悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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名作の後ろには大量の駄作がある

人ってアウトプットの繰り返しで成長するんだね。

私は名作は単体で「ポッ」と出来るものだと思ってた。

でも、それは違うことに気づいた。

大体の名作はその後ろに、大量の駄作の存在があることに昔は気がつけなかった。

駄作を作りながら、創作者はブラッシュアップされていく。創作者自身が変化していった。積み重ねることをしてきた。

その集大成として名作が生まれるのだと。

だから「名作」っていうのは、その人が積み重ねてきたものの結晶だと。

結晶ができるのは、偶然なようで、必然なんだ。

結晶は適した環境、条件でないとできない。

その適した状態を最大限活かして、それを継続してきたからこそ、その結晶はできて、人から見つけてもらえる程大きくなった。

最大限チャンスを活かせるのは、それまで積み上げてきたことの成果だ。

本人ですら、必然だと気付いていないかもしれないけど、決して偶然では結晶はできない。

創作者が亡くなった後、時間をかけて時間をかけて、結晶が大きく大きく成長することだってある。

それは、その結晶が持っていた力だ。

それ自体が持っている力は、その通りにしかならない。

宮沢賢治の作品だって、当時は全く注目されてなかった。

だけど、やっぱり力を持っている作品は、その通りにしかならない。

時間をかけて、周りを巻き込んで、周りに影響しながら、さらに結晶は大きくなっていく。

そういう力をその結晶は持っていたから、その通りになった。

宮沢賢治だって、手塚治虫だって、やなせたかしだって、みんなが知っているような「名作」と呼ばれる代表作の後ろには、恐ろしいほどの量の作品が存在する。

それらの作品はもしかしたら彼らの「名作」に比べて「駄作」と言われることもあるかもしれない。

でも、それらの作品は決して無駄ではないし、不必要でもない。

大切な存在だ。

名作に辿り着くための、一歩一歩だったんだと。

誰も知らない場所でひたすら、地道に一歩一歩を踏みしめながら進み続けて、辿り着いた未踏の場所が・・・「名作」という場所だったのだと。

 

今ならそんなことを理解できる気がする。

   

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