「優越感」
あの人より走るのが速い
あの人よりかわいい
あの人よりはまし
あの人より勉強ができる
人の不幸は蜜の味
「優越感」
自分が勝手に上へ上へいく分にはいい。
だけど、周りを引きずり落として、自分が動かず上へ行ったようにするのは周りを不幸にする。それは自分に返ってくるからよくない。
自分自身が上へ上へいく。
自慢話も良くない、無駄に敵を作るから。
だけど上へ行って優越感を感じるのはよくないこと?
こっそり、味わうのはいいんじゃないかな。それもダメかな。
食糧難の国についてのニュースを見て、「日本で食べ物を美味しく食べれるだけでも幸せだなぁ」・・・ってこれもある種の優越感じゃない?
優越感は完全に悪いこと?
なんだか、そうじゃないと思うよ。
誰だって優越感に浸りたいから。
優越感はなんて甘ったるい誘惑なんだろう。
優越感は一時的には多幸感を味わう事ができるかもしれない。
だけど、それは、どんな嗜好品も持っている特徴みたいに、一時的に幸せを感じれば感じるほど、中毒性、依存性も高くなるわけで。
遊園地のバイキングみたいに、上昇したら必ず下降するもので。
「私はあの子よりかわいいわ」という気持ちで気分が上がるのなら、その分「私はあの子よりかわいくない」って気分が下がることもあるわけで。
常に激しいバイキングで楽しみ続けたいのなら、上昇できる原動力を求め続けないといけない。
その原動力を優越感だけに頼っていたら、いつかは身を滅ぼしてしまう。
人間は嗜好品だけでは生きれない。チョコやお酒だけでは体にいい訳がない。だからって野菜だけ食べるわけにはいかない。
自分に合う食事内容を決めないといけない。
妥協点、安定する位置を見つけないといけない。
バイキングだって、若い時は、高くなればなるほど楽しいかもしれないけれど、年をとったらそんなことない。ささやかな揺れだって楽しめるようになる。
その為に田舎でスローライフを最終的に選ぶ人がいるんじゃないかな。
競争の範囲を決める。
自分を置く場所を決める。
いつかは自分が幸せを感じる範囲を決めないといけない。
そこで、誰も傷つけることなく、自分でいくらでも自分のなかで自由に優越感に浸ることができたら、きっとそれが安定した幸せにつながると思う。
ただ、それは、人生の最後らへんの状態なのかもしれない。自分で自分の範囲を決めるってことは、ある意味断念だから。
「安易に優越感を感じてはダメだ!」
・・・って気持ちを親が子どもに抱くのは、きっと成長をとめたくないからだろうね。
もっと広い世界に目を向けてほしいって願望なんだろうね。
「徒競走で1番?そんなんで満足するな!もっと速いやつは山ほどいるぞ!」
「テストで100点?そんなので、満足しちゃあいかん!こんな簡単なテストで100点とるのは当たり前!」
親はなんて欲深いんだろうね。
優越感にひたるってことは、ある意味井の中の蛙にならないと出来ないことだから。子どもが無知な井の中の蛙にならないように必死だ。
やっぱり、幸せな気分を感じやすいのは、大きい世界を知らずに小さい世界にいる事かもしれない。
あとは、大きい世界を知ったあと、自分で納得して、小さい世界にいる事を選ぶしかないよね。
私は決して、小さい世界にいることがいけないなんて事は思っていない。
小さい世界で幸せを感じて生きていけるなら、それで十分だと思うし、おそらく最もまっとうな幸せになれる方法だと思うのです。
最終的なその小さい範囲を自分にまで極限に小さくできたら、もうそれはある意味悟りを開いていると思う。
落ち着いて呼吸しているだけで幸せ。味噌汁の匂いを嗅ぐだけで幸せ。病気をしていないで健康な状態なだけで幸せ。素敵な自然が周りにあって眺めれているだけで幸せ。
・・・ブッダですね。いや、ブッダはこんなもんじゃないかもしれないけれど。
優越感を「自分」という範囲だけで完結できる。優越感を「他人」に対してではなく「自分の状態」に対して感じる。もはや、それは優越感とは呼ばないかもしれないけれど。
問題なのは、「小さい世界では幸せを感じることができなくて苦しい」ってことだよね。
そういう人は、一度大きい世界に出ないといけない。
それで、思う存分何かを追い求めて、その結果を納得して小さい世界に身を置くことを選ぶ。
そのプロセスが大事ってことなんだと思うよ。
そして、結局は「幸せ」は自分でつくりだすしかないって気づくんだよね。
いくら優越感に浸りたくて、上を上を目指しても限りはないから。自分以外に優越感の対象をおくと、結局主体的な生き方はできない。周りに振り回されてしまう。
幸せを効率よく沢山感じるには、自分の範囲を小さく小さくすることだと思うよ。
それが正しいか否かは別問題として。だけど、きっとある程度は自由になれる。
人間の精神の成長の流れって「大海を知らない井の中の蛙が、大海の存在をしり、それに憧れて井戸をでて、外の世界を知って、最後には井の中で暮らすことを選ぶ」って感じなのかもね。決して海に住む事は選ばない。選べない。蛙は蛙だから。人間は人間だから。
結局は自分の身の丈に合った場所が一番安全で幸せになれるってことで。
魚がいくら陸上や空に憧れても、やっぱり魚にとっては水の中が一番最適な場所ってこと。
また、いつものように、話がとっ散らかってしまったけど、なんていうか・・・・優越感って言葉の定義によるかもしれないけれど、悪いことじゃないと思うよ。
どんな感情も相対的に感じるものだから。私は優越感もちょこちょこ、とりいれて生きていけたらいいと思う。チョコを時々食べるみたいに。
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