結局は「自分」だ。
自分を見失わないことだ。
周りに惑わされないことだ。
周りを見ながら周りに惑わされない。
周りを見ながら自分をみる。
周りの様子を伺いながら、 自分の歩むべき道を見失わないようにする。
周りに影響されながら、 周りが進んでいる道に惑わされないように自分の道を進む。
自分の不足しているものをみないふりをしない。
少しづつでもいいから補うようにする。
決して自分を卑下しない。
「自分なんか」って自分を蔑ろにしない。
自分をしっかり見つめる。
自分を信じる。
相手も見ながら、相手の気持ちも考えながら、 自分も見て自分の気持ちも考える。
自分を愛しながら、周りも愛す。
自分を愛することは、勇気と覚悟が必要だ。
「自分」を神さまからの贈り物のように大切に大切に扱う。
自分を「あーめんどくさいっ!」って雑に扱っちゃよくない。
妊婦さんが赤ちゃんの為に自分を労わるように。
赤ちゃんの世話を「あーめんどくさいっ!」 って放置したらダメなのが当たり前のように。
自分もしっかり手塩にかけて関わり続けなきゃならない。
自分に調和しながら、周りに調和しながら生きていく。
木漏れ日も、風も、じめじめした空気も。
素直に快いものは受け入れて、不快なものは拒否しよう。
しっかり受け入れるよ。
私という「人間」を。
人はどうあがいたって自分以外の人にはなれない。
自分を通して自分以外の人を知っていくんだよ。
それでしか、自分以外の人間を知ることはできない。
どうあがいたって、基準は自分以外にはなりえない。
酸素は窒素にはなれないように。
だけど、窒素にできないことを酸素はできる。
自分をしっかりと知るんだよ。
窒素になりたいなりたいって自分が酸素であることを認めないこと に何の意味がある?
自分についてしっかりと知らないと、なれる「役割」 が分からない。
酸素は水になれるんだよ。
窒素は決してなれない。
自分を知るんだよ。
人間は決して酸素や窒素の原子のように単純じゃあ多分ない。
色んな部分からできている。
人間だけで、一つの宇宙だ。
皮膚、筋肉、血液、臓器、脳、骨・・・それに精神だってある。
とてつもなく複雑な宇宙だ。
人間の中に宇宙は広がっている。
確かにあなたと私は違う人間だ。
だけど、共通する部分は必ず沢山ある。
だって、 こんなにも人間はたくさんの部分からなる複雑な存在なのだから。
だから、たくさんの経験を経て、 外部からの刺激による反応によって自分を知っていく。そして、 確実にあなたをより知ることができるようになる。
あなたに会える。
一体になれる。
そうでなければ、あの映画が、あの本が、あの音楽が、 こんなにも多くの人の心を揺さぶる説明がつかない。
それらで感じた心の憧憬は、確かに他人も見た憧憬だったから、 表現できた。
共感や感動こそ、あなたと私が共通する部分があるという証拠だ。
共感や感動で、人は自分と他人との共通部分を確認できる。
そして、自分の性質を知ることができる。
自分の性質を正確に知ってこそ、自分を最大限、 この世界に有意義に反応させることができる。
私は自分という宇宙の探究を諦めたくなんかない。
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