文章の持つ引力。
朝、朝食を食べてる誰かさんの頭の中に、人知れず、私の文章がこだましてるといいのに。
私の文章を読んだ人がしばらくの間、私の文章が頭から離れなかったらいいのに。
私の創造力が少しでも、誰かの人生の海の水面を動かせてたらいいのに。
こんなちっぽけな私でも、そんな事が可能なのかしら。
文章を書く人ってこんな欲望が少なからずあるんじゃないかな。
「文章を書く人」っていうか、創作者かな。
『鬼滅の刃』の作者さんは、自分の創造力が日本中に影響されてるのをどう感じているのだろう。
自分が生み出したキャラクターを日本中の誰もが知っていて、夢中になってるってどんな気分かなぁ。
ゲーテの著書『若きウェルテルの悩み』が若者の間で大流行した時、その作品に影響され過ぎて、主人公の真似をして、恋で自殺する若者が沢山出たらしい。
その影響を聞いたゲーテはどんな気持ちだったのだろう。
エネルギーの凝縮された文章のもつ引力は凄い。
そんな文章を生み出すには、きっと長い長い歳月が必要なのだろう。
一朝一夕なんかでは生み出せないんだろうな。
アウトプットの作業は短い時間かもしれないけれど、その源は一朝一夕のものなんかじゃ絶対ない。
果たして、私が生み出しうる文章の引力の限界はどのようなものだろう。
取りあえず、文章を書いて書いて私にできる範囲で積み重ねていくしかないんだろうな。
私は今まで、このブログで私なりに文章を積み上げてきたつもりだけれど、それらが果たして引力を持つ文章だったのかどうなのか、そして、このまま過去に書いた文章たちはこれから何になるのか・・・何かになるのか、何にもならないのか・・・私次第な気もするし、そうでもない気もする。
積み重ねてきたものが、一体どのぐらいの高さになっているのかも、私には計りかねる。
創造力の引力は今の時代色んな所に転がってて、その引力が強力なら強力な程、私はできるなら、そこから逃げたい。なぜなら、私は引力に引き寄せられたいんじゃなくて、どちらかというと、自由に動き回りたい。そして、出来たら私が引力で引き寄せれたらって思う。
私の創造力の邪魔をして欲しくない。
だけどね、もう世の中には魅力的なすぐに手に入る引力が多すぎる。
ストイックじゃないと、すぐに他の人の生み出したコテコテのものに依存したくなる。そして、ホイホイとお金を出す方向へ行ってしまいそうになる。
小説家は、決して他人の書いた作品に夢中になってはいけないと思う。
ヘンリー・ダーガーも、他に夢中になれるものが何一つなかったから、あんな大作を生み出す事ができた。
創作者は、何よりも自分の創作活動に夢中にならないと、自分以外を引きつけるほどの創作物を生み出す事はできないだろう。
他人の創作物に夢中になっている暇はきっとないのだろう。
だけど、今の時代はどこもかしこも、創造力の引力の罠が多すぎる。
あっちへふらふらこっちへふらふらして、真っ直ぐ歩けない。
でも、それでも、私は何で、そのたくさんある引力に惑わされながらも、その引力の一つとなって、誰かを引きつけたいんだろう。
どうして自分の創造力を誰かに押し付けたいんだろうか。
きっと、自己顕示欲が強いんだろうな。自分はちっぽけだと思いたくないのだろう。自分はちっぽけな存在じゃなくて、もっと広く世の中に影響を与える事ができるんじゃないかって。きっと分かりやすい形で信じたいんだ。
自己顕示欲って拗らせたらやっかいだ。自殺する時に、無差別にそこら辺の人間を傷つける事件って、大体これが変な方向にいったのが原因だと思う。
自己顕示欲は誰にでもあると思う。
私は最初ヘンリー・ダーガーは、自己顕示欲がない創作者だと思っていた。
だけど、おそらくそれは違うだろう。
ヘンリー・ダーガーは、きっと自分の創造した世界を自分の外の世界と共有したかった。
そういう強い思いがなければ、どうして、今こんなにも、彼の作品が世界に反応しているのだろうか。
強いエネルギーをもった創作物だからこそ、世界を引き寄せた。だから、きっと彼はこの状況を望んでいたのだと思う。彼の強い思いが、作品をそうさせた。
ヘンリー・ダーガーのように、何にも邪魔されることなく創作活動に没頭出来たら・・・って思うのだけれど、きっとそれはあまりにも安直な考えだと思う。きっとそれはそれで耐え難いものがあるだろう。
「創作活動は、社会に居場所のない者の最後に残されたオアシス」
そんな言葉をどこかで聞いた。
だけど、今の時代、自ら創作活動でオアシスなんか求めなくても、充分満たされる。
だけど、やっぱり、私は自由になりたいから、創作活動をしたい。
周りに振り回されることなく、依存する事なく、自分自身を救うことのできる創作活動。
人生の敵である「退屈」から自由に自分を救える「創作活動」。
自ら創造できることは、一生自分を退屈から救う。ゲームみたいに全クリすることもない。ドラマや漫画、小説みたいに完結することもない。「終わり」に苦しまなくていい。喉が渇いて水を求めて、憐れに彷徨わなくていい。
創造力で自分で自分自身を満たす。そして、その世界が自分から溢れ出して、いつか自分以外の世界にも流れ込んだら素敵だなって・・・まだ、こんな大人になっても夢見てる。
しっかり自分の文章達と向き合わないとな。
大切にしてあげないと、もう何にもなることもなく消えちゃうからね。
「切り捨てる」っていう私の悪い癖とは、もうそろそろバイバイしないとな。