「恋に落ちる音がした」
みたいな表現ってあるじゃない。歌詞とかでさ。
この文の意味って、恋をしたことないと「???」って感じだよね。
文字を読める小学生がこの文を読んでも、文字としては読めるけれど、どんな現象を表現しているかは・・・多分理解できない。
文としては理解できるけれど、その文が何を表現しているかは分からない。
自分が経験してやっと、この文から音を聞くことができる。
経験してないと、この文からの音を聞くことができない。
もちろん、「音」っていうのは比喩で、実際に存在するドレミの音の羅列じゃない。
こんなのは大人からしたら当たり前な話なのだけれど、表面の文字だけを読解した子どもだと、そんな音がリアルに存在すると思うのかもしれない。
「恋に落ちる音がした」
という表現がよく用いられるということは、この表現は人間にとって、ある共通した感情の動きを表すのにぴったりな文字の羅列ってこと。
恋愛する時に共通して生じる現象を上手く表してるってこと。
だから、この文章から自分だけの音が聞こえたら・・・自分なりに音がイメージできたら・・・もうそれは、自分の中に、その経験があるってこと。
恋に落ちる経験をして初めて、この文章は意味を持ち輝き始める。
音楽だって、小説だって、絵画だって・・・。
見たり聞いたりして、ビビビッと心に響いたってことは、もうそれを感じ取るだけの何かが、自分中に培われてたってこと。
ビビビッとくる何かが確かに自分の中に既に存在してるってこと。
この世界には、目に映ったり、音で聞こえたり、文字で書かれたりする創作物の背後に、決して分かりやすい形では現れないけれど、大事な大事な何かが存在していて・・・
その存在は、はっきりと「存在してます!」って主張せず、とりとめのない、雲みたいな存在だけど、確かにそこにあって・・・
人知れず、誰かから誰かに流れていって、共鳴して、心を揺らす。それは、本人達さえも気づかない異次元の場所で生じているかもしれない。
ある音楽を聴いていて、ある箇所に感動した瞬間は、きっと他の人も、違う時間軸だけど同じように感動している。だけど、今一緒に隣りで聴いている人の心は全く揺さぶることがない。きっとそんなことがひっきりなしに、あちこちで生じている。
そんな精霊のような見えない存在が、視覚や聴覚として輪郭をスっと見せた瞬間を、見逃すことなく、しっかりキャッチして、理解できるようになりたい。色々な景色をみたい。
その情景は、決して目の前に広がっているのではなく、自分の内側から広がっていく。
いろんな感情を知っていく度に、いろんな色や音を理解できるようになる。
そして、その理解できる色や音のような文字が多ければ多いほど、「今生きてる世界」という本を深く深く理解できるようになる。人生が豊かになる。
そういう、目には見えないけれど、リアルな音としても聞こえないけれど、確かに存在している何かを、しっかり感じ取りながら・・・大切にしながら意識して生きていきたい。
すぐそばにある、後ろ側に流れている色々なものを取りこぼしたくないから。
でも、どうやったら、そのような目には見えない存在を取りこぼさずに、感じ取ることができるようになるのだろう。
きっと全てを受け取ることなんて、ちっぽけな私にはできない。
私には、すぐそばにいる人の「恋に落ちる音」の実態すらも、知ることはできない。
私以外の人間の「恋に落ちる音」がどのようなものか、私のイメージしたものと似通ったものなのか・・・実際にその音を聞くことはできない。想像するしかない。
だけど、想像だけが・・・想像力こそが人間を人間らしく、より輝かせることのできる、最高で最大限の能力だと思う。