もっと、気楽に文章を書く練習をしないとなぁ。
私の文章は何だか、重いんだよね。内容が重いというより、気持ちが重い気がする。
「もっと気楽に生きようぜ!」って言いたい自分がいるんだけど、どうしても、重く重く考えてしまう自分がいるんだよな。
もっと、気楽にステップでも踏むようにさ、鼻歌混じりに歩くように文章を書けるようになりたいな。
そしてさ、気持ちと内容がやたら重い文章じゃなくて、気持ちは軽くて、内容の密度が高い文章を書けるようになりたいな。
バラバラなごった煮で無駄に重くなる文章じゃなくて、スッキリとスマートで高密度な文章をかけるようになりたい。
ちょっと、自分の持っている荷物を整理しないとな。
私は昔から、重い鞄を持ち歩いてしまう癖があった。
なんだか、色々な物を持っていないと不安だから。
色々な物を持ち歩いたら、忘れ物をする心配はない。でも、不安はなくなるけれど、疲れちゃうんだよ。
若いうちは、重たい荷物をずっと持って歩けたけどさ。
年取ったら、重い荷物を背負ったまま歩き続けるのはしんどいのなんのって。
そろそろ少しずつ手放していかないといけないよね。
何でもかんでも手放すんじゃない。整理して取捨選択して手放す。
それでも、どうしても捨てれないのなら、形にして残しておかないと。
あー・・・だから、私は今色々と自分から手放す為に文章を書いているんだな。
自分の中の物を、手放して捨て去る事のできない「もったいない」さんは、創作活動をする羽目になるんだよな。
手放すけれど、決してゴミになんかしたくない。何とか有用なものにしたいのだろう。
私の場合、生み出した文章は誰かにとって有用になってるかはわからないけどさ。少なくとも私には有用になってるはず。いつでも眺めれる形にできてる。捨てずに、形にできてる。それだけで、私にとっては意味のあることだ。
どんどん身軽に気楽になっていきたいよ。
だけど、気楽じゃない、重い荷物をヒーヒー言いながら持ち歩いていた私も・・・それはそれで、嫌いじゃなかったけどね。やっぱり要領が悪いよ。
それに、やっぱり年を取ったら疲れてしまうから、気楽に、身軽になっていかないといけないのだろう。
自分で自分を重い荷物で苦しめるのは、今ではもうアホらしい行為になってしまう。
今まで通りの重いままじゃあ、いつか潰れてしまいかねないからね。
今の自分に合うように色々な物をカスタマイズして生きていかないといけない。
それは、生き続けるためには大切なことなのだろう。
過去の自分とは少しずつ、「さよなら」していかないといけないんだろう。
大人なのに「子どものままの自分の心のあり方」をやめることができないのなら、きっと、大人の自分を手放すことに繋がりかねない。
それは、きっと破滅に繋がってしまうからさ。
大人になったら「大人の心のあり方」を受け入れないといけないんだ。
若い頃のままのやり方じゃあ、心がパンクしてしまうから。それだけ、たくさん生きて、たくさんのものを拾い過ぎた。
子供の時のように、取り込むことだけしてらんない。手放すこともしていかないと。
色々な物を捨てれないのなら、せめて形にしてどこかにしまっておけばいい。
自分の体から離れても、形として残しておけばいい。
その為の創作活動だと思うよ。
人間は、自分の中以外にも、大事な物を置いておく場所が欲しいから、創作するんだろうな。
人間は、あまりにも人間という容れ物に比べて、出来ることが多くなりすぎたのかもしれない。
あと、欲張りになり過ぎたのかもしれない。
だから自分の大切な物を、自分から形にして取り出すだけじゃ飽き足らず、自分以外の人にも大切にして欲しい・・・なんて思ってしまうのだろう。