悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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私のブログの文体

ブログの文体って結構重要。

文体によって、書くモチベーションや、書く内容のスタンスが変わってくるからさ。

最近私は、自分の仮想の「心の親友」に話しかけている感じで書いている。

夜の美しい星空を、草原の丘で座って見ながらさ、自分の頭の中を開けっぴろに好きな時に好きなタイミングでどんなことでも話せる架空の友人。

そんな友人なんて、リアル生活にはいないし、望んでもいないからさ。

夫だって、子どもだって、流石にそれぞれの都合があるし、眠い時もあるだろうし、いつでもかつでも私の話に興味をもって耳を傾けてくれるとは限らない。

・・・し、それが悪いことや、不満だなんてことはちっとも思わない。寧ろ当然なわけで。私だってそんな事できない。

生物である以上、それぞれの都合がある。

お腹すいたー、トイレ行きたいー、眠いー、イライラする、仕事で疲れたからゲームしたい、好きな漫画が出たから読みたいー、自分の空想に浸りたいー

とかね。

だから、他人のために時間をつかうタイミングって難しいわけ。他人に、好きな時に、気持ちがぴったりとあったwin-winな状態でアクセスできるって難しいの。

その点ブログってすごいよね。

私が書きたい時に・・・話したい時にそれを書く。

そして、相手も、自分に余裕がある時に、興味があるブログの記事にアクセスする。

できなかったはずの会話ができちゃうんだよね。時空をこえて。

「話したい!」って思ったその場で、子どもにも夫にも話せない、心の中の会話ができちゃうわけ。

私が仮想の「心の親友」に話したいことを、話したい時に書いた会話。

そして、それから時間が経って、私はもう話したいことを話し終わったし、もうその話したことを忘れて、朝食のトーストでも頬張っている時に、その記事を読んでる人がいたりする。

そしたら、時空を超えて、会話したってことになるでしょ?

私が、スマホに向かって暗闇の中、指を動かしながら、会話のように書いた記事。たった一人で人知れず過ごしたその時間は、時を超えて、その人と会話した時間になるって事でしょ?

そしたら仮想した「心の親友」は実際にいることになるよね。

まあ、それは読んでくれている人がいた時の場合だけどさ。

読んでくれる人がいなかったら、その時間は全くの無駄な時間になる訳で。架空は架空のまま消え去る訳で。

私は、ものすごくわがままだから。

私には別に触れなくていい。

そっと放っておいてほしい。

だけど、遠い遠い誰かとはそっと繋がりたい。

それは、私の実生活、または人生に全く関わりのない人で全然いい。寧ろそれがいい。

そんな感じで、ブログを書き続けていけれたらいいのになって思う。

そして、いつかブログ以外の手段で、そんな、時を超えた「心の親友」への手紙のような文章が誰かに送れたら素敵だなって思う。

いつかブログでは、届けられなくなる気がするからさ。

他の手段も得れたらいいなって望んでる。


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