宇多田ヒカルの歌「Keep Tryin'」
最近この歌にたまたま会って、聴いて、衝撃を受けた。
何でこんな素敵な曲をつくれるのだろう。「美しいもの」に触れて心が震えた。
これは、「諦めれない夢」を抱き続けて、歩き続ける大人への応援歌だ。
自分の心からやりたいこと、成したい事を、日常生活をこなしながら何とかやり遂げたい大人の為の応援歌だ。
最近本当に久しぶり(10年ぶりぐらい?)に聴いて、ハッキリと私にそう伝わった。
昔、確実に聞いた事のある曲なはずなのに、当時は心の横を通り過ぎた。だけど、今、まるで別の曲のように、私の心にクリティカルヒットした。
きっと、この曲を作った時の宇多田ヒカルの気持ちと私の今の気持ちが共鳴した。
そうでなきゃ、こんなにも私の心を震わすはずがない。
今聴くと、歌詞も全てきちんと意味を持っていることがわかる。
正直、「よく真意がわからないなぁ」・・・って歌詞も宇多田ヒカルにはあるのだけど、この歌の歌詞は、全て嘘のようにしっくりと理解できる。
この曲は当事者にしか分からない暗号で「今の私」に届けてくれた応援歌だ。
是非、大人になっても夢を持ち続けたい人、夢を諦めたくない人、今忙しい中もがきながら夢を持ち続ける事を頑張ってる大人に、しっかりと歌詞にも注目して聴いて欲しい。ホントに。以下歌詞の抜粋。
どうでもいいって顏しながら ずっとずっと祈っていた 無い物ねだり ちょっとやそっとで満足できない だからKeep Trying
挑戦者にのみ もらえるご褒美 欲しいの
どんな時でも 価値が変わらないのはただあなた
少年はいつまでも いつまでも片思い
これらの歌詞から私は「あーこの歌詞の対象はずっと憧れている夢の事だ」って直感で感じた。これは、私の勝手な憶測だけど、宇多田ヒカルは「自分の歌で表現したい世界」をどこまでもどこまでも諦めないって気持ちをこの歌に込めたんじゃないのかなあ。
遠い学生の頃、きっと誰もが抱いた事のある、熱く熱く何かに憧れた想い。
甲子園に行きたい。
コンクールで優勝したい。
楽器で理想の音を奏でたい。
素敵な絵を描きたい。
などなど、誰もが経験した事のある心が熱くなるような「自分の届きたい憧れ」に対する恋焦がれるような若い頃の想い。
大人になって、忙しい日々に埋もれて、そんな想いをしばらく放置していたとしても、いつだって、そんな想いを思い出して、夢に向かって歩いていい。
「挑戦することを続けよう」
Keep Trying
宇多田ヒカルの曲は、自分しか知らない自分の孤独の世界の中にすっと入り込んで、そっと寄り添ってくれる。決して押し付けがましくない。でも、しっかり応援してくれる。
本当に暗闇の中の光のような歌が多い。
心をすくいあげて、寄り添ってくれる。
この歌は、大人になっても「自分の求める憧れ」に向かって歩くことをを諦めたくない人への応援歌だ。
幾度となく押し寄せる、大人ならではの仕事の波にさらされながらも、「憧れ」に向かい続ける事を諦める事のできない大人の為の。熱い想いを抱きながら、でも、ポーカーフェイスで振る舞うしかない大人の為の。
心からの応援歌だ。
そう、大人になっても、自分の「憧れ」を目指してキラキラとときめく心は、ずーーーっと変わることはない。「憧れ」への気持ちだけは変わらない。自分が年を取って、肉体が変わっても、取り巻く環境が変わっても。
ある夏の授業中の教室で、蝉が鳴き響くなか、ぼんやりと、だだっ広い黄色いグラウンドを眺めていた自分。あの・・・無力な、あおい果実のような学生だった時に漠然と抱いた事のある「憧れへの想い」。それと、今持っている「想い」はきっと変わらない。
そして、ずっとずっと、実は大人になるまで、その「憧れ」に、心の片隅で片思いしてたんだ。学生の頃、熱い想いで何かに憧れたあの時の気持ちは、実は、息をひそめながらも、ひっそりと植物が地に這うように続いていたんだ。
どんなに情けない姿を晒そうが、どうしても諦めたくなかった、若い頃のあの時の「憧れ」。
その時はどうしても手の届かなかった、あの時の「憧れ」。
「憧れは」形を変えながら、でも根本は決して変わることのないままずっと確かに私の中にある。そして、私はずっと片思いしたままだ。
ずっとずっと片思いだ。
そして、きっとこれからも片思いし続けるのだろう。
「憧れ」は手が届かない遠い場所にある方がいい。そうしたら、ずっとそこに進んでいけるから。
もし、「憧れ」に届いたような気がしても、きっと、また別の遠い場所に憧れを見出すのだろう。
だから、夢見る少年はいつまでもいつまでも片思い・・・なのだと思う。