悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

【スポンサーリンク】

知らないうちに戦争が普通にできる世の中になっていた

最近「戦争」ってワードが頭の中をざわつかせている。

 

テレビでみて、「なんじゃこりゃ。現実に起こってること?」ってなって・・・

 

まるで、今の自分がとてつもなくボンクラで、平和ボケな・・・まるで、動物園の平和に慣れきった、野生(現実)の厳しさを知らない・・・または忘れた、何もできない哀れな檻の中の生物のような気がした。

 

あー身近な戦争はいつでも起こりうるんだ。

 

国の核兵器の稼働や、軍隊を動かす事のできる国のリーダーが、例え、ご乱心だとしても夢と現実の区別がつかなくなろうが、正気だろうが、何であろうが、「指示」さえ出したらそれがまかり通ってしまう世界にいつのまにかなっていたんだなって。

 

多分、今回の出来事で、心がざわついて、虚無感で暗い気分になった人は私だけじゃないと思う。

 

私はどうしても、ニュースの現地の様子をみると、その状況を日本にいる自分と置き換えて、考えてしまう。そして、それはあってもおかしくない未来にいつのまにかなってしまった。

 

世の中はこんなにも移ろいやすいものなのだな。

 

当たり前だったことが、ある瞬間から当たり前じゃなくなって。ちょっと前まではあたり前だったことが、まるで夢のようになる。コロナだってそうだ。当たり前だと思ってたコロナ前の世界は当たり前ではなくなってしまった。

 

世界は絶妙なバランスを保ちながら進んでいっていて、それは実はとても繊細にバランスを保っている状態で・・・少しでも何か大きな偏りが生じてバランスを崩すと、一気に崩れてしまうのかもしれない。

 

危ういものの上に何かを築いてはいけない。

砂上の楼閣のように簡単に崩れ去ってしまうから。

 

だから、例え時間がかかろうと、慎重に慎重に、地盤やら、建物の骨格やら、素材やら、しっかり吟味しながら、見掛け倒しでなく、甘えのない、どこまでも配慮が行き届いた、隙のない頑丈な城を作ったほうがいいんだ。いや、作り続けて維持しないといけないんだ。

 

でもね、どんなに、頑丈な城を作ったとしても、人間は「核兵器」というどうしようもないものを生み出してしまった。

 

ゲームのリセットボタンのように、押したら、有無を言わさずに、世界が消去されるボタンをつくってしまった。

 

しかも、そのボタンをもっている人間を何人も存在させてしまった。

 

戦争は破壊と停滞をうむ。

 

刹那的な生存活動にエネルギーを強制的に集中させる。

 

今まで意味をもっていた、未来を見据えて、地道に解放してきた創作意欲やら、エンタメやら、目標やら、積み重ねてきたものやら、思想やら、風景やら、・・・全てが「今」に無慈悲に費やされ無くなる。未来の視点がなくなる。

 

未来を断つ。

 

みんな、「今」に振り回される。

 

死んだらその人の何もかもが終わるから。輝く未来に向かって進もうとしていた何かも、その本体が無くなれば、それは無に帰するから。

 

最近、フロイトの「タナトス」という言葉を本で知りとても印象に残っていた。

 

そして、タイムリーに頭の中で自然に「戦争」とどことなく結びついた。

 

フロイトは、「リビドー(性的な欲動)」だけだと説明できない精神的事象が多くあることから、「タナトス(死の欲動)」という考えを晩年に生み出したらしい(対になる欲動は「エロス(生の欲動)」)

 

「タナトス(死の欲動)」は例えば、こどもが癇癪をおこして、頑張って積み上げた積み木の作品を一気に壊してしまうような破壊行為に表れる。

 

何もない状態を求め、死へと向かう欲動。

無機物の不変性に帰ろうとする死の本能(衝動)。

 

それがフロイトの考えた「タナトス」というものらしい。

 

年をとるにつれ、色々なものを手放していきたいと願う衝動。もし、それの一つの形として戦争が成り立ってしまうなら、たった一人の人間の精神的段階、状態の衝動がダイレクトに安易に戦争に結びつくような仕組みにしていいはずがない。

 

そのような仕組みは「核兵器」が存在してしまった時点で、人類の為にはあってはならないものなはずだ。

 

誰だって、自己顕示欲がある。それの最たるものが、自分自身を世界に反映させること、即ち、自分自身、あるいは自分の国の破滅と地球の破滅を同意義にしてしまうことなのかもしれない。

 

自分の死=世界の死

を望む事。

 

そんな感情が芽生えてしまうこともあるのかもしれない。

 

芽生えるだけならまだいい。だけど、現実にできるようにしてはダメだ。

 

1人の人間の人生を世界に反映させれることはとても危うい。

 

人間は必ず死に向かう。だけど、ちっぽけな一人の刹那的にしか生きれない人間の死の道連れに世界を巻き込めるようにしてはいけない。あくまでも、次に繋げる架け橋のようにしか人間はなれない。

 

以上はかなり妄想の入った、平和ボケした一人の人間の単純な考えなのかもしれない。

 

もしかしたら、今回の出来事とは全く関係のない内容を展開してしまっているかもしれない。

 

けれど、ひとりの人間はどうあがいても、ちっぽけな一つの生命体であるのはきっと間違いない事実だ。

 

それをまるで、一人の人間が世界の中心であると勘違いさせる仕組みは、危険だし、残酷だし、哀れだ。

 

思考は残酷にも現実に結びついてしまう性質があるのだから。

 

1人の人間の死が、世界の死に繋がるきっかけとなってしまう。

 

もしかしたら、戦争はたった一人の重荷を背負いすぎたちっぽけな人間が、不相応な肩書き通りの役割を保つことが困難になって、ついに制御しきれなくなって暴走した「タナトス」が起爆剤となって生じるのかもしれない。

 

肩書きが極端に立派なちっぽけな一人の人間にあれもこれも荷物をホイホイと盲目的に預け続けた周りの人間の怠慢の結果。

 

そうともとれるかもしれない。

 

今回の出来事のきっかけがそうでないとしても、悲惨な不合理な暴走した山火事のような戦争はきっとこんな感じで走り出してしまうように思う。

 

何にしたって、核兵器の存在を脅しにつかって、何でもまかり通る世界になったら、確実に破滅に向かってしまう。

 

そこだけは、どんなことがあっても決して許してはならない。人類の未来を望むのであれば。その点では、ある意味一線を超えてしまった出来事のように思う。

 

私の感じた、漠然としたちっぽけな虚無感はきっとここからくるのだろう。

【スポンサーリンク】