オリンピック終わったけどさ、オリンピックを例えにして話がしたい。
オリンピック見る立場の人ってさ、自分ができもしないくせに、いちゃもんつけるのよね。
例えば体操を例にするとさ、「あー失敗した!駄目やん!」「足が曲がってる」とか何だって好きにいえる。
冷静に考えたらさ、全く運動もしないし、できないメタボ気味の中年の人がさ、テレビに向かって一生懸命な若者に啖呵切ってるのを想像したら、なんとも滑稽だなって。
だって本人は逆上がりすらできないかもしれないのに、オリンピック選手にイチャモンつけるって。
よく考えると笑える。
スポーツも創作物も同じだな、と。
見るだけの観客はなんとでも好き勝手いえるんですよね。当の本人の苦労や努力を完全無視で。
「この漫画は絵が下手」「この漫画はストーリーがつまらない」「文章が下手」などなど。
これって、まんま、オリンピックの選手に向かってぐちぐち言う口うるさいオーディエンスと同じだ!って。今更気付いた。
あーなんだってそうだ。イチャモンをつける人は、何もできていない人が殆どなんだ。何もしていない。ただの観客の一人。
逆上がりすらできないのに、体操選手に向かってダメ出ししている人と同じだ。
実際にやる立場の人間がどんなに大変かなんて、何一つ考慮に入れず、理想だけを勝手に語っているだけ。
そうだ!そうなんだ!そんな声なんて真剣に受け止める必要なんて全くないんだ。立っている場所が違うのだから。ステージに立っている人と、観客席に座っている人は全く立場が異なる。
オーディエンスはなんでも好き勝手いえる。なんだっていえる。自分は何一つしなくたって、できなくったって、なんでもいえる!そんな人間のいうことは「そういう人間が言っている事」としてとらえればいんだ。特に自分のパフォーマンスに対しては、具体的に参考になる内容は大体ない。
自分のパフォーマンスの為に耳を傾けるべきは、同じような経験をした者。その人だけ。その人だけが真に耳を傾けるべき存在なんだ。
何でこんな簡単なシンプルな事になかなか気づけなかったんだろう。
テレビゲームだってそうだ。
実際にできなくても、他人がやっているのを見ながらあーだこうだはなんだって言える。
うちの子供だって理想なら言える。
例えば、夫がやってるマリオのゲームを見て色々口うるさくアドバイスしている。
自分では全くできないのに!
「そこジャンプ!そこに投げる!あー何でもっと早くジャンプしなかったの!」
そんな感じだ。幼稚園児だって自分の理想を語る事はできる。
自分ではできないのに、偉そうに自分の中の正論を語ってドヤ顔している人が何と多いことか。
「自ら正しいこと(理想)を実行できる」「正しいこと(理想)が分かって言える」は必要十分条件じゃない。
二つは必ずしもリンクしているとは限らない。
「自ら実行していて、正しいことを言う」人の言うことのみ自分のパフォーマンスに対して真剣に参考にする価値がある。
しかもその正しいことだって、その人の中の正しいこと、理想であって、それがパフォーマンスする側にとっての正しいこと、理想と一致するとは限らない。
どんなことだって、自分の答えは自分の中にしかないんだ。
色々な意見を聞くときは、その意見を言う人間がどういう立場の人間かを考慮して、自分の中の参考フォルダーに入れる必要がある。
何もかもすべての意見を一緒くたにして同じフォルダーに入れたら混乱して改善のための効率が悪くなるのだから。
そして、意見される何かをつくりだしている本人を尊重する事を忘れないようにしなくてはいけない。それが他人であっても自分であっても。
自分の理想を語っているだけの人は観客だ。
自分の理想を実行しようとしている人は主役だ。
そう、実際に舞台に立って一生懸命何かを生み出している人が主役なんだ。観客が何を言おうと、舞台に立っている人がその場の空間を作りだしている立派なクリエイターであり、輝いている主役なのだから。
【合わせて読みたい】