最近、自分のこれからの人生について考える。
人って、自分の人生で出来ることって、「ああいうふうになれたらいいのになー」ってこととは別なんだなって。
私という人間の人生で、運命でできること、役割をやるべきなんだろうな。
「ああいうふうになれたらいいのに」と、「自分が出来ること」は違うんだよね。
例えばさ、男性に生まれたら、いくら出産したくても自分は出産出来ない。
それは、どうしてもやるべきことではない。
「出産」という役割は男性でない自分以外の女性にお願いするしかないんですよ。
そんな感じで、自分の人生において、自分という「人間」に適したすべき役割があるのだと。目指すべき場所があるのだと。
それは、私が自意識過剰だから、こんな事を言っているのではなく、みんな、みーんな、自分のもっている人生において、その人生だからこそ出来ることがあるのだと。
それは「ああいうふうになれたらいいのに」っていう自分以外の他者へ向けた「憧れ」の方向とは別の場所にあるのだと。
憧れには次の2つの方向があると思う。
①「ああいうふうになれたらいいのになー」っていう他者への憧れの方向
②「自分はこうなってみせる」っていう自分の中での憧れの方向
の2種類。
①は手の届かない、ただただ眺めるしかない「憧れ」の方向。自分の道の外側に見出す。
②は自分に照らし合わせる、目指すべき「憧れ」の方向。自分の道の中に見出す。
①はしばしば、自分の道を歩く足止めをする。「いいなーいいなー」と眺めるだけ。
②は「憧れ」を自分自身の人生に落とし込み、力強く自分の道を進んで生きれる。
そう…「憧れ」は、自分の進むべき道の中に落とし込んでいかないといけない。
鳥みたいに飛びたいからって、鳥ばかりを指を咥えていつまでも「鳥になりたいなぁ」ってずーっと眺めていたんじゃだめだ。
人間は鳥にはなれない。人間なら、鳥になる夢ばかりに耽っているのではなく、飛行機を作るような方向に道を切り拓いて進んでいかないと。
自分の外側に憧れを見出して、足を止めて、「いいなーいいなー」って眺めてばかりいるのは、もう・・・そろそろ時間の無駄だ。
それは、やりすぎると現実逃避につながる。
自分の道を見つめず、歩かず、足を止めている。
もし、憧れの他者を見つめるなら、鋭いまなこでしっかり観察しないと。そして、その観察して得たものを自分の人生に落とし込まないと。
もうさ、そろそろしっかりと、自分の道に集中していかないといけないよなって。
自分の道の外側でキラキラ光っているものに惑わされて、いちいち足どめを食らってたんじゃあ、いつまでたっても自分の中の憧れにたどり着けない。
もう、私は惑わされたくない。
だから、余計なものをいたずらに見ないようにする。
最近、自分の「死」を意識するとこわい。
今の状態で自分がこの世界から消えるって考えるとこわい。
「私」という存在を、有意義に使い切ることに、しっかり意識を向けていかないと。
それは、「他人から自分がどう見えるか」は関係ない。「他人にどう評価されるか」も関係ない。自分自身が納得できるかどうかが問題だ。周りに気づかれなくても、自分がどう在りたくて、どういうことに貢献したいか…が重要だ。
それはね…「国民栄誉賞」をもらうように見るからに「立派なこと」とは限らない。誰も見ていないところでゴミを拾うようなことだっていいんだ。寧ろそれが正解なんだ。自分がいつか自分自身に堂々と金メダルを首にかけれるようなことをしていけばいいんだ。
自分の今をしっかり見つめて、「死」を意識して生きる。
「死」をゴールに据えて、自分の人生の道をしっかり見つめて、一歩一歩しっかり歩く。
それは、「死」の恐怖と不安に掻き立てられながらってことではなく、
「生」の輝きを…有り難さをしっかり噛み締めて意識しながら生きるってこと。
そういうふうに、生きていきたいなって思う。
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