大晦日の紅白を見ながらこの記事を書いています。
今年も最後ですね。
来年はこのブログは一体どうなっていくのでしょうね。
とにかく、来年は色々なことにチャレンジしたいです。
自分のやりたいことをやりたいように。
もう、躊躇なんてしてられない。
人間なんて、いつどうなっちゃうかわからないです。
健康で、体が思うように動けて、食べ物が美味しく食べれて、大切な人と何気に笑い合えることが、なんて恵まれていることか。
ものすごく贅沢なものを自分が持っていることに、持っている時はなかなか気付けなくて、いつも無い物ねだり。
それに気付くのが失ったときだなんて・・・悲しい。
だけど、失う前に気付くことは、何て難しいんだろう。
「日常」が崩れた時「日常」の有り難さに、やっと気付いて、ハッと目を覚ますんだ。
目を覚ました時には、もう大切なものを失った後なんて嫌だから。
だから、しっかり、目を開いて・・・曇りなきまなこで、本当に大切なものを見続けられたらいいのに。
「あー今私はなんて恵まれているんだ・・・」
って「日常」を送っている時に噛み締めれたら・・・
その人は、周りからどう思われていようが、間違いなく「恵まれている」んだ。
逆に、周りから見て、無茶苦茶恵まれているように見えていたとしても、本人が「恵まれていない」と思っていたら、その人は「恵まれていない」。
残念なことだけど、人間って一度失ってみないと、今持っている「有り難さ」になかなか気付けない節がある。
「健康」だって、「大切な人」だって、当たり前な何だって。
それが崩れた時になって初めて、その大切さに気づいて途方に暮れる・・・ってことを避けるためにはどうしたらいい?
きっと「想像」しかない。
失ったことで、そのものの大切さに気付き、そのことを伝えようと努めている人生の先輩がきっといるはずだから。
その先輩の声に耳を傾けて聞いて想像するしかない。
だけど、その想像だって、膨らませる小さな「実体験」が無いと、膨らませれない。
風船を膨らますためには、風船がなきゃ膨らませれない。
だから、結局、経験しかない。
小さい子が、年寄りが好きな食べ物をどうしても理解できないように。
経験しかない。
小さな小さな経験を大切に大切に積み上げていくことが、まだ失っていない私たちにできる精一杯。
小さな小さな経験を想像力で大きく大きく膨らまさないと。
そして、今ある「有難いこと」を、雑な扱いをしたり、蔑ろにすることで、ゆるやかで急速な破壊を導かないようにしないと。
自分の体だって、同じだ。
暴飲暴食で、胃を酷使して壊さないようにしないと。
私は小さい頃から、嫌なことがあると、食で気を紛らわせる癖があった。
それを繰り返してきたせいで、きっと今になって胃が弱っている。
胃に甘えすぎた。
一方的に甘え続けた結果・・・きっと、今の胃の不調に繋がった。
自分が強くならないと。
甘ったれは、周りを急速に弱めてしまう。
甘ったれは、ライオンの皮を被ったウサギだ。
周りに無駄に吠えるけれど・・・正体は寂しくて死にそうなウサギだ。
自分の周りの人間を、無駄に消耗させないようにするためには、擦り減らさないようにするには、自分が強くならないと。
強くなることは、自分を苦しめることじゃ決してない。
ライオンの皮を被ることじゃない。
自分を苦しめることなく、虚勢を張ることなく、バランスの整った状態で一人で真っ直ぐに歩いて進んでいける人がきっと・・・強い。
甘ったれて、周りの人間を無駄にすり減らす人は、不摂生な人間に似ている。
自分の心が不安定であるために、身体を労わずに酷使する不摂生な人に。
不摂生な人間は、不安定な部分を補うために自分の健康な体に甘えている。
ストレスの処理を体に甘えている。
偏ったバランスは、やがて保てなくなる。
そうして、体の不調に徐々に表れてくるんだね。
体の不調は、体のSOSサインだ。
元来強く逞ましい体ちゃんの必死なサインだ。
私は来年は、自分としっかり向き合う。
体も心も。
自分を整える。
自分の秩序をしっかりと整える。
三木清の『人生論ノート』で、「無秩序は浪費である」・・・みたいな言葉があって、感銘を受けた。
私は自分の秩序をしっかりと整えた上で・・・周りに接したい。周りの秩序も整のえたい。
そうしないと、周りに甘えることになる。
別に甘えることは悪いことじゃない。
だけど、私は今まで散々甘えてきた。
だから、これからは、私の周りの人が私にしっかりと甘えれるように・・・自分をしていきたい。
そんなことを、大晦日の夜に思うのです。
強くなって、強くなって、周りを幸せにしたい。
それが、今後の私の漠然とした目指す方向にしたい。
それは、「目立つ」「目立たない」とは別の次元であるべきだと思うのです。
・・・こんなことをだらだら書いているうちに2022年になった。
最後に・・・
皆様の2022年がキラキラした日常で満たされますように。