目標があることは、創造があること。
目標が無いことは、創造がないこと。
自らが、創造できないとき、人は苦しい。
創造できなくて苦しい人は「現実を忘れる」ことに居場所を求める。
現実から目を逸らして、現実とは別の居心地のよい場所にとどまる。苦しい現実を忘れることのできる夢のような場所。
お酒だって、小説だって、漫画だって、ゲームだって・・・。
手段は違えど、「現実とは別の場所」にとどまっていることには変わりない。
適度に現実から離れることは大切かもしれない。息抜きは大切だ。だけど、現実とは別の場所にとどまり続けて、現実を完全に忘れ去ってはだめだ。ずっと、見ないふり、忘れたふりは、いずれ自分の首を絞める。創造できない自分の苦しさからは決して逃れれない。
とどまり続けることの原因は手段じゃない。酒のせいじゃない。ゲームのせいじゃない。根本的な原因は本人だ。手段のせいにするのではなく、自分の「今の状態」を勇気を出して見つめないと。手段に、弱みにつけ込まれ続けられたくないのなら。自分の弱さを見つめないと。
自分が「創造」を忘れている間に、現実とは別の場所にとどまり続けている間に、世界の現実は自分の望む様相とかけ離れていっているかもしれないのだから。
「創造」って、すごい芸術作品をつくることだけじゃない。
絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作ることだけじゃない。
自分の人生を創造する。
世界に対して、受け身でなく、積極的に自分を作用していく。
自分の意思で自分の周りを形成していく。それはちっぽけに見えるようなことでも「創造」だ。
例えば、ご近所付き合いを上手くやるのも「創造」だ。ボランティアに参加するのも「創造」だ。自分の意思で積極的に行動することは、自分の人生を創り出す「創造」だ。
「創造力」「想像力」は人間の人間たる根源の力だと。
「そうぞうりょく」でこれからの世界を創り出していく。
例え、一人一人の持つ「そうぞうりょく」は小さくても、多くの人々のそれが同じ目標に向かっていれば、大きな力になり現実を創造できる。
今の世界の様相は、今までの人間の「そうぞうりょく」が世界に反映された姿だ。
人間の「そうぞうりょく」が創り出した世界だ。
これからの世界の様相も、今の「そうぞうりょく」が影響してくる。
その世界は、暖かくて、色鮮やかで、キラキラした居心地のいい景色を望んでいる。