悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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ひどい腹痛で気を失いそうになった話

私事なのだけれど、最近ものすごい腹痛で、気を失いそうになった。

 

朝ご飯に飲んだ牛乳が弱っている胃腸を刺激したのだろうか。

 

急に凄くお腹が痛くなって、うずくまっていた。いつものように、暫くしたら痛みは引くだろう・・・って寝転んでいたら、腹痛はどんどん激しく痛み出して、吐き気がしてきた。このまま横になったままだと吐く・・・と思い、起き上がって座ったら、目の前が暗くなってきた。

 

これはかなりヤバい・・・と思った。

 

何故ならその時、家にいたのは、3歳児と6歳児だけ。正直頼りにならない。もちろん、いざという時に救急車の呼び方もわからない。

 

しかも、私のただならぬ状況を彼らが察知しているはずもなく、3歳児なんか普段通り、私に折り紙と折り方の本を押しつけて、「これ折って!折って!」ってせがむ。

 

正直それどころじゃないのだけれど、人間とは不思議なもので、目の前が真っ暗になりながらも、私は3歳児の要望に応えようと、折り紙を真剣に折ろうとしていたのだ。普段通りの生活を送ることで、迫り来る非日常の不安から逃れようとしていたのかもしれない。

 

だけど、いよいよ、意識が無くなる・・・これはマジでヤバい・・・と思い、とにかく救急車を呼んだ時のために鍵を開けねば・・・と、朦朧とした頭でなんとか考え、必死に遠のく意識の中、玄関に行ってなんとか鍵を開けたら、そのまま近くで力尽きて倒れてしまった。

 

幸い、暫く横になってたら腹痛もなくなり、意識も復活してきた。そして、嘘のようにその後、日常生活を送った。

 

本当に、この時の恐怖といったらない。

何が怖いって、頼れる人がその場にいなかった不安だ。多分家に夫がいたら、こんなにも不安にはならなかっただろう。いざという時に何とかしてくれる、頼れる人が近くにいるってだけで、人を精神的に救うことになるのだなってこの時実感した。「いざという時に、頼れるもの」の存在は「絶望への一本道」からゆるりと逃してくれる。

 

そして、あと、物凄い腹痛の最中こう思った。

 

あーこの激しい痛さを私が今実感している時のみ、私は同じように苦しんでいる人の真の理解者になれるんだなぁ・・・って。

 

今、世界中で激しい痛みに苦しんでいる人が確かに存在していてさ、その人たちと、今私は同志になれるんだって。もちろん、こんな私の苦しみなんてかすり傷ぐらいな、もっと苦しんでいる人はいる。だけど、健康な状態よりは、少しはリアルに気持ちを理解できる。そう考えたら、普段の自分はなんて平和ボケしてるんだって涙がでてきそうな気持ちになった。

 

いつもの私は、何も知らずにのほほんと生きてるんだなぁって。退屈で苦痛だ・・・なんて考えちゃうなんて、なんて贅沢でバカバカしいんだろうって。本当、何も苦痛のない身体ってなんてありがたいんだろうって。

 

だけどさ、痛みから解放されると、あっさり、その苦しみの世界を忘れ去ってしまう。

 

まったく別の世界の住人になってしまう。

 

だけど、忘れてしまうのはしょうがないね。

 

だって、お腹がいっぱいの時、どうあがこうが、空腹の時を実感できない。

 

お腹がいっぱいの時、空腹の状態を思い出して、食べ物を沢山食べることはできない。

 

そんなもんだ。

 

誰だって、今ない状態をリアルに実感することはできない。イメージすることはできるけれど。

 

真の同志は、今その状態の真っ最中の人のみだ。それ以外は決して同志にはなれない。経験者は理解者にはなれるけれど、真っ最中の人と同じ世界に住む住人にはなれない。

 

私は出産の激痛の時も、今回と同じようなことを思って自分を勇気づけた。

 

痛みを経験している今、私は世界のどこかに必ずいる出産に苦しんでる人の気持ちが誰よりも分かるし、身をもって理解できる。凄く貴重な経験だ。

それに、私はそんな人達と痛みを通して今確かに分かり合える仲間だ、同志だ。だから私は一人じゃない。

 

ってね。そう考えたら、身体的な痛さは変わらないけれど、精神面ではダメージが結構なくなるんだよね。

 

今この痛みを経験している私は、今同じような痛みを経験している人の真の理解者だ!真の仲間だ!そういう意味では世界中に仲間が沢山いるんだ!

 

って考えると、何だか心強くなれるんだよね。

 

考え方って凄いね。考え方一つで、弱くなったり、強くなったり、もしかしたら無敵にだってなれるかもしれない。仲間がどこかにいるって思えるだけで心が強くなれる。

 

経験した痛さは、通り過ぎて、いつか忘れ去ってしまうけれど、痛みが自分に存在している間は、しっかりと味わって、忘れないように、自分という存在に刻んでおく。

 

それだけが、いつか同じような痛さを経験している人が近くにいた時に、気持ちに寄り添うことへの道しるべになる。

 

その自分に刻んだはずの経験も、時間を経るにつれて傷が癒えてカサブタになるように、薄れていくものだけどさ。

 

ぼんやりとは思い出すことはできる。ない経験は、思い出すことも出来ないけど。

 

苦痛も、快楽も、その他の諸々の感情も、しっかりと味わって生きていきたい。

 

決してマゾヒストになるって話じゃなくてさ。

 

自分に降りかかってくる現象は、何でもしっかり受け止めて生きていきたい。  

 

人生の酸いも甘いも・・・たくさんのいろいろな味わえる味を味わい尽くしたい。

 

しっかり、その味を味わえる時に、忘れないようにしっかりと、今ある味を噛み締めたい。

 

たくさんの味を知る事が、いろいろな感情を理解できることに繋がっていくと思うから。それは、より沢山の人たちの理解者になれることに繋がっていくと思うから。

 

そんなことを、今回の出来事で思ったのでした。・・・いや、もうあの腹痛はこりごりだけど。

 

余談だけど、私が失神しそうになった原因はおそらく「血管迷走神経反射」だと、ネットで調べて判明したのでした。

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