最近、ずっと読みたかった本『嫌われる勇気』をやっと読めた。
この本を知ったきっかけは、「100分de名著」という大好きなテレビ番組で、『嫌われる勇気』の著者の岸見一郎先生が指南役をしていた回をみたから。
私の「100分de名著」への愛はこちらの記事でたくさん語っております↓
その岸見一郎先生が出ている回を見た時、わたしは直感で「あーこの先生は心から信頼できる」と一方的に先生に心を開いて、当たり前のように著作の『嫌われる勇気』にも興味を持った。
だって、岸見先生の紹介の時、司会者が「今回の指南役は、今話題のアドラー心理学を広めるきっかけとなった『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎先生です~」みたいな感じで紹介してたから。そこで『嫌われる勇気』を意識したってわけ。
で、最近やっと色々と子育てが落ち着いて自分の時間がある程度取れるようになったので、図書館で借りて読んでみたって流れです。
で、読んだ感想
名著ですね。
うん。
以下の記事で「分かりやすいのは強みだ」みたいなことを書いたけれど、正にその強さをもっている本です。
この記事でこんなことも書いてる↓
「文章」のみで伝えるには、相手の姿勢にかなりかかっている。
要するに、そこに文章を存在させるだけでは、なーんにも相手に伝わらない。
相手がその文章を読んでくれないと。
しかも、ただ字を上辺だけ読むだけじゃダメだ。
意味を汲み取って読んでくれないと。
そのためには、相手の積極的な姿勢が必要不可欠だ。
「よし!読むぞ!」っていう熱意が必要なわけ。
だからさ、「この文章は読む価値がある」って読み手がまず思わないと、なかなか「よし!読むぞ!」ってならないよね。
「読んで理解する、想像する」って行為ってかなりエネルギーをつかうじゃん。
「頑張って読んだけど、読んだ価値なかった」って誰もそんな羽目になりたくない。 そんなに、みんな暇人じゃないし、エネルギーが有り余っているわけでもない。
例え、その文章が、「すっごいこと」を表現してたとしてもさ、読み手に理解不能な専門用語や表現方法やらをバンバン使ってたんじゃ、だれもその「すっごいこと」に辿り着けない。
ゴールに辿り着くための集中力の糸を切る障害物が、いーぱいあるんだ。
文章はとにかく最後まで読んでもらわないと、何にも始まらない。
物書きって理解されにくい表現者だよね。 - 悩みすぎな私の子育てライフ
『嫌われる勇気』は文章の力で、最大限にわかりやすさを追求している。
おそらく、『嫌われる勇気』のような内容を小難しく書いた本はいくらでもあると思う。
だけど、読み手の関心と集中力を最後まで切らさないよう、専門用語をほとんど使わないわかりやすい表現で、かつ自分の伝えたい事、気持ちをしっかりと伝えれるようにアドラー心理学について建設的に書かれた著書は『嫌われる勇気』以外にない気がする。
とにかく著者のお二人(岸見一郎、古賀史健)の熱い熱い気持ちが伝わってきた。
「『アドラーの教え』の魅力をもっともっとたくさんの人に知ってほしい!」
という燃えたぎる熱い気持ちが。
この思いこそ、本書で重要だと述べている「他者貢献」の気持ちに他ならないのではないでしょうか。
正直、私は『嫌われる勇気』にでてくる哲人と対話をしている青年のように「そのような考えは受け入れれません!抗議します!」みたいな頭からの拒否反応よりは、「あーーそうだよね…哲人が言いたい事わかるよ」みたいな共感の部分のほうが多かった。もちろん新たな発見もあったり、自分がなんだか分かりそうで分からないようなもやもやしていたことが簡潔な表現で書かれていたりして、頭がすっきりした部分もあった。
とにかく私は『嫌われる勇気』は好きだ。アドラーの考え方は私にとって共感できる部分が多いから。
『嫌われる勇気』は借りるだけでなく、購入しよう。
そして我が子が成長したら、おすすめして、本の内容について語り合いたいなって思った。まー、まだまだ先の話だけれど。子どもが色々な経験を経て、この本の内容が数多くある考え方のうちの1つとして俯瞰的に捉えれる事ができるような年になるまで、気長に待つとしよう。分かりやすいぶん、極端に染まりやすくもある本だと思うからさ。
今回ざっくりと一回読んだだけなので、またしっかりと購入して読み返そうと思う。
とりあえず、一回読み終わって私の頭に残った重要キーワード。
・自己肯定でなく、自己受容
・「幸福とは貢献感である」
・普通であることの勇気
・横の関係、縦の関係
・エネルゲイア的な人生
そして、以下の「ニーバーの祈り」という文章を知れただけでも私にとって有意義な本でした。
「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」
ニーバの祈り
詳細はこちら↓
この祈りは暗唱できるようにしといてもいいぐらい私の中では大切な戒めだと思った。
とにかく、私にとって、色々なものを得ることができた読書体験でした。
「アドラー心理学」というワードは私の頭の中のお気に入りボックスに入れておこう。
きっと、アドラーの考え続けたことは、私が考え続けていることと、方向性が同じだから。
『嫌われる勇気』には私が過去に書いた記事の内容と似通ったことが書いてあって少しドキッとした。
やっぱり自分が考えていることや、表現の仕方なんて全く特別な事じゃなく、どこかの誰かの中でも当たり前のように生じていることなんだな~って自分の中で、改めて確信した。
例えば、私は過去にこんなことを書いている↓
素敵なドレスを持っているなら、しっかり着こなして、時を忘れるほど優雅に踊ればいいんだ。
「死ぬのが怖い」のは手放したくない素敵なものを沢山持っている証拠 - 悩みすぎな私の子育てライフ
『嫌われる勇気』にこんな表現があった↓
人生とは、いまこの瞬間をくるくるダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる
引用:『嫌われる勇気』p.266
『嫌われる勇気』には驚くほど、私の考えに共鳴する箇所が多かった。
またしっかりと咀嚼してよんでまとめたい。
今回、『嫌われる勇気』を読んで…
世の中は、自分が思っているよりも、広く広くつながっていて普遍的であって、自分は自分が思っているよりも特別なんかじゃ全くなくて…だけどそれは決して悲観することじゃない。むしろ、それが自分が幸せになれる可能性をはらんでいるんだ…とぼんやり思った。
特別じゃないこと、普遍的であることは、それだけ多くの存在と共感できる…共有できるってことだから。
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