悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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「死ぬのが怖い」のは手放したくない素敵なものを沢山持っている証拠

私は今、死ぬのがとても怖い。

この世界から消滅してしまうことが怖い。

 

なぜなら、この私の肉体でやりたいことが沢山あるから。

 

まず、子供たちが大人になるまでちゃんと見届けたい。

 

そして、知りたい学ぶべき事が沢山ある。

 

そして、私の中には表現したいことが沢山まだある。

 

でも、「死ぬのが怖い」って感情は、悪いことじゃない。今沢山素敵なものを持っている証拠だ。素敵な目標をもっている証拠だ。素敵な未来を描ける何かを持っている証拠だ。

 

もっていたら、失うのが怖くなる。

何ももっていなかったら、失う怖さなんてない。だから、私は若い時、今ほど「死ぬのが怖い」なんて思わなかった。もちろんそれは、「痛い=怖い」っていう考えをとっぱらった場合の話。即ち、私という存在そのものが、今消えたらどうかを基準に考えたらってこと。

正直、昔の私は今ほど大切なものをもってなかったし、目的も分からないままのやらないといけない毎日のタスクの連続で、今のしんどさの方が勝っていた。未来に目を向ける余裕がなかった。心から大切だと思える、描ける未来は持ってなかった悲しい人間だった。

 

その時は心躍る素敵な目標や未来を悲しいほど描けなかったから。

 

だけど、今は私は死ぬのが怖くてたまらない。

 

沢山、素敵に描ける未来の可能性を手に入れてしまったから。

 

特に子どもだ。私は子どもという存在をもってから、本当に死ぬのを酷く怖がる、臆病者になってしまった。

 

たった一人で危険な山に登るより、子どもを連れて登る方が遥かに怖いのだ。

 

心から愛すべき何かを手に入れてしまうということは、同時に失う時の辛さもセットで手にするって事だ。

 

例えばさ、特に生きがいもなく、大切なものもなく、キラキラ輝く未来も描けない人が「あと1ヶ月の命ですー」みたいなことを医者に言われたとする。その時は、「あー自分の人生そんなもんかー」ってぼんやり妙なほどすんなり冷静に受け入れられたとする。

だけど、入院中に、無茶苦茶はまる、もー心が燃えたぎる未完結の漫画を見つけてしまって、しかも物語の佳境で、更新が月一ときたらさ・・・きっと「あー何で、自分の寿命はあと1ヶ月なんだーーー!こんなにも苦しいなら、この漫画と出会わなければよかったーー!」って無茶苦茶苦しむと思うの。「せめて、この漫画の結末だけ見届けて死にたい!」ってなると思うよ。絶対。俄然、生に執着しだすと思う。・・・この例え話、分かってくれるかしら(汗)

 

・・・とにかくさ、自分がその場にいたいキラキラ輝く未来が描けるかどうかがさ、「死ぬのが怖い」って感情に直結すると思うの。

 

あとは、自分がすべき責務があるかどうかかな。

私の場合は母親としての責務をしっかり全うしたい。だから、それを放棄して自分が消え去るのは怖い。自分の使命を果たしきれずにこの世界を退場するのが怖い。私しかできないやるべき事が沢山あるのに、できないのは、悔しいし怖い。

 

こんな感じに・・・私は、昔の哀愁漂うあの時と比べて、かなり死ぬのが怖くなってしまった。

 

でも、それは、生きる楽しさを手に入れたって事だと思う。

 

手に入れちゃったから、「失う」っていうリスクも発生した。

 

それが大事なものであればあるほど、「失う」リスクは大きくなってしまう。

 

そして一旦手に入れてしまうと、持っていなかった時の状態には戻れない。

 

出会ってしまったら、もう・・・後戻りなんてできない。もって歩き続けるしかない。失うリスクと一緒に。

 

だから、手塚治虫や、やなせたかしは、あんなにも死ぬのを嫌がっていたんだね。まだ、やりたいこと、目標を沢山持っていたから。まだまだ輝く未来を描けたんだ。先を見ていた。進化し続けていた。自分にしかできない、成し遂げたい事があったのだろう。

 

「死ぬ時は手ぶらがベスト」っていう、宇多田ヒカルの歌『忘却』の歌詞がとても気にいっている。そんな死に方が理想なのかもしれない。

 

だけど、それは所詮「理想」で、何一つ未練を残すことなく、「自分の人生」と「やりたいことの熱意の糸」を同時に切ることが可能なのだろうか。もっている目標を全て達成した瞬間で死ぬことなんてきっと不可能だ。

 

宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』の「永遠の未完成これ完成である」って文章が、知った時から、私の頭の中に印象的に意味ありげに居座っている。

 

人間は、きっと未完成のものしか作れない。目標に向かって歩いていくことが、人間という存在そのものだから。

 

未完成、未完成、未完成・・・を何回も繰り返して繰り返して、無限のように繰り返し、バトンを次に手渡し、完成に向かって進んでいくことこそ、「進化する」ってことなのかもしれない。

 

「ゴール」すなわち「完成」はきっと宇宙の終わりだ。

 

それは無だ。

無でない限り、きっと未完成なんだろう。

 

ちっぽけな1人の人間が何かを完成させることはできない。長い長い永遠に続く道のりのリレーで、どれだけ長い距離走れたかって違いだけだ。

 

偉人たちはもしかしたら、一人でものすごい距離を走った人なのかもしれない。

 

だけど、偉人だって、永遠に走り続けることはできない。

 

だからね、この世に必要のないものは存在しないと思うよ。

 

万物が、何かをつなげていくための、かけがえのない存在の一つ一つのピースだ。

 

例え、持っているエネルギーがささやかなものでも。

ないことには出来ない。   

だからどんな自分であっても悲観する必要はないと・・・いまならそう思える。

 

話がそれたので、元に戻す。 

 

大切な、今手に入れてしまったものを失うのはもちろん怖い。

だけど、その怖さがちっぽけに感じるほど、未来へ前進する情熱があればいい。

むしろ、失う恐怖から逃れるには、その未来への情熱に身を任せる以外ない。

きっと、束の間の人生。失うのを怖がってる暇なんてないのだろう。

人間らしく死ぬギリギリまで、泥臭く「まだ死にたくねぇ」って生にしがみつけばいい。

 

「今死ぬのが怖い」って感情がどこかにあるのは、生を実感している証拠だ。

 

生の美しさを満喫している証拠だ。

今思いっきり生きている証拠だ。

素敵なものを沢山持っている証拠だ。

そんな素敵なものを沢山もっているなら、最大限活用しなくちゃ。

 

失うことに気を取られていることは勿体ない。

 

素敵なドレスを持っているなら、しっかり着こなして、時を忘れるほど優雅に踊ればいいんだ。

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