見栄を張りたくなって苦しくなったら・・・
それは、本質から焦点がずれて行っている証拠。
そうなったら、一旦その執着していることから完全に離れるのが一番。
一旦忘れる。
目を逸らす。
そして、本質を掴んだ感覚を思い出してきたら、またそこを見つめる。
基本的にこの繰り返しだわな。
だからね、うまく息抜きの方法を獲得している人は強い。
無駄に、焦点がずれて、苦しむことにエネルギーを使わずにすむから。
だからね、やたら人を褒めるのは、その人にとっては道を逸らさせるきっかけとなりうる。
きっと、やたらめったら褒めるのは良くない。
「本来自分が進みたい道」から「褒められる自分」の方向に焦点がずれてしまう。
真の教育者はきっと、褒めるタイミングと言葉選びを心得ている。
「あからさまな褒め言葉」だけが褒めるための手段ではない。
そこの部分を教育者は心得ないといけない。
本当にその人の成長を願うなら・・・
頻繁に短絡的に反応したり、褒めたりするのは、実は逆効果なのかもしれない。
本当は、陰からしっかりと見守るのが一番だと思う。
そして、その人が本当にその人にとって価値があることを成し遂げた、頻繁には生じない、本当に立派なことをやり遂げた時に、ピンポイントで肯定的に反応する。
きっと、それが・・・その人を心から応援することだと思うよ。
粘り強く、その人のことに関心をもって、あれこれと考えなしに口を出すことなく見守り続けることが、本当にその人の為になる。
「褒める子育て」がいいなんて、情報があるけど、ちと短絡的過ぎると思う。
叱るのはダメ、褒めるのがいい。
褒めるだけではダメ。叱るのも必要。
そんな、上辺だけの話じゃないんだよね、きっと。
「叱りかた」「褒めかた」のワードで解説できる問題じゃないんだよね。
教育者として人を導くってことは。
見栄という化け物に打ち勝ち続けること。
それが真の成功者だ。
「敵は自分の中にいる。」
「オリンピックには魔物がいる。」
みたいな、よく聞くフレーズは、結局見栄を張ってしまう方向に焦点がずれてしまって、目指す本質からそれてしまって、今まで自然に見続けれていたことが見続けれなくなってしまったことの例えだろう。
「焦点がずれてしまった。」
それを自然に修正できるようになることが、大切な大切な本当の成長の一歩なのかもしれない。
ジブリの『魔女の宅急便』も、なんだか、誰もが若者の時に通るそんな成長の段階を描写しているのかな・・・なんて、ふと思ったのでした。