悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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空白があることは描ける未来があるってことだ。

空白は大事だ。   

空白は意味のないことじゃない。

 

例えば真っ白な紙の真ん中に黒い点を描く。

そしたら、空白は意味を持つ。

空白があるから、黒い点は存在感を放つ。

空白は、「黒い点じゃない場所」という存在になる。

 

空白のおかげで黒い点の存在は輝くことが出来る。

 

逆に、黒い点のおかげで、空白は存在意義をもつことができる。

 

空白だから、そこに何かを描く事ができる。

 

まるで、生まれたての赤ちゃんみたいだ。

 

空白は可能性の塊だ。

空白はこれから描くことのできる未来の可能性だ。

 

空白は無理やり塗りつぶしたらいいってものじゃない。

 

空白というキャンバスに丁寧に丁寧に色をのせていこう。

 

ゆっくりでいいから。ヤケクソになることなく、着実に。一歩一歩。

 

色を重ねていけばいいと思う。

 

自分という人生の絵を自分が思い描くように描けたらいい。

早いうちから自分の目指すべき描きたい絵の方向性を見出せると、きっと計画的に絵が描ける。

 

その為にはなるべく早く、描きたい絵をより具体的に頭の中で描けたらいい。

 

けっして、若いうちにやけになって、黒い絵の具で描きなぐってはよくない。

 

それはきっと長く長くキャンバスに爪痕を残すから。

 

自分の人生が終わる時に、キャンバスの空白がなく、一枚の自分の納得する美しく深い絵がそこにあったらいい。

 

でも死ぬ時に空白が沢山残っていたとしても、それはそれで美しい。

 

まるで、幼くして亡くなった子どもみたいに。空白の沢山ある絵は、描かれた少ない箇所がひときわ引き立つ。

 

それは、空白のない絵では表現することのできない類いの美しさだ。

 

どんな絵も、この世界に存在していることには変わりがなく、かけがえのない有意義な存在だと思う。

 

どんな絵もきっと、ギャラリーにいる観客の誰か1人の心には響くから。

 

そう考えると、人間って一人一人が芸術のような存在なんだなぁって思う。

生きているだけで、生きている人の心に作用する。

敢えて創作物を生み出す人っていうのは、空間的に、時間的に、その「心の作用」をより広範囲に広げたいって欲が強いだけの違いだ。

 

別に、創作物なんて生み出さなくても、人は生きてるだけで世界に作用している。

 

生きてるだけで、未来をつくっている。

 

自殺してしまう人は、もう自分のキャンバスに描ける絵を想像できなくなってしまった人だ。

 

未来が全く想像できなくなった人だ。

 

または、現状で自分の最高地点に達してしまった人だ。

 

または、自分の命をかけて何かを訴えたい未来を描いた人だ。

 

想像力は、生きるエネルギーそのものだと。

 

想像力が無くなった世界はきっと死んでる。

 

素敵な未来を想像する力がなくなったら、もう素敵な未来は失われる。

 

少しでも、自分の中に素敵な未来を描けるカケラがあったら・・・絶対に手放しちゃダメだ。

 

そのカケラを握りしめている限り、何処までも生きていけるから。

 

そのカケラで、未来を描き続けることができるから。自分の手で。かけがえのない自分だけのキャンバスに。

 

だから、他人が人のキャンバスにぐちゃぐちゃに勝手に描くことは許されない。

 

例え、それが親であろうと。

 

一人一人のかけがえのないキャンバスに、他人がむやみに土足で踏み込んで好き勝手していい理由なんて、これっぽっちもないんだ。

 

大事な大事な自分のキャンバスには、自分の意思で、自分の手で、自分の描きたいものを思いっきり描けれたら。

 

みんながみんな、それができて、かつ、描きたいものが素敵なものだったら・・・きっと世界の未来は素敵な色になるのだろう。

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