゲームをしている夫と子どもも後ろから眺めながら考えたのでした。
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