タイトル通り、これからブログを文字数にこだわらないようにしたい。
私って結構だらだらと長文を書きがちなのだけれど、別に短くても問題ない内容ってあるのですよねー。
長ければ長いほど、有意義な内容とは限らないし。
現に、「詩」や「俳句」という形式があるじゃないか。
文の長さは、内容の優劣には比例しない。
まあ、私の文が長くなる時は、別に文字数を気にして長くなったのではなく、「書いていたら気づいたら長くなってしまった」ってやつだ。
むしろ、もっと簡潔に書かないとな…と思うことがしばしばある。
だけど、「自分の心の声を、流れたまま、思うがままに、書く」っていうスタイルは結構気に入っているから改善する気はないのだけれど。
一応断っておくが、私は最後まで思うがままにダーっと書いた後、何回も何回も自分の記事を文頭から読み返し、表現したいことがちゃんと書けているか、チェックし、推敲する。
決して流れで書いて、そのまま投稿しているわけじゃない。しつこく推敲して、あれやこれや補足のための文章を加えていたりしたら、どうしても長くなってしまうのだ。
拙い文章かもしれないけれど、私なりに時間と労力を費やして、妥協できるレベルまでなんとか到達出来たと自分で納得できたら、投稿ボタンをしぶしぶ押す。
だけど、時々短くて文章が終わってしまうこともあって、そんな記事だと投稿に少し躊躇ってしまう自分に気づいた。
短い記事は、短いのを理由に邪険に扱う必要なんてないというのに。
何故か短いと「短いのは努力不足だ!」という悲しい真面目ちゃんスイッチが発動してしまう。
で、私は今この記事を書いていて、ハッと気づいたのだけれど、私は自分に課するレベルを高く設定しすぎている。「もっと私なら、高みを目指せる!」という自分の能力に対する過信が、大量の中途半端な下書きを生み出しているのだろう。
その完璧主義思考が、途方に暮れる大量の下書きの存在となって、横たわっている。
おそらく、「完璧主義」と「過去から逃げる、見ないようにする」のダブルパンチが、下書きの大量発生状態を生み出す原因となっているのだろう。
要するに、理想は高いくせに、ズボラっていう、私の弱みの表れだ。
今、ブログを始めてから初めて、下書きの数を数えたら136記事もあった。…想像以上に多かった。いや、整理しろよって…。……落ち着いたら整理しよう(お得意の先延ばし…(⌒-⌒; )
私はもう少し、夢から目を覚まさないといけないのかもしれない。
実際には存在しない「理想の状態」を追い求め過ぎずに、「あー自分はこんなもんだ」って思った方が、きっとかなり楽なんだろう。
だけど、私はまだ「あー自分はこんなもんだ」って思うことのできない、中学生のような状態でとまっている。
自分をまだまだ、少年漫画の主人公みたいに、伸び代があって、冴えない見た目だけど、実は能力をまだまだ秘めている…なんて思っちゃってる。
きっと、大人になるまで自分が本当にやりたい事を思う存分やってこずに、周りが求める自分像を保つ為に殆どの労力を費やしてきた、いわゆる「おりこうちゃん」だったツケが今回ってきているのだろう。
私はそろそろ、そんな「自分の能力を過信しすぎる自分」の卒業に向かわないといけない。
満足するまでやりきって、「もう…わたしには…これ以上できない…」って自分で納得できる終着地点まで、辿り着かないと。自分なりのゴールを設定しないと。
いつまでも、現実離れした届かない理想を追い求めて、もがき苦しむことになるから。
脱線したので、話を「短い記事」に戻す。
別に適当にその場凌ぎで投稿数稼ぎで短い記事になった訳でなく、ベストな形としての文字数の少ない記事の存在もちゃんと認めてあげないとなって思う。
寧ろ、短い形がベストなものを、自分のよく分からない見栄で長くしてしまうのは蛇足に他ならない。別に字数が決められている仕事でブログを書いているわけじゃないし。もっともっと、自分を解放して、自由な文体を目指したい。それなりな私にはそれなりの文章しか書けないのだから。
「シンプルイズベスト」
この言葉を心に留めて、これからより自由に肩の力を抜いてブログが書けたらいいな、って思う。
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